東南アジア(南蛮)産の樹木の材質部を原材とする香料の一種。香料には植物の花・実・根・葉・樹脂等のほか,動物質から鉱物まで用いられるが,なかでも古来珍重されてきたのが香木である。日本はもちろん中国にも香木は産出せず,すべて南蛮渡来である。
エジプトでは第5王朝(前2494-前2345),中国でも戦国時代(前430-前221)にすでに香炉が出現しているが,香木がたかれたのではない。中国への香木渡来は仏教とともに漢代に西域を通じてもたらされ,のちには南方から船舶により搬入された。日本にも仏教伝来(6世紀前半)に伴って祭儀用として香木が将来されたと思われるが確証はない。文献としては《日本書紀》推古天皇条に,595年(推古天皇3)に,淡路島に一囲(ひといだき)の〈沈水(じんすい)〉が漂着した,とあるのが初出である。奈良時代は将来された香木は〈異なるもの〉として珍重され,朝廷に献納され,その専有に帰した。《正倉院御物棚別目録》《法隆寺資財帳》《東大寺献物帳》等には,黄熟香(おうじゆくこう),全桟香(ぜんせんこう),沈香(じんこう),沈水香などの名で,香木が麝香(じやこう),コショウ,桂心等の香料とともに香薬として記載されており,また正倉院には黄熟香,全桟香,沈香のほか薫陸香(くんろくこう)(乳香),丁香(丁字花),えび香(調合した防虫芳香剤)等の香料が多量に収蔵されている。香道家はこの黄熟香を蘭奢待(らんじやたい),全桟香を紅塵(こうじん)と香銘で呼んでいるが,いずれも伝説的な天下第一の名香である。平安貴族は香を神仏に供えるのみでなく,日常生活の中で賞美する趣味の対象とし,沈香の粉末のほか各種の香料を調合練り合わせる空薫(空香)物(そらだきもの)(練香)に婉艶華麗な世界をひらき,秘技を競った。香木そのものの美味が求められ,日本的美意識の対象となったのは鎌倉以降である。艶麗な薫物から香木の幽玄に転換したのは香が武家のものとなった結果である。将軍家をはじめ愛好者が増大し,《建武記》の《二条河原落書(首)》に記載がみられる〈茶香十炷(さこうじつちゆう)の寄合〉(10種の茶香を判別する闘茶と聞香の競技)が盛行するほど,大量の沈香が舶来された。香木の微味幽趣を探るため14世紀の末には(銀)葉(ぎんよう)という隔火の具も考案されている。この時代の香木の歴史を語るにあたって逸することのできないのは佐々木道誉(佐々木高氏)で,香木の収集に執念を燃やし,什器,仏像まで香木とあらば割ってたいたという。彼が所持した177種の名香木は死後東山殿の所有に帰したと伝えられる。
香木の名称については,伽羅木(きやらぼく),伽藍木(からんぼく),伽南木(かなんぼく),棋楠(きなん),奇楠(きなん)などと諸書に書かれているが,いずれも伽羅のことで,香木の佳品を総称する場合もある。16世紀天正ころの《建部隆勝筆記》,蜂谷宗悟《香道軌範》,さらに《山上宗二記》等には伽羅,羅国(らこく),真南班(真那蛮)(まなばん),真南賀(真那賀)(まなか)および新伽羅の名称が見え,これに佐曾羅(さそら),寸門多羅(すもんだら)を加えて6種に分類し,これを〈香の六国(りつこく)〉と称した。ただし貿易上は17世紀に入っても沈と伽羅の2名目のみが使用された。六国とは香木の産出国もしくは積出港の地名で,香木の種類に対応すると考えたのであろう。香木の種類を木所(きどころ)といい,六国に加えて,伽羅を古・新に分ければ7種となる。木所の分類は,五味の鑑賞によりまったく経験的になされたものであり,今日でも聞香(もんこう)上はなんらの支障もない。立味は五味で表現する。〈六国五味〉は江戸初期の米川常伯のころには成立していた。現在でも香道家はこの分類を用いている。匂いを形容する詞は和洋を通じてなく,味覚を転用している。また玄妙な香味の表現は至難の技で,流儀により表現に差異がある。
