イギリスの工学者、物理学者。エジンバラ生まれ。カレドニア鉄道の主事を務めた技術者の父から教育を受け、1836年エジンバラ大学に入学した。卒業後、技術者のマクニールJohn MacNeill(1793?―1880)の下で働き、測量、鉄道工事、土木工事などに従事。1842年独立して技術者として現場の仕事を行うかたわら、土木工学会にいくつかの論文を発表した。1840年代後半からは、数理物理学についての研究も盛んに行い、1840年代にフランスのルニョーがまとめた水蒸気についての膨大な実験に立脚して、当時の熱素説に基づく蒸気機関の理論を覆し、一気に熱力学の基礎を打ち立てるという物理学上の第一線の仕事にかかわった。当初は「分子渦動仮説」という力学的方法から出発したが、1855年には「エネルギー」概念を一般的に把握する見方を提唱し、同時代のW・トムソン(ケルビン)やR・クラウジウスと並んでこの分野をリードした。
1855年、ランキンはグラスゴー大学の工学講座の教授に就任、以後、高等教育に工学教育を位置づけ、学問としての工学の市民権を獲得するという、当時イギリスで遅れていた仕事に熱心に取り組んだ。ランキンやトムソンの尽力によって、1872年にようやく理学士の学位制度が工学課程の修了者を含む制度として導入された。彼の工学に関する著作はそうした強い目的に貫かれている。『応用力学便覧』(1858)に始まり、『蒸気機関および原動機便覧』(1859)、『土木工学便覧』(1862)、『造船――理論と実際』(1864~1866、共著)、『機械および工場作業便覧』(1869)と続いた著作は、それぞれ最高水準を保ち、多くの版を重ねた。
明治初期の日本の工学教育に尽力したH・ダイエルはランキンの門下であり、『蒸気機関および原動機便覧』は1886年(明治19)に『蘭均氏汽機学(ランキンしききがく)』として邦訳され、工部大学校で広く読まれた。
[高山 進]
イギリスの工学者,物理学者。熱力学の建設者の一人。エジンバラ大学で学ぶ。鉄道会社の監督となった父の仕事に協力した後,1838年から4年間アイルランドで土木工事に従事した。その後主として土木工学の勉学に励み,53年ローヤル・ソサエティ会員,55年グラスゴー大学の教授となる。彼は多くの工学の教科書を著し,いずれも評判を呼び,版を重ねた。それらは非常に包括的な便覧としての性格をもち,同時に理論的レベルも高かった。とくに《応用力学便覧》(1858),《蒸気機関およびその他の原動機便覧》(1859),《土木工学便覧》(1862)が有名である。彼はまた,1840年代から,分子内微粒子の振動と回転の運動エネルギーに比例した温度を物体がもつという分子渦動仮説によって熱力学を論じ,53年には分子渦動仮説によらないエネルギーの一般理論を提出し,エネルギーの変換についても言及している。なお,エネルギーという語が一般に使われるようになったのは,彼やケルビンによる用法に始まるといわれている。
執筆者:高山 進
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…マッハ数という名称は,弾丸から発生する衝撃波について研究したオーストリアの物理学者E.マッハにちなんでつけられたものである。衝撃波に関する理論では,1870年にスコットランドのW.J.M.ランキンが,また87年にフランスのユゴニオHenri Hugoniot(1851‐87)が,それぞれ独立に衝撃波前後の圧力と密度の関係を与える式を導いた。これは現在,ランキン=ユゴニオの関係式として知られている。…
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