日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
マゾリーノ・ダ・パニカーレ
まぞりーのだぱにかーれ
Masolino da Panicale
(1383―1447ころ)
イタリアの画家。本名Tommaso di Cristofano Fini。バルダルノのパニカーレに生まれる。バザーリはその『美術家列伝』のなかで、彼をマサッチョの師匠とみなしているが、事実は同郷の先輩で10年以上も年長でありながら、彼のほうがむしろマサッチョから感化されるところがあったと考えられている。1403~07年ごろ、フィレンツェ洗礼堂の青銅門扉制作中のギベルティのもとで働いていたことがあり、その時期に、彼の絵画を特徴づける国際的ゴシック様式に傾倒したようである。その後フィレンツェの画家組合に加入する23年ころまでの消息は不明であるが、この年の『聖母子』(ブレーメン美術館)にはロレンツォ・モナコの影響が顕著に認められる。
1427年にハンガリーに赴くが、それ以前からサンタ・マリア・デル・カルミネ聖堂ブランカッチ礼拝堂の壁画を手がけており、まもなく帰国して、共同制作者マサッチョの死後、サン・クレメンテ聖堂の装飾のためローマへ出かけるまでの間(1428~30ころ)にも同礼拝堂で制作に従事したようである。2人の分担部分の識別がいまなおむずかしいのは、マゾリーノによってマサッチョの画風がかなり忠実に踏襲されたためである。その後、枢機卿(すうききょう)ブランダ・カスティリオーネに要請され、コモ湖に近いカスティリオーネ・オローナの参事会聖堂と洗礼堂に『聖母マリアの生涯』および『洗礼者ヨハネの生涯』を描いたが、前者には署名が、後者には1435年の制作時が銘記されている。没年は不明であるが、1447年以後の消息を裏づける資料はない。
[濱谷勝也]