アトラス山脈北側の平地に位置するモロッコ中南部の都市。同名県の県都。アラブ名はマッラークシュMarrākush。人口106万8000(2003)。1070年ころ,ユースフ・ブン・ターシュフィーンによってムラービト朝(1056-1147)の都として建設された。王朝の発展,とくにスペイン征服とともに,サハラ砂漠と北アフリカ,スペインを結ぶキャラバン交易をはじめ商工業,文化が栄えた。続くムワッヒド朝(1130-1269)もここを都とし,市街地の拡大,庭園,クトゥビーヤ・モスクなどを建設,イブン・ルシュドら多数の学者が来住し,学問研究の中心地ともなった。その後,16~17世紀にサード朝(1549-1659)の都として一時期栄えたが,政権抗争の地になることが多く破壊も進んだ。現在,町は新市街と赤土の城壁の旧市街からなる。旧市街の中心はジャマーア・アルファナー(〈殺しの広場〉の意)で,店小屋,軽業師,ヘビ使いなどの大道芸人の集まる観光名所であるとともに,遠方へのバスの発着点でもある。現在は鍛冶,織物,なめし革などの伝統的手工業以外に目だった産業はないが,観光と近郊農産物の市場としてにぎわっている。
執筆者:私市 正年
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アフリカ北部、モロッコ南西部の都市。カサブランカの南238キロメートル。アトラス山脈北麓(ほくろく)のハウズ平野に位置する。人口74万5541(1994)、市域の人口97万8045(2014推計)。同国南部の中心となるオアシス都市で、山地と平野を結ぶ農産物の集散地として商業活動が盛んである。皮製品製造、織物の伝統工芸やセメント、食品加工の近代工業もある。歴史は古く、1062年ベルベル人による最初のマグレブ統一王国ムラービト朝の首都として建設された。12世紀にこれを滅ぼしたムワッヒド朝下でも首都として栄えた。その後も王家の居住地となることが多く、マグレブ地方におけるイスラム文化・学術の中心地の役割を果たした。またサハラ砂漠を横断する隊商路のかつての北の基点であった。この地域特有の赤い城壁で囲まれた旧市街メディナには古い王宮、廟墓(びょうぼ)、モスク、神学校(マドラサ)、市場(スーク)、職人街、ジェマ・エル・フナ広場などがある。この地域は1985年に世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。フランス人のつくった新市街ゲリーズはその西にある。冬でも暖かく、国際的な観光地になっている。
[藤井宏志]
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モロッコ中南部の内陸に位置する都市。1070年頃ムラービト朝の都として建設され,ムワッヒド朝,さらにサード朝でも都とされた。南にベルベル人の居住するアトラス山地を控え,アラブとベルベルとが混ざり合う拠点都市として発展,独特の文化や風俗,習慣を生み出してきた。フナー広場を中心に観光の拠点になっている。
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