六国五味について伝えられるところを要約すると,伽羅は古伽羅と新伽羅に区別し,新伽羅は樹脂分が多量で華やかな立(たち)があるが,古伽羅では沈潜した幽深の趣があるという。香木の成熟度によるものと考えられる。また伽羅の材質には金糸,糖結の2種があるという。金糸は木目が通っているのに対して,糖結は黒ようかんのごとくねっとりとして木理がわからない。一般には金糸を上質とするが逆の場合もある。いずれにしても日本人に最も珍重される佳薫である。
羅国は明の周嘉冑(しゆうかちゆう)の《香乗》に〈暹羅(シヤム)国羅斛(ラコク)香を産す〉と記されるとおり,シャム産で,清澄なきわめて上品な味である。真那蛮はインド東海岸のマナバル産であるという。真那蛮にも新・古の2種があるという説がある。樹脂が多く六国の中で最も変化が多い。真那伽はもちろんマラッカ産で,五味皆具というが香木のうちでは最も無味,羅国に似たものもある。いずれにしても聞きの難しい香である。佐曾羅は聞きやすいとされ白檀の類と考える向きがあるが,佐曾羅すなわち白檀なのではない。なお白檀はマレー半島,東インドに産するビャクダン科の芳香を発する半寄生樹で,黄味を帯びた白色を呈す。焚香に用いられるとともに,仏像,器具の材となる。香道では静かな品のよい立味のものだけを佐曾羅として用い,茶道では風炉の点前に用いる。赤栴檀(しやくせんだん)や紫藤香(しとうこう)あるいは和木(わぼく)と呼ばれる古材などをも包含する。寸門多羅も音訳で当て字が多い。スマトラと考えられる。独特の立味があり聞きやすいと思われているが,非常にまぎらわしいものもある。曾呂利新左衛門が寸門多羅と断定した臘梅は伽羅に紛れるほどである。
なお,六国のうち,樹脂分の多い伽羅,真那蛮,寸門多羅を陽,油の少ない羅国,真那伽,佐曾羅を陰とする。
香木は一木の全部が香木ではなく,部分的に香木である場合が多い。このゆえに伝来の香木は単なる乾燥した樹木ではなく,ある種類の樹木が長い埋没の間に温度や湿度または土質などの条件により樹脂その他の成分が化学的に変化して香木になったものと推定することもできる。普通香木は木片の形状であるが,なかには巨材もあり,品質は一定ではない。一般には元のほうが末より良品とされる。〈しらた〉と称する腐木のような屑の部分が相当あり,〈太尼(だに)〉と呼ばれる癖のある沈香になりそこなったようなものもある。香木に似ているが,香道の使用にたえないものを〈沈外(じんげ)〉と呼ぶ。
良質の沈香は低温の加熱で十分に発薫するので,特別の名香には葉を2枚重ねて使用することがある。また通常火末(ひずえ)は焦げるなど匂いが変化するが,これを〈すがれ〉と呼ぶ。優品ほど炷(たき)始めから終りまで味が変わることがない。香道では一度たいた香木を再使用することはない。
香木が集まればその比較分類の必要を生じ,個々の区別をするため,立味・形状等により,また故実・古歌にちなんで香銘という雅名を付すこととなる。香銘には出所銘,天体銘,色体銘,貴人銘,故実銘,草花銘,動物銘,文学銘などがある。銘を付けられた香を銘香といい,銘のないものを無銘香という。とくにすぐれたものを〈名香〉と称する。
