ビノグラドフ(読み)びのぐらどふ(その他表記)Sir Paul Gavrilovich Vinogradoff

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ビノグラドフ」の意味・わかりやすい解説

ビノグラドフ(Sir Paul Gavrilovich Vinogradoff)
びのぐらどふ
Sir Paul Gavrilovich Vinogradoff
(1854―1925)

ロシア生まれのイギリスの中世法制史家。モスクワ近くのコストロマに生まれ、モスクワ大学卒業後ドイツイタリア、イギリスに遊学。帰国後1887年にモスクワ大学歴史学教授となったが、地方自治に関心の高い彼は、教育問題で当局と対立して追放されて渡英

 1903年にオックスフォード大学法学教授に就任。革命後の祖国の自由主義的発展を期待したが、失望して1918年にイギリス国籍を得た。イギリス初期法制史の権威で、ゲルマニスト立場から自由村落共同体の伝統を強調した。著書は『イギリス隷農制』『イギリス荘園(しょうえん)の成立』『11世紀イギリス社会』『慣習と法』『法における常識』など。

[富沢霊岸]

『富沢霊岸・鈴木利章訳『イギリス荘園の成立』(1972・創文社)』『末延三次・伊藤正己訳『法における常識』(岩波文庫)』


ビノグラドフ(Viktor Vladimirovich Vinogradov)
びのぐらどふ
Виктор Владимирович Виноградов/Viktor Vladimirovich Vinogradov
(1894/1895―1969)

ロシアの言語学者、ロシア語学者、文学研究者。モスクワ大学教授のほか、言語学研究所や科学アカデミー・ロシア語研究所の所長、『言語学の諸問題』誌編集長など、多くの要職を務めた。ことに1950年のスターリンによるマール主義批判以降はつねに言語学界の指導者的地位を占め、ソ連時代ロシアの言語学、ロシア語学に及ぼした影響には甚大なものがある。1920年代は、ロシア・フォルマリズム運動にかかわり、ゴーゴリ、ドストエフスキーらに関する文体論研究を発表。その後もプーシキンをはじめ、レールモントフ、トルストイら個々の作家の言語、文体を分析した著書や、『芸術的散文について』(1930)、『文学の言語について』(1959)など文学一般の言語、文体の研究を数多く刊行している。

 言語学の分野の著作も、ロシア語の文法、語形成、語彙(ごい)、語史に関するものを中心にきわめて多く、なかでも『ロシア語――語に関する文法学説』(1947)、『17~19世紀ロシア語史概説』(1934)は代表作にあげられる。また、ソ連時代に入ってからの大部の辞書の編纂(へんさん)には、ほぼすべて関与した。

[桑野 隆 2018年7月20日]


ビノグラドフ(Ivan Matveevich Vinogradov)
びのぐらどふ
Иван Матвеевич Виноградов/Ivan Matveevich Vinogradov
(1891―1983)

ソ連の数学者。1914年ペテルブルグ大学を卒業。ペルム大学、レニングラード工科大学(現、バルト工科大学)を経て、1925年レニングラード大学(現、サンクト・ペテルブルグ大学)教授。1932年ソ連科学アカデミー(現、ロシア科学アカデミー)数学研究所所長。スターリン賞、レーニン勲章を受けた。解析的整数論の分野で業績をあげたが、とくに三角和とよばれるある型の級数の評価を利用するという新しい方法によって、1937年には加法的整数論の問題として有名なゴールドバハChristian Goldbach(1690―1764)の問題を解き、すべての十分に大きい奇数が3個の素数の和の形で表すことができることを示した。またウァリングEdward Waring(1736―1798)の問題についても1959年に優れた解答を与えた。

[栗原 裕]

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改訂新版 世界大百科事典 「ビノグラドフ」の意味・わかりやすい解説

ビノグラドフ
Paul Gavrilovich Vinogradoff
生没年:1854-1925

イギリスの中世史家,法学者。ロシアのコストロマ生れ。モスクワ大学卒業。ドイツ,イタリア,イギリスに留学。とくにイギリスでのF.W.メートランドとの出会いは彼の研究生活を決定した。1889年母校教授。1901年自由主義的立場からの大学改革で文部省と対立し,辞職。渡英し,03年オックスフォード大学法学教授に就任。18年イギリスに帰化。マナー(荘園)研究史上の古典的著作《荘園の発達》(1904),《ブラクトンのノートブック》(1887),《法における常識》(1914)など著書多数。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ビノグラドフ」の意味・わかりやすい解説

ビノグラドフ
Vinogradoff, Sir Paul Gavrilovich

[生]1854.11.30. コストロマ
[没]1925.12.19. パリ
ロシア生れのイギリスの法学者,中世史学者。モスクワ大学に学び,教員生活を経て同大学の教授となった。教授在任中,教育法の革新をはかり,大学の自治の確立,公立小学校の拡充に尽力したが,当局に入れられず,1902年にイギリスに渡った。 03年よりオックスフォード大学法哲学教授。イギリスの歴史法学派の立場を継承。主著『イギリスの農奴制度』 Villainage in England (1892) 。

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百科事典マイペディア 「ビノグラドフ」の意味・わかりやすい解説

ビノグラドフ

英国の中世史家。ロシア生れ。モスクワ大学教授からオックスフォード大学教授に迎えられ,一般自由人学説によってイギリス封建社会の成立に関する定説を確立。主著《イギリス隷農制》《荘園の発達》《11世紀のイギリス社会》。

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