ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ミリュコーフ」の意味・わかりやすい解説
ミリュコーフ
Milyukov, Pavel Nikolaevich
[没]1943.3.31. エクスレバン
ロシアの歴史家,政治家。モスクワ大学で,P.G.ビノグラドフ,V.O.クリュチェフスキーらに歴史を学ぶ。 1886年より同大学で教壇に立ったが,94年学生運動に関連してリャザンに流された。その後国外に出,ソフィア,シカゴ大学などでロシア史を講じるかたわら,欧米を広く旅行し,先進諸国の民主主義に触れた。第1次ロシア革命の起った 1905年帰国,「解放同盟」などにより活動。次いで「カデット」を組織,その機関紙『言論』 Rech'を編集するなど自由主義的改革を主張。第3,4国会議員。第1次世界大戦に際してはツァーリズム政府の無能無策をきびしく批判したが,戦争遂行そのものには賛成。 17年二月革命が起ると大公ミハイルへの権力委譲を申出るなど君主制の延命をはかったが失敗。革命後は臨時政府の外相に就任したが,戦争継続を連合国側に約束する5月1日 (旧暦4月 18日) 付きの覚え書がもとで,ペトログラードに大抗議行動が起り,5月 15日辞任。十月革命後は白衛軍と行動をともにし,20年より亡命。ロンドン,パリで亡命活動を続けたが,第2次世界大戦ではファシストと協力してソ連邦に対決したロシア人亡命者を批判した。『ロシア文化史概説』 Ocherki po istorii russkoi kul'tury (3巻,1896~1903) ,『第2次ロシア革命史』 Istoriya vtoroi russkoi revolyutsii (3巻,21~24) など多くのロシア史に関する著作を残した。
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