デジタル大辞泉
「サミット」の意味・読み・例文・類語
サミット(summit)
《頂上の意》
1 主要国首脳会議。世界の主要国の首脳が集まり、国際社会が直面するさまざまな課題について意見交換を行う、非公式の国際会議。米国・英国・フランス・ドイツ・イタリア・カナダ・日本の政府の長(首相または大統領)と欧州理事会議長・欧州委員会委員長が参加(ロシアは2014年から参加資格停止中)。各国の持ち回りで、毎年5~7月頃に開催される。主要7か国首脳会議主要/主要8か国首脳会議。G7/G8。G7サミット/G8サミット。→シェルパ2
2 最高責任者どうしによる会談。トップ会談。「環境サミット」
[補説]1は、1975年に米国・英国・フランス・ドイツ(当時は西ドイツ)・イタリア・日本の6か国(G6)による会議としてフランスのランブイエ城で初めて開催された。1976年にカナダが加わってG7となり、1977年から欧州委員会委員長と欧州理事会議長が参加するようになった。ロシアが加わり1998年からG8となるが、2014年に同国がクリミアを併合するなどウクライナの主権と領土を侵害したことから資格停止。以降、G7として開催されている。
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サミット
先進7カ国の首脳が集まり、経済や安全保障、地域情勢といった世界的な重要課題を巡り討議する国際会議。サミットは英語で「山頂」を意味する。メンバーは日本、米国、英国、フランス、ドイツ、イタリア、カナダで「G7」と呼ばれる。原則年1回、各国が持ち回りで開催。2016年に三重県で開かれた伊勢志摩サミットでは、安倍晋三首相が議長を務めた。ロシアが冷戦終結後に加わりG8となったが、14年のウクライナ南部クリミアの編入強行で排除された。
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サミット
summit meeting
主要先進国首脳会議。1973年の第4次中東戦争に際して,アラブ石油輸出国機構(OAPEC)はアメリカのイスラエルへの武器援助に対抗して,石油輸出禁止,石油産出削減,価格値上げなどの石油戦略をとった。この石油戦略が先進諸国に及ぼした影響は大きく,従来の先進国支配型の経済秩序をくつがえしてしまった。石油ショックからの立直しと,インフレの克服,当面の経済不況からの回復という緊急課題のもとで,フランスのジスカール・デスタン大統領の提唱で,毎年1回,先進国の首脳が一堂に会して,当面の課題についての自由な意見交換を行うことになった。第1回サミットは,75年11月パリ郊外のランブイエ城に先進6ヵ国(アメリカ,イギリス,イタリア,西ドイツ,日本,フランス)の首脳を集め開かれた(カナダは1976年から参加)。
サミットは,当初,インフレの防止と着実かつ持続的経済成長の達成が目標であり,経済的側面の強い会議内容であった。しかし,79年12月ソ連軍のアフガニスタン侵攻後の第6回ベネチア・サミット(1980年6月)以来,80年代にはその内容に政治色を強めていった。ソ連のペレストロイカと新思考外交の推進,米ソ関係改善,東ヨーロッパ諸国の民主化革命の成功,ベルリンの壁崩壊などによって,冷戦構造の解体が進むなかで,第16回のヒューストン会議(1990年7月)からは,ソ連・東欧に対する対決姿勢を弱め,これらの諸国への経済支援が積極的に話し合われるようになり,サミットの存在意義が変容していく。91年7月の第17回ロンドン会議の終了後にゴルバチョフ大統領が招待されるまでになった。97年6月の第23回デンバー会議では,経済問題についてはこれまでどおり7ヵ国で話し合われたものの,ロシアが正式にサミットの一員として参加した。このG8体制の形成は,世界政治問題を含め,地球規模の問題群に対応することが必要となってきており,従来のG7の枠組みでは解決に向けた十分な有効性を発揮できないからでもあった。サミットに中国を加えてG9とすべきだとの声もある。
→首脳会談 →世界政治
執筆者:星野 昭吉
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サミット
主要国首脳会議の通称。サミットは〈頂上〉の意で首脳会議,頂上会談を表す。1975年フランスのランブイエで,石油危機からの立直しと,当面する世界経済の重要な諸問題を討議し協調を図るため,第1回会議が開かれた。以後毎年1回,参加国の持回り形式で開催。第1回は米,英,仏,西独(現,ドイツ),イタリア,日本の6ヵ国,第2回からカナダが参加(以上7ヵ国をG7(ジーセブン)と称す),第3回からはヨーロッパ共同体委員長もオブザーバーとして参加。1997年に米国のデンバーで開かれたサミットからロシアが正式に参加,この8ヵ国をG8(ジーエイト)と呼ぶ。ただし,マクロ経済などをめぐる経済協議と経済声明はロシアを除くG7によっていたが,2003年のエビアン・サミット(中国が非公式会合に初参加)以後,ロシアを含めたG8がその主体となった。2006年のサミットはロシアで初開催された。なお,1986年の東京サミットで〈先進7ヵ国財務相中央銀行総裁会議〉(通称G7)の創設が決議され,以後,通貨問題などはもっぱらその場で扱われるようになった。2000年7月には福岡市,宮崎市,沖縄県名護市で九州・沖縄サミットが開かれたが,会議の形骸化も指摘されている。2008年7月には北海道・洞爺湖サミットが開催された。
→関連項目国際政策協調|G20|ルーブル安定化基金
サミット[株]【サミット】
