シチェドリン(その他表記)Nikolai Shchedrin

デジタル大辞泉 「シチェドリン」の意味・読み・例文・類語

シチェドリン(Mikhail Evgrafovich Saltïkov Shchedrin)

[1826~1889]ロシア小説家専制政治下の社会を風刺した。作「ある町の歴史」「ゴロブリョフ家の人々」など。

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改訂新版 世界大百科事典 「シチェドリン」の意味・わかりやすい解説

シチェドリン
Nikolai Shchedrin
生没年:1826-89

ロシアの作家,評論家。本名はサルティコフMikhail Evgrafovich Saltykov。サルティコフ・シチェドリンSaltykov-Shchedrinとも呼ばれる。厳しい検閲のもとで,直接的表現を控えた〈イソップの言葉〉による寓意と風刺を駆使して,農奴制ロシアの政治的腐敗と不正を鋭くえぐり出した作品が多い。かつてプーシキンも学んだリツェイ(貴族の子女のための学校)を卒業後,空想的社会主義に触発されて書いた《こみ入った事件》(1848)が当局を刺激して,ビャトカへ8年間流刑の身となった。同地で地方行政官として勤務を命ぜられ,後年の創作に役立つ多くの知見を得た。皇帝ニコライ1世の死により,許されてペテルブルグへ戻り,流刑時の体験をさっそく《県物語》(1857)として発表,地方官吏の堕落ぶりを糾弾した。いったん官途を辞して《現代人》誌を中心に《ポンパドゥールのやからども》(1863-74)の一部などを載せていたが,ピーサレフらとの論争に疲れて一時官吏生活に戻った。のちN.A.ネクラーソフの勧めで《祖国雑記》誌に参加,健筆をふるって文声はとみに高まった。《ある町の歴史》(1869-70),《ゴロブリョフ家の人びと》(1875-80),《現代の牧歌》(1877-83)などはいずれもほぼこの期に書かれた。1884年,《祖国雑記》誌は発禁の対象となってシチェドリンは大きな打撃をこうむったものの,批判精神はなお衰えず,他誌を拠り所に《おとなのための童話》(1882-86),《人生の瑣事》(1886-87),《僻地旧習》(1887-89)といった,作家としての到達点を示す傑作を世に問いつつ,最後まで,依然として残る農奴制的支配の精神構造に風刺の矢を放ち続けた。
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百科事典マイペディア 「シチェドリン」の意味・わかりやすい解説

シチェドリン

ロシアの作曲家。1950年−1955年生地のモスクワ音楽院で作曲家Y.A.シャポーリン〔1887-1966〕らに学ぶ。1955年,卒業作品《ピアノ協奏曲第1番》(1954年)のソロを自ら務め,作曲家・ピアノ奏者としてデビュー。保守的なソビエト作曲界にあって無調(無調音楽参照)や音列技法を取り込んだ斬新(ざんしん)な作品を発表し,西側にも早くから知られた。1964年−1969年母校教授。現在はミュンヘン在住。ビゼーの音楽による《カルメン組曲》(1967年),《アンナ・カレーニナ》(1972年)などの才気あふれるバレエ音楽のほか,代表作に《ピアノ五重奏曲》(1952年),《管弦楽のための協奏曲第2番・鐘》(1967年),ピアノ曲《24の前奏曲フーガ》(1963年−1970年),日本で初演された管弦楽曲《ホロボディ(輪舞)》(1989年),友人ロストロポービチ委嘱による《チェロと管弦楽のためのソット・ボーチェ協奏曲》(1994年)などがある。夫人は名バレリーナのプリセツカヤ。→ポクロフスキー

シチェドリン

ロシアの作家。本名サルトティコフMikhail Evgrafovich Saltykov。サルティコフ=シチェドリンとも呼ばれる。トベリ県の地主の出身で,長く地方官吏生活を送り,その後専制政治を批判する急進的な立場から,編集者,作家として活動した。グロテスク手法をまじえた強烈な風刺文学の傑作が多く,《県の記録》(1857年),《ある市の歴史》(1870年),《ゴロブリョフ家の人びと》(1875年―1880年),《僻地の旧習》(1889年)などで,農奴制と官僚主義機構を痛撃した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シチェドリン」の意味・わかりやすい解説

シチェドリン
Shchedrin, Nikolai

[生]1826.1.27. トベーリ
[没]1889.5.10. ペテルブルグ
ロシアの風刺作家。本名 Mikhail Evgrafovich Saltykov。旧貴族の家に生れ,少年時代から旧家の専制主義と地主の横暴ぶりを目撃して育ち,ツァールスコエ・セローの学習院 (リツェイ) を卒業,官界に入った。 M.ペトラシェフスキーとの交わりと,フランス空想社会主義,とりわけ C.フーリエへの興味が彼の政治観を育てた。最初の小説『矛盾』 Protivorechiya (1847) ,『もつれた事件』 Zaputannoe delo (48) が当局にとがめられ,ビャトカに追放されたが,1856年釈放されると流刑地での印象を『県の記録』 Gubernskie ocherki (57) にまとめ官僚主義を風刺した。その後『同時代人』『祖国の記録』誌の編集に参加し,革命的民主主義の潮流の中心メンバーとなった。その他の作品『ある市の歴史』 Istoriya odnogo goroda (70) ,『ゴロブリョーフ家の人々』 Gospoda Golovlëvy (76) ,『僻地の旧習』 Poshekhonskaya starina (89) 。

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ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者) 「シチェドリン」の解説

シチェドリン

モスクワ音楽院にてユーリ・シャポーリンに師事。交響曲第1番などが評価されて作曲家としての地位を得る。音楽院時代から活動初期にかけてはスターリン体制の絶頂期にあり、所謂「社会主義リアリズム」路線の影響を ...続き

出典 (社)全日本ピアノ指導者協会ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「シチェドリン」の意味・わかりやすい解説

シチェドリン
しちぇどりん

サルティコフ・シチェドリン

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