伊東巳代治(読み)イトウミヨジ

デジタル大辞泉 「伊東巳代治」の意味・読み・例文・類語

いとう‐みよじ〔‐みよヂ〕【伊東巳代治】

[1857~1934]政治家。長崎の生まれ。伊藤博文に認められ、明治憲法制定参画伊藤内閣書記官長・農商務相を歴任東京日日新聞社社長として、政府擁護の論陣を張った。のち、枢密顧問官

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精選版 日本国語大辞典 「伊東巳代治」の意味・読み・例文・類語

いとう‐みよじ【伊東巳代治】

  1. 政治家。長崎県に生まれる。明治憲法の制定に参加。第三次伊藤内閣の農商務大臣、東京日日新聞社長を経て、枢密顧問官となる。安政四~昭和九年(一八五七‐一九三四

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「伊東巳代治」の意味・わかりやすい解説

伊東巳代治
いとうみよじ
(1857―1934)

明治から昭和時代の官僚、政治家。安政(あんせい)4年5月7日、長崎に生まれる。英語を学び、1871年(明治4)上京して工部省電信寮の修技教場に入学した。長崎電信局、兵庫県訳官を経て1876年ふたたび上京。伊藤博文(いとうひろぶみ)の知遇を得て工部省に採用され、以後、伊藤のもとでその能力を発揮していった。1882年伊藤の憲法調査に随行して渡欧し、帰国後、大日本帝国憲法の起草に従事。1889年以降、枢密院書記官長、第二次伊藤内閣の書記官長、第三次伊藤内閣の農商務大臣を歴任し、政党工作に活躍した。1891年から1904年(明治37)にかけて東京日日新聞社社長。1899年枢密顧問官となって以後は、山県有朋(やまがたありとも)系の官僚政治家として政界の裏面で暗躍した。1917年(大正6)臨時外交調査会委員となり、単独シベリア出兵論を主張。また、親政友会的立場にたって、1927年(昭和2)の金融恐慌の際に若槻礼次郎(わかつきれいじろう)内閣を攻撃して倒壊させ、1930年のロンドン海軍軍縮条約問題でも強硬外交を支持して、浜口雄幸(はまぐちおさち)内閣を激しく攻撃した。昭和9年2月19日死去。「伊東巳代治文書」は、現在国立国会図書館が所蔵している。

[大日方純夫]

『晨亭会編・刊『伯爵伊東巳代治』2巻(1938)』


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改訂新版 世界大百科事典 「伊東巳代治」の意味・わかりやすい解説

伊東巳代治 (いとうみよじ)
生没年:1857-1934(安政4-昭和9)

明治~昭和前期の官僚政治家。長崎の生れ。英学を修め,上京して工部省電信寮の官費生となる。1873年兵庫県訳官となったが,76年工部省に出仕,参議兼工部卿伊藤博文の知遇をうける。内務省太政官参事院に転じ,82年伊藤の憲法調査に従って渡欧した。帰国後,制度取調局御用掛として華族令はじめ立憲制移行にともなう法制整備に当たるとともに,85年伊藤を補佐して天津条約の締結に努めた。第1次伊藤内閣では首相秘書官として井上毅らとともに憲法や衆議院議員選挙法など憲法付属の法典の起草に当たり,89年からは枢密院書記官長としてそれら法典の審議を促進した。92年第2次伊藤内閣の書記官長となり議会工作に手腕を発揮し,第3次伊藤内閣には農商務大臣として入閣したが,自由党との提携が破綻したため責任を負って辞任した。1900年伊藤の政友会結成を周旋したが入党せず,このころから山県有朋や桂太郎らへの接近度を深めた。1899年に枢密顧問官となって以後,しだいに枢密院内での発言権を強め,1917年寺内正毅内閣下で臨時外交調査委員会の委員となってシベリア出兵問題を議し,27年の台湾銀行救済問題では政府案を否決して若槻礼次郎内閣倒壊の因をつくり,30年ロンドン海軍軍縮条約批准には浜口雄幸内閣に批判的な立場をとり,みずから明治憲法の守護者を任じながら政友会寄りの路線をとった。
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新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「伊東巳代治」の解説

伊東 巳代治
イトウ ミヨジ


肩書
農商務相,枢密顧問官,東京日日新聞社長

生年月日
安政4年5月9日(1857年)

出生地
肥前国長崎(長崎県)

経歴
明治4年上京、電信寮に入り、6年兵庫県6等訳官。9年上京、伊藤博文に才を認められ10年工部省に採用された。14年参事院議官補となり、11年伊藤の渡欧に随行、帝国憲法の原案作成に参画。18年第1次伊藤内閣の首相秘書官、22年枢密院書記官長、25年第2次伊藤内閣書記官長、31年第3次伊藤内閣の農商務相を務め、伊藤の懐刀として活動。一方24〜37年東京日日新聞社長として官僚政治擁護の紙面を作った。その間、32年枢密顧問官、36年帝室制度調査局副総裁。大正6年臨時外交調査会委員となり、7年のシベリア出兵には単独出兵を主張。11年伯爵。昭和2年の金融恐慌の際は幣原外交を非難して若槻内閣を崩壊させた。またロンドン海軍軍縮条約に猛反対するなど、一貫して日本の拡張路線を推進した。