関東圏で食品スーパーを中心的に展開する小売企業。住友商事系。1963年設立。食品スーパー経営に科学的管理法を導入し,日本におけるスーパー・マーケット・システムの発展に貢献したことで知られる。生鮮食品のインストア(店内)加工が特徴。食品スーパー以外では,ベーカリー事業(1972年),GMS事業(1977年),書店事業(1987年),海外事業(1988年台湾),ドラッグ事業(2003年)に参入。本社東京。2011年102店舗。2011年資本金39億円,2012年3月期売上高2218億円。
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サミット
Summit
主要先進国首脳会議
1975年フランスのジスカールデスタン大統領の提唱により,パリ郊外のランブイエで第1回の会議が開催された。石油危機に資本主義先進国が経済的にどのように対応するかという課題に,アメリカ・イギリス・フランス・イタリア・西ドイツ・日本の6か国の首脳がこの会議に参集した。その後ほぼ毎年開催されるようになり,翌年からカナダ,その後ヨーロッパ共同体(EC)委員長(現在はEUの委員長)もこれに加わるようになった。1979年ソ連のアフガニスタン侵攻後は政治的な問題が議題の中心となったが,冷戦構造の変化とともに対立姿勢も薄らぎ,91年にはソ連のゴルバチョフ大統領が招かれた。1997年のデンバー会議では経済と政治の各分野が分割され,経済問題は従来通りの先進7か国蔵相中央銀行総裁会議(G7)で検討されたが,ロシアが正式にサミットに加わることとなり,G8体制となった。2000年には沖縄で開催。
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知恵蔵
「サミット」の解説
サミット
第1回はジスカールデスタン仏大統領の提唱で、1975年にパリ郊外のランブイエで開かれた。当初は米、英、仏、西独、イタリアに日本を加えた6カ国であったが、第2回からカナダ、第3回からEC委員会、97年以降はロシアも参加するようになった。第1回は石油危機後の世界経済の安定が課題であったように、初期には経済政策の協調が中心的な議題であった。ソ連の崩壊後はロシアを交えて「政治サミット」の性格が強まり、地域紛争問題も大きな比重を占めるようになった。しかし国連に代わる大国の首脳外交には批判があり、年1回の限られた時間では緊急事態に対応できないという限界も指摘される。2002年のサミットでは、ロシアが正式に対等な立場で参加を認められ、06年のサンクトペテルブルク・サミットでは初めて議長国を務めた。なお、米、英、仏、独、イタリア、日本、カナダにロシアを加えた8カ国をG8と呼ぶ。
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サミット
先進国首脳会議。1975年(昭和50)から毎年1回定期的に開催されている主要先進国首脳による国際経済協調の会議。当初は第1次石油危機(73年)への対処をめぐる仏・独などの欧州諸国中心の会議であったが,日本(三木武夫首相)も第1回から仏・独・米・英・伊とともに参加。第2回からカナダ,第3回からEC委員会代表がオブザーバーで参加し,冷戦後の91年以降ロシアも加わる。80年代前半は「新冷戦」を背景に政治問題が討議されたが,最近では資源・環境問題などの地球的規模の課題にも関心が払われるようになった。
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サミット
正式社名「サミット株式会社」。英文社名「SUMMIT, INC.」。小売業。昭和38年(1963)「株式会社京浜商会」設立。同42年(1967)「株式会社サミットストア」に改称。同63年(1988)現在の社名に変更。本社は東京都杉並区永福。住友商事子会社のスーパーマーケット。東京・世田谷区と杉並区中心に首都圏で店舗展開。書店・ドラッグストアの運営も手がける。
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サミット
Summit
アメリカ合衆国,ニュージャージー州北東部のニューアークに隣接した住宅都市。 1710年創設,トルコの丘と呼ばれた。 1837年に現呼称となる。鉄道駅ができて,急速に拡張した。人口1万 9757 (1990) 。
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サミット〔自動車〕
アメリカのクライスラーがイーグルのブランドで1989年から1996年まで販売していた乗用車。4ドアセダンと2ドアクーペ、およびステーションワゴン。三菱自動車のミラージュとRVRのOEM車。
サミット〔果物〕
青森県三戸郡南部町で生産されるサクランボ。晩生。果実は大粒で、果皮は紫黒色、果肉は赤い。肉質は硬く日持ちがよい。
サミット〔チェーン店〕
サミット株式会社が展開するスーパーマーケットのチェーン。主な出店地域は関東地方。1963年、1号店オープン。
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世界大百科事典(旧版)内のサミットの言及
【首脳会談】より
…1955年7月のジュネーブでの4大国首脳会談は,最初の顕著な例であるが,日米間でも日本側が首相の交替するごとにワシントンでの首脳会談が恒例化している。日本の首相が参加する首脳会談として,制度化しつつある重要なものに,西側先進工業国家8ヵ国(ECを含む)から成る先進国首脳会議(サミット)がある。サミットは75年,フランスのランブイエで開催されて以来,毎年開かれており,先進工業国家に共通する高度な経済問題が討議されるのが通例である。…
※「サミット」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」