メーストル(読み)めーすとる(英語表記)Joseph de Maistre

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「メーストル」の意味・わかりやすい解説

メーストル
Maistre, Joseph de

[生]1753.4.1. シャンベリー
[没]1821.2.26. トリノ
フランスの政治家,哲学者。サボイア公国に仕え,1787年同公国の議員となった。 1792年フランス共和国軍の侵入を受けて公国は消滅し,ジュネーブ亡命スタール夫人や B.コンスタンらと交わった。 1797年よりサルジニア王国に仕官して要職につき,1803~17年特派全権大使としてペテルブルグに滞在。初めは自由主義,フリーメーソン照明派の影響を受けたが,革命後に反革命派第一の哲学者となった。伝統を根拠としてウルトラモンタニスムスを認め,王家の単一性を体現するものとして王をとらえ,絶対君主制の必要を主張した。主著『フランスについての考察』 Considérations sur la France (1796) ,『教皇論』 Du Pape (2巻,1819) ,『ペテルブルグ夜話』 Les Soirées de St. Petersbourg (2巻,1821) 。

メーストル
Maistre, Xavier de

[生]1763.11.8. シャンベリー
[没]1852.6.12. ペテルブルグ
フランスの軍人,小説家。 J.メーストルの弟。学問を好まず,18歳のときサルジニア軍に士官として入隊,フランス軍による占領後ロシアに亡命。ロシア軍士官としてカフカス (コーカサス) 遠征に加わり,将官に昇進。かたわら素朴な魅力にあふれる小説『コーカサスの捕虜』 Les Prisonniers du Caucase (1825) ,『若きシベリア娘』 Le Jeune sibérienne (25) ,随筆『部屋をめぐっての旅』 Le Voyage autour de ma chambre (1795) などを書いた。文学的には兄ジョゼフほどの名声はないが,その行動や思想においてロマン主義の先駆者と目される。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「メーストル」の意味・わかりやすい解説

メーストル(Joseph de Maistre)
めーすとる
Joseph de Maistre
(1753―1821)

フランスの政治思想家。ド・メーストルともいう。サボア地方に生まれ、カトリック的環境の下で育った。1792年9月のフランス革命軍のサボア侵入とともにスイスのローザンヌに亡命。この地で、フランスから亡命してきた貴族や僧侶(そうりょ)と交際して革命批判の態度を固め、『サボアの一王党派の手紙』(1793)、『フランスについての考察』Considerations sur la France(1796)で反革命の理論家として名をなした。神の摂理が人間の歴史を導いていること、自由と権利は紙の上の憲法から生まれるのでなく、有機的に成長する国家の自由の伝統に基づくとして、啓蒙(けいもう)主義の唱える理性の優位に反対し、常識、信仰、伝統の優位を主張した。1797年にローザンヌを追放されて移ったトリノでサルデーニャ国王カルロ・エマヌエレ4世と知り合い、1799年サルデーニャの宰相となり、1802年、同国のロシア公使としてペテルブルグに赴いた。彼の集大成といえる思想書『ペテルブルグ夜話』(1821)はその産物である。彼の社会有機体論は、サン・シモンの社会理論に影響を与えた。

[阪上 孝]


メーストル(Xavier de Maistre)
めーすとる
Xavier de Maistre
(1763―1852)

フランスの小説家、随筆家。ジョゼフ・ド・メーストルの弟。サボア公国の首都シャンベリに生まれ、フランス革命によって故国がフランスに併合されたのを嫌ってロシア軍に入り、ペテルブルグで没した。作品には、機知にあふれた考察と繊細な心理を素朴な文章でつづった随想『わが部屋をめぐる旅』Le voyage autour de ma chambre(1794)のほかに、『アオスタ市の癩(らい)者』(1811)など3編の中編小説がある。

[横張 誠]

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