ギリシア本土,ペロポネソス半島北東部のアルゴリス地方にあるミュケナイ文明期の重要遺跡。ミケーネとも呼びならわされ,現代ギリシア語の発音ではミキーネ。近代ギリシアの独立後,1837年にアテネ考古学協会が設立され,41年に協会の一幹部が同協会の事業として試みたのがミュケナイ発掘の最初である。次いで74年に,前年トロイアにおいて〈プリアモスの財宝〉を掘り当てていたシュリーマンがアクロポリスにおいて34ヵ所の試掘を行った。本格的な発掘は76年城門内の円形墓域において行われ,5基の竪穴墓から黄金の仮面をはじめとする大量の黄金製品と青銅刀剣類その他の副葬品が出土した。翌年P.スタマタキスはさらにもう1基の竪穴墓をこの円形墓域において発見した。王宮や周辺の墳墓の学術的発掘と研究は84年から1902年まで同遺跡の発掘に従事したC.トゥンダスによって遂行され,彼は1893年に《ミュケナイとミュケナイ文明》を公刊した。発掘はその後,A.J.B.ウェース,W.テーラー,I.パパディミトリウ,G.E.ミロナスにより継承され,現在に至っている。
シュリーマンの城門内の円形墓域の発掘は〈黄金に富む(ポリュクリュソイ)〉というホメロスにあるミュケナイの枕詞を実証しえたかに見えたが,その実は,シュリーマンの期待したように前13世紀のトロイア戦争時代のものではなく,さらに3世紀も古い前16世紀の遺品であることがその後の研究で判明した。そればかりか,1952年城門外の〈クリュタイムネストラの墓〉修復の際に偶然新たな円形墓域が発見された。このためシュリーマンの円形墓域をAと命名し,新発見の円形墓域はBと名づけられた。円形墓域Bの多数の竪穴墓からの出土品は,ミュケナイの繁栄が前17世紀にさかのぼり,かつ,ギリシア本土自体の中期青銅器文化の伝統の上に立っての発展であることが,主として土器の様式から判定されるにいたった。しかも,ミュケナイ台頭の時期にはアルゴリス地方のみならず,ペロポネソス半島西部,とくにペリステリア,ピュロス地方においても同様の画期的発展の生じたことが考古学的に実証された。
ミュケナイ文明,ミュケナイ時代という呼称は,発掘者シュリーマンに敬意を表しての命名であるが,ミュケナイ中心主義に陥ってはならない。ミュケナイの墳墓は前述のように前17世紀のものが検出されているが,王宮そのものの考古学的遺構は新しく,キュクロペス様式の城壁とともに前14世紀までしかさかのぼりえない。有名な〈獅子門〉にいたってはミュケナイの歴史の末期に属し,前13世紀半ばに城壁拡張の際建設されたものである。前1200年前後のころ,城壁外の下町や王宮付属の施設が焼き払われ,前12世紀に王宮そのものも崩壊させられた。近年の発掘により,城壁内に聖所と多数の神像(テラコッタ)が発見され,ミュケナイ宗教史にとって貴重な資料を提供している。
→ミュケナイ文明
執筆者:馬場 恵二
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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