ミニェ(読み)みにぇ(英語表記)François Auguste Marie Mignet

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ミニェ」の意味・わかりやすい解説

ミニェ
みにぇ
François Auguste Marie Mignet
(1796―1884)

フランスの歴史家。南フランスのエクスに生まれる。パリに出て、ジャーナリストとなった。『ナシオナル(国民)』紙でチエールと伍(ご)し、復古王政期のユルトラ(極右派)に抗して、自由主義と議会制民主主義を鼓吹した。チエール同様、歴史に筆を染め、1824年に『フランス革命史』を著した。同書はチエールの革命史とともに、最初の本格的で客観的な革命叙述書の評が高い。ジャーナリズムで鍛え上げた人物と世相に対する識見を軸に、国民議会の成立からナポレオン帝政の終末までを、主として檜(ひのき)舞台の動静から描いた正史といえる。議会の弁論や議員の箴言(しんげん)や回想を織りまぜて、事件の突発性を丹念に追いつつ、事態の帰結因果の線だけで追求した印象が強く、サント・ブーブやミシュレから「必然史派」の異名を受けた。1830年、7月革命のきっかけとなる新聞人の政府抗議文に積極的に署名。革命後、外交文書の担当官として国務相に列したが、48年に辞任。ひたすら書斎に閉じこもり、歴史の研究に没頭した。主書に『スペイン継承戦争序章』(1843)、『メアリー・スチュアートの歴史』(1851)、『フランソア1世とカール5世交戦史』(1875)がある。

[金澤 誠]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ミニェ」の意味・わかりやすい解説

ミニェ
Mignet, François (-Auguste-Marie)

[生]1796.5.8. エクサンプロバンス
[没]1884.3.24. パリ
フランスの歴史家。アビニョンで学び,1815年教授となる。 18年弁護士になり,24年大著『フランス革命史』 Histoire de la révolution françaiseを発表。次いで新聞記者となり,王政復古期の 30年 L.ティエールとともに『ナショナル』 National紙を創刊,編集。七月王政下でコンセイユ・デタの委員,外務省文書局長をつとめたが,48年辞任,以後 17~18世紀の研究に専念。史料集『ルイ 14世治下スペイン王位継承に関する外交文書』 Négociations relatives à la succession d'Espagne sous Louis XIV (4巻,1836~44) ,『フランソア1世とカルル5世の戦い』 Histoire de la rivalité de François Ier et Charles-Quint (75) 。アカデミー・フランセーズ会員。

ミニエ
Minié, Claude-Étienne

[生]1804.2.13. パリ
[没]1879.12.14. パリ
フランスの軍人で兵器発明家。応召兵として入隊し,1858年陸軍大佐で退役。1849年大尉だった頃,弾底部が中空の尖頭長円形のミニエ弾を発明し,その弾丸を用いる施条銃を開発した。ミニエ弾はイギリスで賞金を受け,1852年フランス軍に採用された。この弾丸は精確度と射程において画期的進歩をもたらし,薬莢つき弾丸ができるまでヨーロッパとアメリカで広く用いられた。

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367日誕生日大事典 「ミニェ」の解説

ミニェ

生年月日:1796年5月8日
フランスの歴史家
1884年没

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