ムパシェーレ(英語表記)Mphahlele, Es'kia

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ムパシェーレ」の意味・わかりやすい解説

ムパシェーレ
Mphahlele, Es'kia

[生]1919.12.17. 南アフリカ連邦,マラバスタド
[没]2008.10.27. 南アフリカ共和国,レボワコモ
アフリカ共和国の作家。本名 Ezekiel Mphahlele。1977年以降 Es'kiaを使用。ソト族(→ソト諸族)出身。英語で執筆。首都プレトリアスラムで生まれ,苦学してヨハネスブルクの名門校セント・ピーターズ中学校,ナタール州のアダムズ・カレッジを卒業,高等学校教師となった。1952年に制定されたバンツー教育法に反対して同年解雇され,教員資格も剥奪された。1955年,ヨハネスブルクで文芸誌『ドラム』の文芸担当の編集者となり,この頃から短編を次々に発表。そのかたわら南アフリカ大学で学士号と修士号を取得。1957年,家族を連れてナイジェリア亡命。この間の事情は,自伝文学の傑作と評価の高い『わが苦悩の町2番通り――アパルトヘイト下の魂の記録』Down Second Avenue(1959)に詳しい。ナイジェリアでは,イバダン大学で教えながら作家・芸術家のサロン「ムバリ・クラブ」の創設に加わり,文芸誌『ブラック・オルフェウス』の編集にも参画した。さらにナイロビに渡り,ここでも文化芸術運動「チェムチェミ」を興した。1961年渡仏して,文化の自由会議のアフリカ担当理事に就任,アフリカ文化の普及顕揚に努めた。1966年渡米,デンバー大学やペンシルバニア州立大学で教え,1977年帰国してヨハネスブルクのウィットウォーターズランド大学教授となる。1987年,同大学名誉教授。作品には人種問題をテーマにしたものが多い。『生ける者,死せる者』The Living and Dead(1961),『アフリカのイメージ』The African Image(1962)などの代表作のほか,小説『放浪者たち』The Wanderers(1971)でノーベル文学賞候補にもなった。短編集『途切れない歌』The Unbroken Song(1981)など多数。レオポルド・セダール・サンゴールなどが主唱したネグリチュード文学運動の意義を問う代表的論者の一人でもあった。(→アパルトヘイトアフリカ文学南アフリカ文学

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ムパシェーレ」の意味・わかりやすい解説

ムパシェーレ
むぱしぇーれ
Es'kia Mphahlele
(1919―2008)

南アフリカ共和国、ソト・ランド出身の小説家、文芸評論家。旧名はEzekiel。プレトリアのスラム街で生まれ、貧困と闘いながら1940年にアダムズ・カレッジで教員資格を取得。ヨハネスバーグの高校に勤務し、教員組合書記長としてバントゥー教育法反対闘争を指導して1952年に解雇され、同時に教職追放処分を受けた。転々と職を変え、雑誌『ドラム』の編集に従事しながら、1957年に南アフリカ大学で修士号を取得、短編小説を雑誌に発表。1957年にナイジェリアへ亡命するまでの貧困と差別に満ちた生い立ちは自伝『二番街にて』(1959)に詳しい。ナイジェリアでは、イバダン大学で教え、ムバリ作家芸術家クラブの創設と文芸誌『ブラック・オーフューズ』の編集に加わった。のちにパリとケニアではチエムチエミ文化センター理事として、アフリカの伝統文化の顕彰に力を尽くした。1966年にアメリカに渡り、1968年にデンバー大学で博士号を取得、デンバー大学、ペンシルベニア大学などで教鞭(きょうべん)をとり、1977年に南アに帰国、ウィツウォータズランド(ウィトワーテルスランド)大学アフリカ文学科教授となった。1987年同大学を退官、名誉教授となり、アフリカの口承詩をはじめ、アフリカの伝統文化を記録に留める作業に打ち込む。作品に短編小説集『人は生きねばならぬ』(1947)、『生者と死者』(1961)、『不壊(ふえ)の歌』(1981)、『復活の時』(1988)、自伝的小説『流浪者たち』(1971)、『帰ってきて!父(とう)さん』(1984)、長編小説『チルンドウ』(1979)、評論集に『アフリカのイメージ』(1962。改訂版1974)、『旋風の中の声』(1972)、1957年から1983年までの亡命生活をつづった自伝『アフリカ、わが音楽』(1984)などがある。なお日本ではムファレレと表記されたこともある。

[土屋 哲]

『土屋哲訳『草原の子マレディ』(岩波少年文庫)』

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