日本大百科全書(ニッポニカ) 「ラフマニノフ」の意味・わかりやすい解説
ラフマニノフ
らふまにのふ
Сергей Васильевич Рахманинов/Sergey Vasil'evich Rahmaninov
(1873―1943)
ロシアの作曲家、ピアノ演奏者、指揮者。セミョノボの貴族の家に生まれる。ペテルブルグ音楽院を経て、モスクワ音楽院に学び、18歳でピアノ科、19歳で作曲科を卒業。そのころ作曲されたピアノのための『前奏曲嬰(えい)ハ短調』で名をあげ、ピアニスト活動も展開、自ら初演したピアノ協奏曲第2番ハ短調(作品18、1901)でグリンカ賞を得て名声を確立した。1904年から2年間ボリショイ劇場の指揮者となり、自作のオペラ『フランチェスカ・ダ・リミニ』を初演(1906)。1906年ドレスデンに移り、そこで作曲した交響曲第2番ホ短調(作品27、1907)は二度目のグリンカ賞を受けた。1909年アメリカに渡り、翌年までピアニストとして活躍し、ピアノ協奏曲第3番ニ短調(作品30)をニューヨーク初演(1909)。帰国後1917年までモスクワを中心に活躍したが、この年、革命とともに祖国を脱出、1918年からアメリカに定住して、この第二の祖国とヨーロッパ各地で演奏活動を続け、カリフォルニア州ビバリー・ヒルズに没した。この間の作品に、ピアノ協奏曲第4番ト短調(作品40、1926)、ピアノと管弦楽のための『パガニーニの主題による狂詩曲』(1934)がある。
ラフマニノフの作風は、チャイコフスキーなど19世紀音楽に範を求めたロマン的色彩に終始貫かれており、新しさや深みに欠ける反面、情緒的な旋律は広く親しまれている。ピアニストとしても、ロシア楽派の重鎮として大きい足跡を残した。
[船山信子]
『N・バジャーノフ著、小林久枝訳『ラフマニノフ――限りなき愛と情熱の生涯』(1975・音楽之友社)』