日本大百科全書(ニッポニカ) 「素朴派」の意味・わかりやすい解説
素朴派
そぼくは
peintres naïfs フランス語
技法は一見稚拙であっても、その素朴さが絵画の本質にとどまっていると思われる一連の画家たちのこと。20世紀初頭、パリの入市税関勤務のかたわら絵筆をとっていたアンリ・ルソーの作品が、ピカソやアポリネールらによって認められたことに端を発し、ルソー同様の仕事が評価され、近代美術史の一角に組み込まれた。個々の画家は、多くは非職業的にそれぞれ仕事を進めていたのであるが、素朴さという共通項によって一つの流れと目されたものである。
この考え方を打ち出したのは、ドイツの美術評論家ウィルヘルム・ウーデ(1874―1947)であった。ウーデはルソーの最初の伝記作者であり、ルイ・ビバンLouis Vivin(1861―1936)、セラフィーヌ・ルイSéraphine Louis(1864―1942)、アンドレ・ボーシャン、カミーユ・ボンボアらを次々にみいだし、1927年にこの4名にルソーを含めて「聖なる心の画家」展を企画した。パリ風景を丹念に誠実に描き続けたビバン、幻想の植物を追い求めたセラフィーヌ、無垢(むく)な神話風景のボーシャン、天真爛漫(てんしんらんまん)な人物像のボンボアらは、まことに「聖なる心」の画家たちであり、また同時に絵画のあり方を新たな角度から問い直すきっかけをもたらした。その後引き続き、これらフランスの画家だけでなく、ポーランドで生まれアメリカで独自の異常な装飾的効果で魅惑の画面をつくったモリス・ハーシュフィールドMorris Hirshfield(1872―1946)をはじめ、欧米各地の素朴画家に注目が寄せられることになった。こうした趨勢(すうせい)は、基本的にはルネサンス以降連綿として続いてきた写実主義の伝統への疑いから発せられたものであり、ゴーギャンが制作の地をタヒチに求めたことから始まり、20世紀に入り技巧や洗練からはほど遠い原始美術や未開美術の粗野な活力が見直されたのと同じ意味合いをもっている。これら素朴と粗野が今日の美術を活性化させる一因となっていることはいうまでもない。
[高見堅志郎]