バングラデシュの経済学者。貧しい人々のための「グラミン銀行」を創設、貧困撲滅に貢献したとして、2006年のノーベル平和賞を受賞した。チッタゴンに生まれる。1965年フルブライト留学生としてアメリカに渡り、バンダービルト大学で経済学を学ぶ。1969年に博士号を取得し、翌1970年ミドルテネシー州立大学の助教授となった。1972年に帰国してチッタゴン大学経済学部長に就任した。
1974年バングラデシュに大飢饉(ききん)が発生、一説には150万人が死亡したという。この悲惨な現実に遭遇して、ユヌスは「人々が道端で飢えて死んでいくのに、優雅に経済理論などを教えていてよいのだろうか」と考え、自己嫌悪に陥った。そして1日12時間も働いているのに満足な食事もとれないという貧困の問題に取り組む決意をした。1975年に農村に出向いて調査を行い、農村改良運動を進めた。そこで、本当に援助を求めているのは、土地も財産もない貧農層であることをみいだした。彼らは自己資本をもたないため、借金をして原料を仕入れ、つくりあげた製品は買いたたかれる。貧困は個人の問題ではなく、経済の仕組みに原因があると考えた。そこで彼は、担保をもたない人々を対象とした少額融資(マイクロクレジット)制度を創案した。このアイディアを銀行にもちかけたが、相手にされなかったため、1976年に自らの手で少額融資を行う組織を立ち上げ、成功に導いた。この組織には、1979年に国立中央銀行も資本参加し、1983年にグラミン銀行として正式に発足した。ユヌスは無償の援助ではなく、融資することにより貧困からの脱却を図った。彼は「慈善事業は人の尊厳を損なう。融資ならば人々の自助努力を促し、責任と自立への意欲が高まる」としている。グラミン銀行の成功により、マイクロクレジット(マイクロファイナンス)制度はバングラデシュ以外の開発途上国に広がり、高い評価を獲得、ユヌス自身も各国で多くの賞を得て、2006年にグラミン銀行とともにノーベル平和賞を受賞した。
[編集部]
『ムハマド・ユヌス、アラン・ジョリ著、猪熊弘子訳『ムハマド・ユヌス自伝――貧困なき世界をめざす銀行家』(1998・早川書房/ハヤカワ文庫)』▽『渡辺竜也著『「南」からの国際協力――バングラデシュグラミン銀行の挑戦』(1997・岩波書店)』▽『坪井ひろみ著『グラミン銀行を知っていますか』(2006・東洋経済新報社)』
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