インドネシア、スラウェシ(セレベス)島北部の港湾都市。ミナハサ半島の先端近くに位置し、セレベス海に臨む。北スラウェシ州の州都。人口37万2887(2000)、42万7409(2018推計)。南方のマカッサルに対し、スラウェシ島北半部の政治、経済、文化の中心地をなす。メナドの名は湾内の小島マナロから転じたものという。マナドManadoともいう。港は北東―南西のモンスーンに対しても安全な錨地(びょうち)をつくる天然の良港である。住民の大部分を占めるミナハサ人は古くからのキリスト教徒で、ほかに中国系、アラブ系の居住者も多い。近世にはモルッカ諸島への中継地として、まずスペイン人が来航し、ついで1657年にオランダ人がアムステルダム要塞(ようさい)を築いた。幅広い通りには街路樹が茂り、海岸沿いの南側は官庁、教会、住宅区域で、アムステルダム要塞の跡が残っている。中央部のウェナンの丘は公園で、西側はにぎやかな商業街となっている。コプラ、コーヒーなどのほか、最近は近海漁業の基地ともなっている。国立サム・ラトランギ大学、地方空港が設置されている。
[別技篤彦]
インドネシア,スラウェシ島北部の港市。マナドManadoともいう。北スラウェシ州の州都。人口41万2425(2003)。メナド湾に臨み,同名川の河口に位置する。地名は湾内の小島マナロウから転じたものという。赤道に近く年平均気温25.8℃,年平均降水量2651mmであるが,不健康地ではない。港は東および西の季節風のいずれにも安全である。近世にモルッカ諸島(香料群島)への中継地として,まずスペイン人が来航し,1657年にオランダ人がアムステルダム要塞を築いた。市街は美しい並木道が走り,西部は港,北部は中国人やアラブの居住地,南の海岸沿いはアムステルダム要塞址,教会,官庁,住宅地で,中央部のウェナンの丘は公園となっている。住民の大部分を占めるミナハサ族は古くからキリスト教徒となり,教育程度も高く,国立サム・ラトランギ大学がある。今なおオランダ語が話され,衣服も西洋風のものが多い。地方物産の集散のほか,最近は真珠養殖や近海漁業の基地ともなっている。地方空港もある。
執筆者:別技 篤彦
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「マナド」のページをご覧ください。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…米,トウモロコシ,豆類など各種農産物がつくられ,ウジュン・パンダン北方では水力開発も進んでいる。これに対しもう一つの中心は,メナドを中心とする北東部のミナハサ地方で,コプラ,木材の生産が多く,近年は沿岸漁業の基地にもなっている。これら二つの地域を除くと,島の大部分はまだ人口希薄であるが,インドネシアの新しい開拓地でもあり,近年は地下資源の豊富な埋蔵(特にニッケル,鉄鉱)も確認され,将来の開発の可能性は大きい。…
※「メナド」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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