大高正人(読み)おおたかまさと

日本大百科全書(ニッポニカ) 「大高正人」の意味・わかりやすい解説

大高正人
おおたかまさと
(1923―2010)

建築家。福島県に生まれる。1947年(昭和22)東京大学工学部建築学科卒業。1949年同修士課程を修了し、前川国男建築設計事務所に入所。福島県教育会館(1956)、晴海高層アパート(1958、東京都)、東京文化会館(1961)などの計画において、前川事務所で中心的な役割を果たした。

 1956年、建築設計体制の変革旗印に若手建築家・評論家らが結成した「五期会」に加わる。1960年に開かれた世界デザイン会議では、「メタボリズム・グループ」に最年長のメンバーとして名を連ね、槇文彦と共同で「人工土地」の考え方にもとづき、「群造形」をコンセプトとした立体的な再開発計画を提案した。

 1961年に前川事務所を退所し、翌1962年大高正人設計事務所を開設。住宅密集地区の再開発計画である坂出(さかいで)人工土地(1966~1985、香川県)において、かねてから提唱してきた「人工土地」の概念を具体化させる。人工地盤を地上6~9メートルに設けて、その上に住戸棟を配置し、下を商店街や駐車場として、地上部を公共のために開放した。この再開発計画は1967年に日本都市計画学会石川賞を受けるなど、大きな話題を呼ぶ。計画は4期20年にわたって継続した。

 1968年から計画が始まった広島県中区基(もと)町・長寿園集合住宅(1976)もまた、建築を通じた社会改良の実践である。3000戸の高層アパート群を中心に、さまざまな施設が計画された。建物を雁行(がんこう)させ、連結した屋上や人工土地上に緑地帯を設けて、画一的にならぬように配慮した。1960年代を通じて、花泉町農協会館(1965、岩手県、現JAいわて南)、新居浜(にいはま)農協会館(1967、愛媛県)など、複数の農協建築を手がけ、それらの施設が地域の核となるような新たな提案を盛り込んだ。

 千葉県文化会館(1967。建築学会賞)は、周辺の文化施設群の中心として、全体計画とともに担当した。道路や地形といった都市計画と建築物との融合がはかられている。隣接する千葉県立中央図書館(1969)では、プレキャストコンクリートを広く採用して、前川事務所時代から都市計画と並んで重視してきたプレファブリケーション(あらかじめ工場生産された部材を現場で組み立てる工法)の考えを前面に押し出している。プレファブリケーションのシステムは、栃木県議会議事堂(1970。芸術選奨文部大臣賞)において、さらに展開された。

 以後も公共建築を中心に手がけ、群馬県立歴史博物館(1979。毎日芸術賞)や福島県立美術館(1984)は勾配屋根を用いた温和な表情をもち、隣接した文化施設との意匠的連続性も考えられている。都市計画としては、1960年代なかばからマスタープランに関わった多摩ニュータウン(東京都)をはじめ、つくばセンター(茨城県)やみなとみらい21(神奈川県横浜市)などがある。1988年紫綬褒章受章。

[倉方俊輔]

『栗田勇監修『現代日本建築家全集18 大谷幸夫・大高正人』(1970・三一書房)』『八束はじめ・吉松秀樹著『メタボリズム 一九六〇年代――日本の建築アヴァンギャルド』(1997・INAX出版)』


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