モンバサ(読み)もんばさ(英語表記)Mombasa

日本大百科全書(ニッポニカ) 「モンバサ」の意味・わかりやすい解説

モンバサ
もんばさ
Mombasa

アフリカ中東部、ケニア南東部の港湾都市。人口68万5000(2001推計)、首都ナイロビに次ぐ同国第二の都市である。インド洋上の小島モンバサ島(面積13平方キロメートル)と本土にまたがり、橋と堤防で結ばれている。東アフリカでも有数の港湾をもち、インド、東アジア、ヨーロッパ、アメリカとを結ぶ定期船が就航する。またナイロビを経由してさらにウガンダに通じる鉄道の起点でもあり、国際空港も所在する。工業は石油精製や化学工業などが行われている。

 紀元1世紀ごろ、東アフリカ海岸部とアラビア半島との交易に携わるアラブ人、ペルシア人がここに港を築き、季節風を利用してダウ帆船)で活動した。15世紀末バスコ・ダ・ガマによるインド航路の発見を契機として、ポルトガルがこの地に進出した。17~18世紀、奪回を試みるアラブ人とポルトガルとの間で、何回も争奪が繰り返されたのち、18世紀中期、ポルトガルは追い払われた。19世紀後半からはイギリスの支配下に入り、1905年までイギリス領東アフリカの行政中心地であった。市内にはアフリカ人に混じってアラブ人が多数居住し、全住民の40%がイスラム教徒で、各所モスクがある。ほかに、イギリス植民地時代初期、鉄道建設のため導入された労働者の子孫などインド人も多く、ヒンドゥー教寺院も点在する。歴史的たたずまいを残した旧市街は、モンバサ島の東側にある。港の近くには16世紀末ポルトガル人が建設したフォート・ジーザスという砦(とりで)の遺跡があり、国立博物館となっている。島の西側には近代的な新港キリンディニがあり、工業地区などを含む新市街が、これを取り囲むように広がっている。島の南北の海岸はホテルが林立するリゾート地で、本土側には島側から住宅が延びている。

[赤阪 賢]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「モンバサ」の意味・わかりやすい解説

モンバサ
Mombasa

ケニア南東部,インド洋に臨む港湾都市。コースト州の州都で,ケニアの主要港。市域は大陸部分と入江に浮かぶサンゴ礁のモンバサ島からなる。11世紀にアラブ人が建設,1331年にイブン・バットゥータが,1498年バスコ・ダ・ガマが到来。以来,アラブ王朝とポルトガルとの間で争奪戦が繰り返され,モンバサ島はスワヒリ語で戦争を意味する「ムビタ島」と呼ばれるようになった。1505年ポルトガルが占領,その後もアラブとの間に戦闘が続き,1729年アラブのオマーンの支配下に入り,1840年代からザンジバル王国のスルタン領。1887年イギリスに譲渡され,1895~1907年イギリスの東アフリカ保護領の首都。1928年自治権を獲得したが,1963年のケニア独立までザンジバル王国の一部であると同時にイギリスのケニア保護領だった。二つの海港をもち,島の西部を占めるキリンディニ港は近代的施設を備え,コーヒー,綿花,チャ(茶),サイザルアサ,ジョチュウギクなどを輸出。第2次世界大戦後,急速にセメント,ガラス,石鹸,醸造,造船などの工業が発展。インド人やアラブ人が多い。1593~95年にポルトガル人が建設した要塞フォート・ジーザスは,2011年世界遺産の文化遺産に登録された。人口 77万7100(2004推計)。

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