ラ・アルプ(読み)らあるぷ(その他表記)Frédéric César de La Harpe

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ラ・アルプ」の意味・わかりやすい解説

ラ・アルプ
らあるぷ
Frédéric César de La Harpe
(1754―1838)

スイスの政治家。ロシアのエカチェリーナ2世に孫のアレクサンドル(1世)の教育をゆだねられた。フランス革命に共鳴し、ベルン支配されていた故郷ボーを独立州にさせるために、故国スイスへの干渉をフランスの五執政内閣に求めた。フランスがスイスへ侵入してから故郷に戻り、ヘルベティア共和国を樹立させ、閣僚となった(1798~1800)。閣僚を追われたのち、政敵策謀によりナポレオン1世に対する謀反の罪を着せられ、フランスに逃亡した。1814年まで隠棲(いんせい)していたが、ウィーン会議ではボーの自立とスイスの利益を擁護するために活躍した。1830年には七月革命の影響下に自由党を率いてボー州の民主化を図った。

[森田安一]

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改訂新版 世界大百科事典 「ラ・アルプ」の意味・わかりやすい解説

ラ・アルプ
La Harpe
生没年:1739-1803

フランスの文学者。文学批評および文学史の草分けとされる。本名Jean François Del(a)harpe。詩作劇作も手がけたが,特記するほどの作品はない。1786年からリセと呼ぶ一種自由学校で文学講義を行い,評判をとった。その《文学講義》12巻(1799-1805)で,古代文学,近代文学を紹介する。判断基準として古典主義をとり,博識と比較的柔軟な鑑識眼で近代批評に道を開いた。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ラ・アルプ」の意味・わかりやすい解説

ラ・アルプ
La Harpe, Jean François de

[生]1739.11.20. パリ
[没]1803.2.11. パリ
フランスの劇作家,批評家。古典劇の手法を忠実に守った悲劇『ワルウィク』 Warwick (1763) で好評を博した。また『メルキュール・ド・フランス』紙の文芸批評欄を担当,1786年パリのサントノレ街に「リセ」と称する文学講座を開講,社交界からもてはやされた。その結実である『リセまたは古代・現代文学講義』 Lycée ou Cours de littérature ancienne et moderne (16巻,99~1805) は,「ホメロスから現代にいたる」一貫した文学史としては最初のもので,ここにおいて文芸批評が初めて歴史的なものとなった。その文学的権威は 18世紀末から帝政時代にまで及んだ。 76年アカデミー・フランセーズ会員。

ラ・アルプ
La Harpe, Frédéric-César de

[生]1754.4.6. ボー,ロール
[没]1838.3.30. ロザーヌ
スイス,ボー州の政治家。ベルンの支配に抗して亡命,1784年ロシアでのちの皇帝アレクサンドル1世らの家庭教師となった。フランス革命が始るとボー州のベルンからの解放を計画,97年軍事介入をフランス総裁政府に要請,これを口実にフランス軍が侵入,スイスを支配した。 P.オクスとともにヘルウェティア共和国を樹立,98年その総裁政府に入り,独裁権を求めたが,1800年のクーデターで失脚,亡命した。ナポレオン没落後,アレクサンドル1世に頼ってボー州の独立をはかり,15年のウィーン会議にスイスとボー州の代表として参加した。

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367日誕生日大事典 「ラ・アルプ」の解説

ラ・アルプ

生年月日:1754年4月6日
スイスの政治家
1838年没

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