ランソン(英語表記)Gustave Lanson

デジタル大辞泉 「ランソン」の意味・読み・例文・類語

ラン‐ソン(Lang Son)

ベトナム北東部、ランソン省都市。同省の省都。首都ハノイの北東約140キロメートル、キークン川沿いに位置し、中国との国境近い。1979年の中越戦争で大きな被害を受けたが、現在は国境貿易が盛ん。付近に銅、鉛、亜鉛、ボーキサイトの鉱山がある。

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改訂新版 世界大百科事典 「ランソン」の意味・わかりやすい解説

ランソン
Gustave Lanson
生没年:1857-1934

フランス批評家。パリ大学教授,エコール・ノルマル・シュペリウール校長(1919-27)などをつとめた。現在のフランス文学史研究を基礎づけ,作品を生んだ条件を細部にわたって研究し,作品の校訂にも厳密な方法を規定する,実証主義的研究法を提唱した。その方法論は《文学史の方法》(1911。《諸学の方法》第2集)で述べられている。豊かな感受性と優れた歴史的思考力をもって,その広大な知識をまとめた《フランス文学史》(1894),その補完となる《近代フランス文学史書誌提要》4巻(1909-14),さらに個々の作家の優れた評伝など,その業績は著しい。文学史学派の祖として新批評家(ヌーベル・クリティーク)から批判を受けたが,その批判はランソンほどの思考力,感受性をもたずに,その方法だけを実践した弟子たちに向けられていると解しえよう。
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ランソン
Lang Son

ベトナム北部,トンキン地方北東部の町。ムナン(睦南)峠(標高300m)を隔てて中国の広西チワン族自治区に接する国境の要衝である。ハノイの北東約140kmにあり,町は標高270mの高地に位置する。ハノイからここを経,ムナン峠を越えて広西の湘桂鉄道に通ずる鉄道があり,両国間の重要な交通路であったが,中越国境紛争で1979年にこの地域が戦場となり,以来96年の再開まで鉄道は途絶していた。ランソン市街は中国軍によって完全に破壊されたという。付近一帯はタイ系をはじめ,山岳少数民族の居住地で,トンキン・デルタに比べ,人口は希薄である。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ランソン」の意味・わかりやすい解説

ランソン
Lanson, Gustave

[生]1857.8.5. オルレアン
[没]1934.12.15. パリ
フランスの批評家,文学史家。エコール・ノルマル・シュペリュール (高等師範学校) に学ぶ。パリその他のリセ (高等中学校) で教鞭をとったのち,パリ大学教授を経て,母校の校長 (1920~27) となる。テーヌの流れをくむ実証的批評の方法をさらに磨き上げ,作品を生み出した歴史的,思想的背景を重視する精密,着実な研究法を確立,以後の文学史研究に大きな影響を与えた。主著『フランス文学史』 Histoire de la littérature française (1894) ,『近代フランス文学書誌提要』 Manuel bibliographique de la littérature française moderne de1500à nos jours (4巻,1909~14) ,論文集『方法・批評・文学史に関する試論』 Essais de méthode,de critique et d'histoire littéraire (65,H.ペール編) 。

ランソン
Lang Son

ベトナム北東部,ランソン省の省都。首都ハノイの北東約 140kmにあり,中国との国境に近い。商業の中心地で,周辺では銅,亜鉛,ボーキサイトなどを産する。 1940年には「仏印」進駐をはかり,中国側から侵入した日本軍に占領された。交通の要地で,ハノイから中国のペキン (北京) 方面へ通じる鉄道が通る。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ランソン」の意味・わかりやすい解説

ランソン(Gustave Lanson)
らんそん
Gustave Lanson
(1857―1934)

フランスの文学史家。パリ大学教授。オルレアンに生まれる。高等師範学校(エコール・ノルマル・シュペリュール)校長。「ランソン的方法」とよばれる該博・綿密な実証的文学研究法を開拓、数多くの俊秀を育てて一大学派をなした。作家・作品を評価するための主観的な「批評」と、歴史的事実追究のための「文学史」を峻別(しゅんべつ)して、後者を純粋に客観的な科学として成立させようとするのが彼の基本的な考えである。主著に、名著の誉れの高い『フランス文学史』(1894)のほか、『近代フランス文学書誌』(1914)、『モンテーニュの「随想録」』(1929)、没後、主要論文を収録した『文学試論集』(1965)などがある。

[小林路易]

『佐藤正彰訳『文学史の方法』(1939・白水社)』『ランソン他著、有永弘人他訳『フランス文学史』三冊(1954~63・中央公論社)』


ランソン(ベトナム)
らんそん
Langson

ベトナム北東部、ランソン省(人口70万5000。1999)の省都。ハノイの北東140キロメートルに位置する。人口2万4379(1989)。国道1号線と鉄道が通じる。中国との国境から17キロメートルにあるため、ベトナム戦争の際に中国などからの援助物資輸送の重要な基地となった。農産物の集散地であり、付近からは銅、鉛、亜鉛なども産出する。住民にはタイ人が多い。

[菊池一雅]

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百科事典マイペディア 「ランソン」の意味・わかりやすい解説

ランソン

ベトナム北東部,中国国境の町。漢字では諒山。ハノイから鉄道で約150km,南寧・広州を結ぶ交通・商業・軍事上の要地。西のラオカイとともに古来中国軍の侵入路であった。国境付近にボーキサイト鉱脈が多く発見された。1979年,中越戦争により国境は閉鎖されたが,1992年再開された。2万人(1980)。→中越国境問題

ランソン

フランスの文学史家,批評家。パリ大学教授。資料の厳密な検討,作家の環境・時代・歴史との関連性の追求を特色とする実証主義的文学史研究方法を確立。主著は《フランス文学史》(1894年),《ボルテール》(1906年),《近代フランス文学史書誌提要》4巻(1909年―1914年)など。

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普及版 字通 「ランソン」の読み・字形・画数・意味

【蘭】らんそん

美酒。

字通「蘭」の項目を見る

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