デジタル大辞泉 「国立競技場」の意味・読み・例文・類語
こくりつ‐きょうぎじょう〔‐キヤウギヂヤウ〕【国立競技場】
[補説]同地にあった昭和33年(1958)完成の競技場は、昭和39年(1964)開催の東京オリンピックで中心会場となった。正式名称は国立霞ヶ丘陸上競技場。平成26年(2014)、現競技場に建て替えのため解体。
1924年に日本初の本格的陸上競技場として建設された明治神宮外苑競技場が前身。58年のアジア大会に向けて建て替えられ、64年東京五輪ではメイン会場となった。サッカーやラグビーなど数々の名勝負の舞台となったが、2014年5月末で役目を終えた。3代目は膨張した建設費が批判され、プランが白紙撤回となった。新たなコンペの結果、大成建設、梓設計と建築家・
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独立行政法人の日本スポーツ振興センター(JSC)によって運営されるスタジアム。東京都新宿区霞ヶ丘(かすみがおか)町にあり、東京2020オリンピック・パラリンピックのメイン会場とするため、2019年(令和1)に新しい競技場に建て替えられた。もともとこの敷地は明治時代に青山練兵場が設置されていた。明治天皇が崩御した後、大正時代に造営された明治神宮に続き、明治神宮外苑(がいえん)のエリアが整備され、1924年(大正13)に日本初の大規模なスタジアムとして陸上競技場が完成し、さらに聖徳(せいとく)記念絵画館(1926)、野球場(1926)、相撲場(1926)、水泳場(1931)などもつくられた。明治神宮外苑のデザインでは、欧米の公園の都市計画が参照され、陸上競技場の設計にあたっては、構造学者・建築家の佐野利器(としたか)らが担当し、傾斜した地形を利用しながら、5万人収容のスタジアムを実現した。なお、ここは結局、中止となった1940年(昭和15)の第12回オリンピック東京大会の候補地としても検討され、競技場を拡張し、10万人や12万人を収容する案も作成されている。ただし、こうしたプロジェクトに対して、当時から内務省神社局は風致を乱すことへの懸念を表明していた。1945年の第二次世界大戦敗戦後、明治神宮外苑は連合軍により接収され、1952年までメイジパークとよばれ、アメリカ兵の運動場として使われていた。
返還後は、第3回アジア競技大会(1958)のメインスタジアムとするために、陸上競技場を建て替え、1958年に約5万8000人を収容する霞ヶ丘陸上競技場が完成した。このモダニズムの建築は建設省関東地方建設局が設計し、おもに角田栄(しげる)(生没年不詳)、デザインを片山光生(てるお)(1918―1985)が担当している。そして1964年の第18回オリンピック東京大会の開催が決定すると、その会場とするため、約7万2000人収容の競技場に増改築された。当初は神宮側の要望を受けて、高さを抑えつつ、左右対称の造形だったが、絵画館側のスタンドを三日月形に拡張し、バックスタンドの聖火台頂部で33メートルの高さとなっている。なお、2000年(平成12)ころから大規模な音楽コンサートやイベントなどの利用も増えていた。2010年にJSCは耐震改修基本計画を外部に委託していたが、翌年に2020年オリンピック東京大会の招致活動が決まると、建て替えに向けて計画が変更される。その結果、2014年に閉場となり、2015年に解体工事が完了した。
新しい国立競技場をめぐっては、メディアの激しい批判が契機となって、設計者の選定をやり直すという、日本の国立施設として未曽有の事態が発生している。まず、2012年7月に国際デザイン競技の作品募集を開始し、同年の11月、審査委員会において、前衛的な作風で知られる世界的な建築家ザハ・ハディドによるザハ・ハディド・アーキテクツ案が最優秀案に決定された。コンピュータを駆使した設計を前提とする、その未来的なデザインは大きな注目を集め、招致のプレゼンテーションでも貢献し、2013年9月、IOC総会において東京でのオリンピック開催が決定する。しかし、そのころから、日本の建築界では景観を阻害する大きさや過剰なプログラムなど、コンペの与件への批判が巻き起こり、一般のメディアも総工費が高いことを報道したことを受けて、「ザハ・ハディド・アーキテクツ+設計JV」によって、コンパクト化した減額案が公表された。結局、それでも批判がやまず、最終的に2015年7月、安倍晋三首相(当時)が白紙撤回を表明する。これだけ世間の注目を浴びた建築コンペが迷走したことは、かつてなかった。ちなみに、この時点では、4000枚以上の設計図がそろい、すでに構造性能評価書や避難安全性能評価書を取得しており、確認申請を行えば、すぐに着工できる状態だった。また設計案のキャンセルに伴い、2019年のラグビー・ワールドカップ日本大会までに、8万人収容の国内最大の競技場を完成させるという当初の計画は、間に合わなくなった。