没年月日
昭和9年2月19日

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20世紀日本人名事典 「伊東巳代治」の解説

伊東 巳代治
イトウ ミヨジ

明治〜昭和期の官僚政治家,伯爵 農商務相;枢密顧問官;東京日日新聞社長。



生年
安政4年5月9日(1857年)

没年
昭和9(1934)年2月19日

出生地
肥前国長崎(長崎県)

経歴
明治4年上京、電信寮に入り、6年兵庫県6等訳官。9年上京、伊藤博文に才を認められ10年工部省に採用された。14年参事院議官補となり、11年伊藤の渡欧に随行、帝国憲法の原案作成に参画。18年第1次伊藤内閣の首相秘書官、22年枢密院書記官長、25年第2次伊藤内閣書記官長、31年第3次伊藤内閣の農商務相を務め、伊藤の懐刀として活動。一方24〜37年東京日日新聞社長として官僚政治擁護の紙面を作った。その間、32年枢密顧問官、36年帝室制度調査局副総裁。大正6年臨時外交調査会委員となり、7年のシベリア出兵には単独出兵を主張。11年伯爵。昭和2年の金融恐慌の際は幣原外交を非難して若槻内閣を崩壊させた。またロンドン海軍軍縮条約に猛反対するなど、一貫して日本の拡張路線を推進した。

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百科事典マイペディア 「伊東巳代治」の意味・わかりやすい解説

伊東巳代治【いとうみよじ】

政治家。長崎の町年寄出身。1882年憲法制定準備のため伊藤博文に随行渡欧。帰国後制度取調局御用掛として法制整備にあたる。1898年第3次伊藤内閣の農商務相。1899年枢密顧問官。1891年―1904年には東京日日新聞社長として〈憲法の番人〉を自任し,天皇制維持に努力。伊藤の政友会結成を周旋したが入党はせず,のち山県有朋,桂太郎らに近づく。1927年には幣原外交を非難し若槻礼次郎内閣を崩壊させた。
→関連項目東京日日新聞

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「伊東巳代治」の解説

伊東巳代治
いとうみよじ

1857.5.7~1934.2.19

明治~昭和前期の官僚・政治家。肥前国長崎生れ。伊藤博文のもとで大日本帝国憲法など法典の調査・起草にたずさわった。枢密院書記官長をへて,1892年(明治25)第2次伊藤内閣の内閣書記官長。日清戦争では全権弁理大臣として批准書を交換。その後枢密顧問官となり,1903年には帝室制度調査局副総裁として皇室令を制定。原敬時代の政友会には理解を示す態度をとった。17年(大正6)臨時外交調査委員会委員となり,政府の方針を批判した。27年(昭和2)の金融恐慌に際し,台湾銀行救済緊急勅令案を枢密院で否決させて第1次若槻内閣総辞職の要因を作り,30年のロンドン海軍軍縮条約でも批准反対の論陣をはった。日記の一部が写本で伝わる(「翠雨荘(すいうそう)日記」)。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「伊東巳代治」の解説

伊東巳代治 いとう-みよじ

1857-1934 明治-昭和時代前期の官僚,政治家。
安政4年5月7日生まれ。明治15年伊藤博文にしたがい渡欧。憲法や諸法典の起草・制定に参画した。第2・第3次伊藤内閣で書記官長,農商務相をつとめる。32年枢密顧問官。のち政界の裏面で活躍,強硬外交を支持した。東京日日新聞社長。昭和9年2月19日死去。78歳。肥前長崎出身。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「伊東巳代治」の意味・わかりやすい解説

伊東巳代治
いとうみよじ

[生]安政4(1857).5.9. 長崎
[没]1934.2.19. 東京
政治家,伯爵。 1883年伊藤博文の憲法調査研究の渡欧に随行し,88年の明治憲法草案起草を助けた。 89年,枢密院書記官長,98年,第3次伊藤内閣の農商務相,99年枢密顧問官を歴任。東京日日新聞社長もつとめた。

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旺文社日本史事典 三訂版 「伊東巳代治」の解説

伊東巳代治
いとうみよじ

1857〜1934
明治〜昭和初期の政治家
肥前(長崎県)の生まれ。伊藤博文のもとで大日本帝国憲法起草に尽力。第2・3次伊藤内閣の書記官長・農商務相を歴任。1899年枢密顧問官に就任以来「憲法の番人」と称して天皇制の護持につとめ,官僚勢力の中心人物となった。

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367日誕生日大事典 「伊東巳代治」の解説

伊東 巳代治 (いとう みよじ)

生年月日:1857年5月7日
明治時代-昭和時代の政治家;官僚。伯爵
1934年没

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