メーストル(その他表記)Joseph-Marie de Maistre

改訂新版 世界大百科事典 「メーストル」の意味・わかりやすい解説

メーストル
Joseph-Marie de Maistre
生没年:1753か54?-1821

フランスの政治思想家。サボア公国の有力者の家に生まれる。厳格なキリスト教の教育を受けるかたわら,サン・マルタンなどの神秘思想家たちからも影響された。フランス革命の波が故国に押し寄せると亡命し,《フランスについての考察》(1796)を出版して革命を批判した。この著作はフランス王党派の亡命貴族たちの間に流布し,メーストルの思想は王党派の理論的な支柱となった。その後,サルデーニャ(当時はサボイア領)の駐ロシア大使としてペテルブルグに十数年を過ごした。死後に出版された《ペテルブルグ夜話》(1821)は,彼の思想の集大成である。この世のすべては神の摂理によって動かされ,大革命は神がフランスに血を流させてその罪を清めさせようとした行為だった,と彼は述べている。また,王政ならびに教皇の権限は絶対であるとも主張している。ほか主著として《教皇論》(1819),《フランス教会》(1821)などを著している。
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メーストル
Xavier de Maistre
生没年:1763-1852

フランスの作家。ジョゼフ・マリー・ド・メーストルの弟。サボア公国で生まれ軍人となったが,フランス革命時にはロシアに亡命し,ロシア軍に勤務。コーカサスカフカス)やペルシアの戦線で活躍し,将軍に任ぜられた。その後ペテルブルグに定住し,ナポリやパリに旅行した。処女作《わが部屋をめぐる旅》(1795)には,この作家の夢想や追憶などが優美な表現で述べられている。軍隊経験を生かして著した小説《コーカサスの捕虜》(1825)では力強い筆運びを見せ,19世紀のロシア作家たちに影響を与えた。彼の作品にはフランス・ロマン主義を予告する豊かな想像力も認められる。他の著作としては《アオスタ市の癩者(らいしや)》(1811),《シベリアの少女》(1825)などがある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「メーストル」の意味・わかりやすい解説

メーストル
Maistre, Joseph de

[生]1753.4.1. シャンベリー
[没]1821.2.26. トリノ
フランスの政治家,哲学者。サボイア公国に仕え,1787年同公国の議員となった。 1792年フランス共和国軍の侵入を受けて公国は消滅し,ジュネーブに亡命,スタール夫人や B.コンスタンらと交わった。 1797年よりサルジニア王国に仕官して要職につき,1803~17年特派全権大使としてペテルブルグに滞在。初めは自由主義,フリーメーソン照明派の影響を受けたが,革命後に反革命派第一の哲学者となった。伝統を根拠としてウルトラモンタニスムスを認め,王家の単一性を体現するものとして王をとらえ,絶対君主制の必要を主張した。主著『フランスについての考察』 Considérations sur la France (1796) ,『教皇論』 Du Pape (2巻,1819) ,『ペテルブルグ夜話』 Les Soirées de St. Petersbourg (2巻,1821) 。

メーストル
Maistre, Xavier de

[生]1763.11.8. シャンベリー
[没]1852.6.12. ペテルブルグ
フランスの軍人,小説家。 J.メーストルの弟。学問を好まず,18歳のときサルジニア軍に士官として入隊,フランス軍による占領後ロシアに亡命。ロシア軍士官としてカフカス (コーカサス) 遠征に加わり,将官に昇進。かたわら素朴な魅力にあふれる小説『コーカサスの捕虜』 Les Prisonniers du Caucase (1825) ,『若きシベリア娘』 Le Jeune sibérienne (25) ,随筆『部屋をめぐっての旅』 Le Voyage autour de ma chambre (1795) などを書いた。文学的には兄ジョゼフほどの名声はないが,その行動や思想においてロマン主義の先駆者と目される。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「メーストル」の意味・わかりやすい解説

メーストル(Joseph de Maistre)
めーすとる
Joseph de Maistre
(1753―1821)

フランスの政治思想家。ド・メーストルともいう。サボア地方に生まれ、カトリック的環境の下で育った。1792年9月のフランス革命軍のサボア侵入とともにスイスのローザンヌに亡命。この地で、フランスから亡命してきた貴族や僧侶(そうりょ)と交際して革命批判の態度を固め、『サボアの一王党派の手紙』(1793)、『フランスについての考察』Considerations sur la France(1796)で反革命の理論家として名をなした。神の摂理が人間の歴史を導いていること、自由と権利は紙の上の憲法から生まれるのでなく、有機的に成長する国家の自由の伝統に基づくとして、啓蒙(けいもう)主義の唱える理性の優位に反対し、常識、信仰、伝統の優位を主張した。1797年にローザンヌを追放されて移ったトリノでサルデーニャ国王カルロ・エマヌエレ4世と知り合い、1799年サルデーニャの宰相となり、1802年、同国のロシア公使としてペテルブルグに赴いた。彼の集大成といえる思想書『ペテルブルグ夜話』(1821)はその産物である。彼の社会有機体論は、サン・シモンの社会理論に影響を与えた。

[阪上 孝]


メーストル(Xavier de Maistre)
めーすとる
Xavier de Maistre
(1763―1852)

フランスの小説家、随筆家。ジョゼフ・ド・メーストルの弟。サボア公国の首都シャンベリに生まれ、フランス革命によって故国がフランスに併合されたのを嫌ってロシア軍に入り、ペテルブルグで没した。作品には、機知にあふれた考察と繊細な心理を素朴な文章でつづった随想『わが部屋をめぐる旅』Le voyage autour de ma chambre(1794)のほかに、『アオスタ市の癩(らい)者』(1811)など3編の中編小説がある。

[横張 誠]

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百科事典マイペディア 「メーストル」の意味・わかりやすい解説

メーストル

フランスの評論家,政治家。サボアの上院議員。神秘思想の影響を受け,1796年《フランスについての考察》でフランス革命を非難,この書は亡命貴族ら王党派の理論的支柱となった。1802年―1817年サルデーニャ駐在ペテルブルグ公使。《ペテルブルグ夜話》(1821年)ほかの著作で神およびその代理人たる教皇と国王の絶対性を主張,革命思潮に挑戦した。
→関連項目シオラン

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「メーストル」の解説

メーストル

ド・メーストル

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世界大百科事典(旧版)内のメーストルの言及

【陸羯南】より

…《青森新聞》,紋別製糖所に勤めた後,81年に上京,83年太政官文書局に入り,内閣制創設とともに内閣官報局編輯課長となる。この前後,井上毅らの知遇を得,フランスの反革命主義者J.M.deメーストルの書物を《主権原論》の題で翻訳出版する。88年政府の条約改正と欧化政策に反対して辞職,谷干城らの援助を受けて4月より《東京電報》を発刊し,同月創刊の政教社の雑誌《日本人》の〈国粋主義〉に呼応して,〈国民主義〉を唱える。…

※「メーストル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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