日本大百科全書(ニッポニカ) 「マカベア戦争」の意味・わかりやすい解説
マカベア戦争
まかべあせんそう
Macabean war
シリア王国(セレウコス朝)のヘレニズム化政策に反対したユダヤ人の反乱。シリア王アンティオコス4世(在位前175~前163)が、紀元前167年にエルサレム神殿にゼウスやオリンポスの神を導入し、ユダヤ教禁止令を発布した。ヘレニズム化強行を企てたのに対して、ユダヤ人ハスィディーム(敬虔(けいけん)主義者)がハスモン家のマッタティアス(マカベア、マッタテヤとも)を指導者として、アンティオコス4世の圧政・宗教弾圧に対して反乱を起こした。前166年マッタティアスが病死すると、前160年までは三男のイェフダ(ユダス・マッカバイオス)が、前142年まではその弟ヨナタンが反乱を指導し、戦いを続行。前142年、ヨナタンの後を継いだシモンに対し、シリア王デメトリオス2世(在位前145~前140、前129~前125)は朝貢の義務を免除し、ユダヤ人の政治的・宗教的自由の独立を認め、反乱は終結した。前140年、シモンは、エルサレムに招集された「大集会」において大祭司、民族支配者、ユダヤ軍最高司令官に任命され、ユダ王国滅亡以来450年余、ユダヤ人はハスモン家のもとに独立国家を回復した。
[高橋正男 2018年4月18日]