ミュッセンブルーク(その他表記)Petrus van Musschenbroek

改訂新版 世界大百科事典 「ミュッセンブルーク」の意味・わかりやすい解説

ミュッセンブルーク
Petrus van Musschenbroek
生没年:1692-1761

オランダ物理学者ライデン大学学び,1715年医学学位を取得した後ロンドンにいき,当地でJ.T.デザギュリエに会いニュートン主義の息吹きに触れた。帰国後19年には哲学の学位も取得,デュースブルク大学,ユトレヒト大学教授を経て,40年以降死ぬまで母校ライデン大学で実験物理学の教授を務めた。剛体の力学,空気の圧力,熱,凝集力,毛管現象,リン光,磁気,電気など広い分野にわたる多くの実験を行い,その装置の大半も自分で考案したが,製作は兄ヤンが担当したようである。電荷をためるための装置,いわゆるライデン瓶の製作でも知られる。また,彼の一連の講義録は帆足万里が《窮理通》を著す際の参考書となった。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ミュッセンブルーク」の意味・わかりやすい解説

ミュッセンブルーク
Musschenbroek, Petrus van

[生]1692.3.14. ライデン
[没]1761.9.19. ライデン
オランダの物理学者。ライデン大学で医学を学び,1717年イギリスに渡って物理学を学んだ。デュースブルク大学教授 (1719) ,ユトレヒト大学教授 (23) ,ライデン大学教授 (40) として数学,自然学,とりわけ実験物理教育に力を入れ,そのすぐれた教科書を通じて当時広く知られた。 25年金属の膨張を利用した高温計発明。 46年ドイツの E.クライスト独立ライデン瓶を発明。主著『自然学要綱』 Beginselen der Naturkunde (39) は,天保7 (1836) 年から帆足万里が編述した『窮理通』のおもな原書である。

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百科事典マイペディア 「ミュッセンブルーク」の意味・わかりやすい解説

ミュッセンブルーク

オランダの物理学者。ライデン大学で医学を学び,のち物理学を研究。1717年渡英してニュートンを知り,その学説をオランダに紹介。1740年ライデン大学教授。1746年ドイツのクライストE.G.v.Kleist〔?-1748〕と独立にライデン壜を考案。著書《Beginsels der Natuurkunde》(1739年)は帆足万里の《窮理通》のおもな参考書。

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世界大百科事典(旧版)内のミュッセンブルークの言及

【窮理通】より

…8巻。J.J.L.deラランドの《天文志》,ミュッセンブルークの《窮理書》その他10余種の原書をもとに暦術,太陽系,地球,引力,生物類の広範囲にわたる学説を網羅し,かつ批判する。同じ豊後で半世紀前に〈条理学〉をとなえた三浦梅園の説が高遠にすぎるので,万里は具体的に〈物に則して理の現れる〉学をめざした。…

【電気】より

…それぞれ,陽電気,陰電気にあたる。次いで1745‐46年に,ドイツのクライストEdwald Georg von Kleist(?‐1748)とオランダのP.vanミュッセンブルークが独立に蓄電器(ライデン瓶)を発明した。これによって,多量の電気を蓄えることができるようになったので,摩擦起電機とあいまって電気学の研究を大いに促進することになった。…

※「ミュッセンブルーク」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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