ミリューコフ(その他表記)Pavel Nikolaevich Milyukov

デジタル大辞泉 「ミリューコフ」の意味・読み・例文・類語

ミリューコフ(Pavel Nikolaevich Milyukov)

[1859~1943]ロシアの政治家・歴史学者。1905年、立憲民主党(カデット)の創設に参加、自由主義派を指導。二月革命後に臨時政府外相となったが、ソビエト政権の成立で亡命。著「ロシア文化史概要」など。

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精選版 日本国語大辞典 「ミリューコフ」の意味・読み・例文・類語

ミリューコフ

  1. ( Pavjel Nikolajevič Miljukov パーベル=ニコラエビチ━ ) ロシアの政治家・歴史家。自由主義者として一九〇五年の革命の際、立憲民主党を組織し、議会主義を主張。十月革命後ソビエト政権に反対して白衛軍に加わり、のち国外に移住。主著「ロシア文化史概要」三巻。(一八五九‐一九四三)

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旺文社世界史事典 三訂版 「ミリューコフ」の解説

ミリューコフ
Pavel Nikolaevich Milyukov

1859〜1943
ロシアの政治家・歴史家
自由主義者で,モスクワ大学の教壇を追われたが,1905年カデット(立憲民主党)を組織して国会で活躍。三月革命後,第1次リヴォフ内閣の外相となる。十一月革命後,反革命運動を行って失敗し,パリに亡命。

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367日誕生日大事典 「ミリューコフ」の解説

ミリューコフ

生年月日:1859年1月27日
ロシアの歴史家,政治家
1943年没

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