ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ムパシェーレ」の意味・わかりやすい解説
ムパシェーレ
Mphahlele, Es'kia
[没]2008.10.27. 南アフリカ共和国,レボワコモ
南アフリカ共和国の作家。本名 Ezekiel Mphahlele。1977年以降 Es'kiaを使用。ソト族(→ソト諸族)出身。英語で執筆。首都プレトリアのスラムで生まれ,苦学してヨハネスブルクの名門校セント・ピーターズ中学校,ナタール州のアダムズ・カレッジを卒業,高等学校教師となった。1952年に制定されたバンツー教育法に反対して同年解雇され,教員資格も剥奪された。1955年,ヨハネスブルクで文芸誌『ドラム』の文芸担当の編集者となり,この頃から短編を次々に発表。そのかたわら南アフリカ大学で学士号と修士号を取得。1957年,家族を連れてナイジェリアに亡命。この間の事情は,自伝文学の傑作と評価の高い『わが苦悩の町2番通り――アパルトヘイト下の魂の記録』Down Second Avenue(1959)に詳しい。ナイジェリアでは,イバダン大学で教えながら作家・芸術家のサロン「ムバリ・クラブ」の創設に加わり,文芸誌『ブラック・オルフェウス』の編集にも参画した。さらにナイロビに渡り,ここでも文化芸術運動「チェムチェミ」を興した。1961年渡仏して,文化の自由会議のアフリカ担当理事に就任,アフリカ文化の普及と顕揚に努めた。1966年渡米,デンバー大学やペンシルバニア州立大学で教え,1977年帰国してヨハネスブルクのウィットウォーターズランド大学教授となる。1987年,同大学名誉教授。作品には人種問題をテーマにしたものが多い。『生ける者,死せる者』The Living and Dead(1961),『アフリカのイメージ』The African Image(1962)などの代表作のほか,小説『放浪者たち』The Wanderers(1971)でノーベル文学賞候補にもなった。短編集『途切れない歌』The Unbroken Song(1981)など多数。レオポルド・セダール・サンゴールなどが主唱したネグリチュード文学運動の意義を問う代表的論者の一人でもあった。(→アパルトヘイト,アフリカ文学,南アフリカ文学)
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