ミリュコーフ(読み)みりゅこーふ(英語表記)Павел Николаевич Милюков/Pavel Nikolaevich Milyukov

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ミリュコーフ」の意味・わかりやすい解説

ミリュコーフ
Milyukov, Pavel Nikolaevich

[生]1859.1.27. モスクワ
[没]1943.3.31. エクスレバン
ロシアの歴史家,政治家。モスクワ大学で,P.G.ビノグラドフ,V.O.クリュチェフスキーらに歴史を学ぶ。 1886年より同大学で教壇に立ったが,94年学生運動に関連してリャザンに流された。その後国外に出,ソフィア,シカゴ大学などでロシア史を講じるかたわら,欧米を広く旅行し,先進諸国の民主主義に触れた。第1次ロシア革命の起った 1905年帰国,「解放同盟」などにより活動。次いで「カデット」を組織,その機関紙『言論』 Rech'を編集するなど自由主義的改革を主張。第3,4国会議員。第1次世界大戦に際してはツァーリズム政府の無能無策をきびしく批判したが,戦争遂行そのものには賛成。 17年二月革命が起ると大公ミハイルへの権力委譲を申出るなど君主制延命をはかったが失敗。革命後は臨時政府の外相に就任したが,戦争継続を連合国側に約束する5月1日 (旧暦4月 18日) 付きの覚え書がもとで,ペトログラードに大抗議行動が起り,5月 15日辞任。十月革命後は白衛軍と行動をともにし,20年より亡命ロンドン,パリで亡命活動を続けたが,第2次世界大戦ではファシストと協力してソ連邦に対決したロシア人亡命者を批判した。『ロシア文化史概説』 Ocherki po istorii russkoi kul'tury (3巻,1896~1903) ,『第2次ロシア革命史』 Istoriya vtoroi russkoi revolyutsii (3巻,21~24) など多くのロシア史に関する著作を残した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ミリュコーフ」の意味・わかりやすい解説

ミリュコーフ
みりゅこーふ
Павел Николаевич Милюков/Pavel Nikolaevich Milyukov
(1859―1943)

ロシアの歴史家、政治家。建築学の教授の子として生まれる。モスクワ大学歴史・哲学科を卒業後、1886年同大学のロシア史の講師を務めた。その歴史観は、師のビノグラドフやクリュチェフスキーら国家学派の影響を受け、『ロシア文化史』全3巻(1896~1903)や『ロシア歴史思想主潮』(1897)を著し、名声を博した。95年学生運動に関係し、その自由主義的思想から大学を追われ、約10年間をアメリカなどで過ごした。1905年の春ロシアに戻り、カデット(立憲民主党)の創設に参画し、機関紙『レーチ』(ことば)の編集長となり、07年からはその中央委員会会長となった。17年の二月革命後、第一次臨時内閣の外相に就任したが、戦争完遂の「覚書」を連合国に送ったところから、労働者、兵士の強い抗議を受けて辞任した。同年の十月革命後はロンドン、ついでフランスに亡命し、反ボリシェビキの立場から著作活動を続けた。ほかに『18世紀第I四半期ロシアの国家経済とピョートル大帝の改革』(1892)、『ロシア歴史思想の主潮』(第二版・1898)、『第二次ロシア革命』全3巻(1921~24)の著書がある。

[外川継男]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

今日のキーワード

マイナ保険証

マイナンバーカードを健康保険証として利用できるようにしたもの。マイナポータルなどで利用登録が必要。令和3年(2021)10月から本格運用開始。マイナンバー保険証。マイナンバーカード健康保険証。...

マイナ保険証の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android