香道家のあいだで昔から代表的な名香と目されてきた〈六十一種〉は足利義政の命により志野宗信が選定したという伝承があるが,実際には桃山時代の建部隆勝と思われる。ほかに〈百十二種名香〉〈二百種名香〉の香銘録が伝えられているが,それらの成立についてはこれからの研究課題である。いずれにしても江戸時代の初期までに日本に伝来したはずの,これらの香銘録所載の香木以上の良品が皆無なのは事実である。当時の人々の名香に対する渇仰の結果というほかはない。たとえば徳川家康は香を聞いてみずから覚書を記すほどに熱心であり(〈権現様御筆御覚書〉),また南蛮諸王に親書を送り,長崎奉行長谷川左兵衛藤広を派遣して良品の香木を探させている。彼の遺産分配の記録である〈駿府御分物帳〉には他の南蛮渡来の珍品とともに,おびただしい量の沈香木が記されている。
江戸時代の香木,とくに伽羅に対する賛美は庶民にまで広がり,〈なにごとによらずよいものをほめて伽羅と言ひ〉(柳亭種彦《用捨箱》)というありさまであった。このため大量の伽羅を一時にたくがごとき所業は分に過ぎたおごりであり,許すべからざることとされた。たとえば地主石川六兵衛の妻女は徳川綱吉の上野御社参の道で存分に伽羅をたいて,家財没収,江戸十里払に処せられたことが《江戸真砂六十帖》に記されている。
→香道
執筆者:神保 博行
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
著しい芳香を放つ樹脂分を多く含んでいるため、材を削って細片とし、香として焚(た)く薫香料にしたり、仏具、棺(ひつぎ)、扇、櫛(くし)、額縁等や彫刻用材として利用される樹木の総称。香木には熱帯地方特産のものが多く、高価であるが、産地や銘柄によって品質の差が大きい。沈香(じんこう)、白檀(びゃくだん)、竜脳(りゅうのう)などが有名で、平安時代には五香、あるいは名香の素材として大宮人にもてはやされた。
沈香(沈香樹、伽羅(きゃら))は、ジンチョウゲ科の常緑高木ジンコウAquilaria agallochaとされ、その薫香は洋の東西を問わず、きわめて古くから尊ばれてきている。聖書のなかに多くの記述があるし、ナポレオン1世もこれを薫じたという。また、中国では陶弘景(とうこうけい)の『名医別録』などに表れるし、日本では東大寺正倉院所蔵の蘭奢待(らんじゃたい)が有名である。白檀(檀香(だんこう)、栴檀(せんだん))は、ビャクダン科の常緑小高木ビャクダンSantalum albumが真正とされるが、これ以外にも多種類が知られているし、さらにはビャクダン科以外の香木までビャクダンの名でよばれることも少なくない。ビャクダンは古くから宗教との関係が深く、ヒンドゥー教、仏教などでは、木部を奉納物や仏像の彫刻材料とし、粗朶(そだ)は香として焚き、鋸(のこぎり)くずは固形の香に加工されたり、衣料の香、あるいは防虫に用いられてきた。ヒンドゥー教徒は白檀入りの糊(のり)で、カーストの印をつくっているという。竜脳(梅花竜脳)は、フタバガキ科の常緑大高木リュウノウジュDryobalanops aromaticaで、材を水蒸気蒸留して得られる。薫香料のほか、薬用(外用薬など)としても有名である。
このほかの薫香としては、『旧約聖書』の聖香として名高い、没薬(もつやく)(カンラン科のモツヤクジュCommiphora abyssinicaの樹脂)、乳香(にゅうこう)(カンラン科のニュウコウジュBoswellia carteriなどの樹脂)、蘇合香(そごうこう)(マンサク科〈APG分類:フウ科〉のソゴウコウノキLiquidambar orientalisの樹脂)、安息香(あんそくこう)(エゴノキ科のアンソクコウノキStyrax benzoinの樹脂)などがよく知られている。
[加藤 高 2020年9月17日]
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