ロシアの作家,評論家。本名はサルティコフMikhail Evgrafovich Saltykov。サルティコフ・シチェドリンSaltykov-Shchedrinとも呼ばれる。厳しい検閲のもとで,直接的表現を控えた〈イソップの言葉〉による寓意と風刺を駆使して,農奴制ロシアの政治的腐敗と不正を鋭くえぐり出した作品が多い。かつてプーシキンも学んだリツェイ(貴族の子女のための学校)を卒業後,空想的社会主義に触発されて書いた《こみ入った事件》(1848)が当局を刺激して,ビャトカへ8年間流刑の身となった。同地で地方行政官として勤務を命ぜられ,後年の創作に役立つ多くの知見を得た。皇帝ニコライ1世の死により,許されてペテルブルグへ戻り,流刑時の体験をさっそく《県物語》(1857)として発表,地方官吏の堕落ぶりを糾弾した。いったん官途を辞して《現代人》誌を中心に《ポンパドゥールのやからども》(1863-74)の一部などを載せていたが,ピーサレフらとの論争に疲れて一時官吏生活に戻った。のちN.A.ネクラーソフの勧めで《祖国雑記》誌に参加,健筆をふるって文声はとみに高まった。《ある町の歴史》(1869-70),《ゴロブリョフ家の人びと》(1875-80),《現代の牧歌》(1877-83)などはいずれもほぼこの期に書かれた。1884年,《祖国雑記》誌は発禁の対象となってシチェドリンは大きな打撃をこうむったものの,批判精神はなお衰えず,他誌を拠り所に《おとなのための童話》(1882-86),《人生の瑣事》(1886-87),《僻地の旧習》(1887-89)といった,作家としての到達点を示す傑作を世に問いつつ,最後まで,依然として残る農奴制的支配の精神構造に風刺の矢を放ち続けた。
執筆者:左近 毅
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