ポンセ

デジタル大辞泉 「ポンセ」の意味・読み・例文・類語

ポンセ(Ponce)

米国領プエルトリコ南部の都市。サンフアンに次ぐプエルトリコ島第2の規模をもつ。17世紀末、スペイン探検家でプエルトリコを統治したポンセ=デ=レオンの孫が建設。スペイン植民地時代のバロック様式大聖堂や、19世紀末の万国博覧会で建てられたビクトリア様式の木造建築パルケ‐デ‐ボンパスなどがある。

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百科事典マイペディア 「ポンセ」の意味・わかりやすい解説

ポンセ

フィリピンの改革運動家,革命運動家。ルソン島中部のブラカン州パリワグの裕福な家庭に生まれ,1887年スペインのマドリード中央大学に留学し医学を学んだ。1880年代初頭スペイン支配下のフィリピンで開始されたプロパガンダ運動と呼ばれるフィリピン改革運動は,スペインでも留学生や亡命者の間で展開されており,ポンセもこれに加わった。1889年スペインでの運動の機関紙《ソリダリダッド相互扶助)》の創刊に携わり,途中から編集長になった同郷のデル・ピラールの右腕として,1895年の終刊まで同紙を支えた。1896年デル・ピラールを失うと香港に移り,折しも勃発したフィリピン革命を支援,亡命者とともに革命期成会を結成し,1898年6月アギナルドの率いる革命政府の要請で武器弾薬を調達するため日本に派遣された。日本亡命中の孫文の紹介で宮崎滔天犬養毅らの協力を得,陸軍参謀本部から武器の払下げを受け,これを布引丸に積載し長崎港を出港させたが,上海沖で台風のため沈没,革命軍の手には届かなかった。革命軍の敗北で米国の統治が始まると,1910年−1912年フィリピン議会議員を務めた。

ポンセ

プエルト・リコ島南岸の港湾都市。同島第2の都市で,南部の中心。かつては砂糖の積出港として知られ,現在はカリブ海域の輸送センターの役割を果たしている。スペイン植民地時代の面影をとどめる中心部が修復され,歩行者区域になっている。18万5276人(2005)。

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改訂新版 世界大百科事典 「ポンセ」の意味・わかりやすい解説

ポンセ
Mariano Ponce
生没年:1863-1918

フィリピンの改革運動家,革命運動家。ルソン島中部のブラカン州バリワグ町の富裕な家庭に生まれ,1887年にスペインのマドリード中央大学に留学して医学を修めた。スペインで展開中のフィリピン改革運動に参加し,同郷のデル・ピラールの右腕として機関紙《ソリダリダッド》の発行を創刊から終刊まで支え,自らもこれに多くの執筆を行った。96年7月盟友デル・ピラールを失い,ホンコンに移った。ちょうどこのときフィリピン革命が勃発したので支援の運動に参加した。98年6月には革命政府大統領アギナルドの要請で武器,弾薬を購入するために訪日し,日本亡命中の孫文や犬養毅らの協力で陸軍参謀本部から武器,弾薬の購入には成功したが,輸送に当たった布引丸が中国の寧波沖で沈没し(布引丸事件),革命政府の手には届かなかった。アメリカ統治下に入って,フィリピン議会議員を1期(1910-12)務めた。
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ポンセ
Ponce

カリブ海にあるプエルト・リコ島の南部に位置するこの島第2の都市。人口18万2387(2005)。島南部地域の中心都市であり,スペイン植民地時代の面影を色濃く残しており,〈南の真珠〉とも呼ばれる。南側にはポンセ港があり,かつては砂糖の積出港として知られ,今はカリブ海域の海上輸送センターの役割を果たしている。ラム酒工場が有名なほか,現在は石油化学工業地帯が付近に形成されている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ポンセ」の意味・わかりやすい解説

ポンセ
Ponce

西インド諸島中部,アメリカ合衆国自治領プエルトリコ南部の都市。プエルトリコ南部最大の都市で,首都サンフアンの南西約 70km,セントラル山脈中部南斜面から海岸平野にかけて位置する。 17世紀後半スペイン人が建設。平野部ではサトウキビ,コーヒー,カカオ,果樹などが栽培される。主要工業は缶詰,製糖,セメント,製紙,製靴,繊維,ラム酒,電気機器などで,西郊には製油所もある。市内にはサンタマリア大学,プエルトリコ・カトリック大学,美術館などの教育・文化施設があり,スペイン風の古い家や聖堂も多い。島内各地と道路で連絡し,サンフアンとの間には定期航空便が運航。人口 18万 7749 (1990) 。

ポンセ
Ponce, Manuel Maria

[生]1882.12.8. フレスニヨ
[没]1948.4.24. メキシコシティー
メキシコの作曲家。ボローニャとベルリンで作曲とピアノを学び,1906年メキシコシティー音楽院の教師となる。 25年パリに留学して P.デュカに師事,その後は作曲に専念。民族音楽の香りと新古典主義的作風を融合した器楽曲によって知られる。

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ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者) 「ポンセ」の解説

ポンセ

メキシコの作曲家。交響詩やヴァイオリン協奏曲の他、ピアノ曲や歌曲、ギター作品を作曲した。ロマン派に位置づけられるような作風に始まり、徐々に民族的要素を近代風に採り入れていった。10代の時にアグアスカ ...続き

出典 (社)全日本ピアノ指導者協会ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「ポンセ」の解説

ポンセ Ponce, Mariano

1863-1918 フィリピンの革命運動家。
明治31年(1898)アメリカ軍とたたかうフィリピン革命政府の要請で武器・弾薬調達のため来日。日本亡命中の孫文や犬養毅(いぬかい-つよし)らの協力でその購入に成功したが,32年輸送にあたった布引丸が沈没し失敗(布引丸事件)。のちアメリカ統治下でフィリピン議会議員をつとめた。享年55歳。ルソン島出身。

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世界大百科事典(旧版)内のポンセの言及

【布引丸事件】より

…1899年7月,フィリピン革命を支援するため武器,弾薬および日本人志士を日本からフィリピンへ送ろうとして失敗した事件。フィリピン革命政府は1898年6月以来,M.ポンセ,F.リチャウコらの代表を日本に送って武器,弾薬の調達と日本政府の支援を求める工作を行った。ポンセは日本亡命中の孫文を介して宮崎滔天,犬養毅らアジア解放に関心を抱く日本人グループを知り,彼らの協力で陸軍参謀本部から使い古された村田銃などの武器および弾薬を払い下げてもらうことに成功した。…

【フィリピン】より

…しかし,アメリカの真意がフィリピン占領にあることを知った革命軍は,独力でフィリピン全土の解放を目ざした。 98年6月,革命政府はM.ポンセ,F.リチャウコの2人を日本へ派遣して,武器,弾薬の調達と日本の支援獲得に当たらせた。日本の軍部は当初より,フィリピン革命へ介入する機会をうかがっていたが,日本政府はアメリカのフィリピン介入に対して局外中立の立場を表明していたので,日本軍部から武器を購入しようとするポンセらの交渉は難航した。…

※「ポンセ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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