その後、設計施工を一体化するデザイン・ビルドの形式によって、2015年に仕切り直しのコンペが開催された。これには2グループのみが応募し、同年12月に軒庇(のきびさし)に細いルーバー(縦格子)を反復する大成建設・梓(あずさ)設計・隈研吾(くまけんご)のA案が、木造の巨大列柱をもつ伊東豊雄(とよお)らのB案に勝利し、2019年11月に竣工する。完成した国立競技場は、「杜(もり)のスタジアム」とよばれるように、構造、外観、内装において、木を積極的に使うことによって、日本的なデザインを強調したことが大きな特徴である。設計チームの隈は、東京大学教授の建築家であり、「和の大家」として活躍し、木やルーバーを多用するデザインを国立競技場でも試みた。たとえば、木と鉄骨を組み合わせたハイブリッドなトラス構造の屋根、47都道府県から杉材を集めて、それぞれの方位にあわせて配置した庇のルーバーなどである。また深い軒、水平性が強いデザイン、線の細さなどは、日本の伝統建築を連想させる。環境面での工夫としては、風の大庇や風のテラスから空気を呼び込むこと、屋根の一部をルーバー付きのガラスにして自然光を採り入れること、雨水利用や太陽電池の導入など、自然のエネルギーを活用している。そして観客席には、五色のアースカラーをモザイク状に配置し、森の木漏れ日をイメージした。収容人員は6万8000人。なお、2020年(令和2)は世界が新型コロナウイルス感染症(COVID(コビッド)-19)の流行に見舞われ、オリンピックは1年延期となり、2021年はオリンピック史上初の無観客試合として開催された。巨大な施設であるために、年間の維持費用が24億円になる見通しのため、今後いかに活用していくかが課題となっている。
[五十嵐太郎 2022年9月21日]
『片木篤著『オリンピック・シティ東京 1940・1964』(2010・河出書房新社)』▽『後藤健生著『国立競技場の100年――明治神宮外苑から見る日本の近代スポーツ』(2013・ミネルヴァ書房)』▽『日経アーキテクチュア編『「新国立」破綻の構図――当事者が語る内幕』(2015・日経BP)』
〈国立競技場法〉によって,1958年4月設立された政府全額出資の特殊法人。この法人は霞ヶ丘競技場(陸上競技場,庭球場,秩父宮ラグビー場),代々木競技場(第1,第2体育館),大倉山ジャンプ競技場,西が丘競技場,戸田艇庫などの体育施設およびその付属施設の運営・管理にあたるとともに,体育,スポーツに関する内外の資料の収集・整理・保存に努めるなど,体育の普及振興のために必要な事業を行っている。86年に同法人は日本学校健康会と統合して日本体育・学校健康センターとなり,さらに2003年に独立行政法人・日本スポーツ振興センターに改組された。なお,一般的には東京オリンピック大会(1964)の開・閉会式の会場にあてられた〈霞ヶ丘陸上競技場〉の別称としても知られている。
→競技場
執筆者:富岡 元信
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…現在の大規模な競技場としてはロンドンのウェンブレー競技場(収容能力12万6000人),ロサンゼルス・コロシアム(10万5000人),ルーズニキ競技場(旧レーニン中央スタジアム,10万3000人)などが有名である。ちなみに東京オリンピックの主会場となった霞ヶ丘陸上競技場(国立競技場)の座席数はおよそ5万席である。 このような観覧席を備えた競技場は,競技用のスペースをすり鉢形の観覧席で取り囲むのが一般的な形状となっている。…
※「国立競技場」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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