ドイツの法律家。ベルリン大学に学び、グナイストの影響を受けた。ベルリン市裁判所判事在任中、在ドイツ日本公使館の顧問となった。伊藤博文(いとうひろぶみ)らが憲法調査に渡欧した際、グナイストとともに伊藤らに1882年から翌1883年にかけてプロイセン憲法の講義を行った。その記録は同行した伊東巳代治(いとうみよじ)によって『莫設(モツセ)氏講義筆記』と題してまとめられた。1886年(明治19)明治政府の法律顧問として来日し、ロエスレルとともに憲法(大日本帝国憲法)制定に関し多くの討議をしたばかりでなく、とくに地方制度の創設に寄与した。1888年4月制定公布された市制・町村制は、ドイツの地方制度を範とした彼の案に基づくものであった。1890年帰国し、ケーニヒスベルク高等裁判所判事などを務めた。
[佐藤篤士 2018年8月21日]
ドイツの法学者。ポーランドのユダヤ系医師の子として生まれる。兄は《ベルリーナー・ターゲブラット》紙の創業者で,出版・広告コンツェルンを一代で築いたルドルフ・モッセRudolf M.(1843-1920)。ベルリン大学法学部でグナイストに師事した。その後裁判官を務めたが,グナイストの推薦で,訪欧した伊藤博文一行に憲法,行政法を講じた(《莫設氏講義筆記》)。内閣および内務省顧問として1886年来日,レースラーとともに憲法起草に当たった井上毅らを助けた。また山県有朋内相に委嘱されて市町村制などを起草,それはその後の日本の地方自治制の基礎となった。90年帰国した後はケーニヒスベルクで裁判官を務めるかたわら,ケーニヒスベルク大学で裁判法,商法,民事訴訟法を講じ,名誉教授の称号を受けた。1907年ベルリンに戻り,全国都市連合会議長,ドイツ・ユダヤ人連合副会長などを務めた。憲法に対する彼の助言は,概して君権主義的であるが,軍事予算に対する帝国議会の発言権の重要性を強調し,信教の自由の必要を力説している。近年孫の政治学者ジョージ・モッセを通じて,彼の在日時代の書簡集がアメリカで発見された。
執筆者:長尾 龍一
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(長尾龍一)
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1846.10.1~1925.5.31
ドイツの法律家。ベルリン大学でグナイストに学び,裁判所判事となる。1879年(明治12)日本公使館顧問。82年憲法調査に訪れた伊藤博文にドイツ憲法学を講義。86年内閣・内務省顧問として招聘され,地方自治制度につき助言。市制・町村制の草案を起草。明治憲法起草にも助言を与えた。90年帰国。
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