フランスの批評家。パリ大学教授,エコール・ノルマル・シュペリウール校長(1919-27)などをつとめた。現在のフランス文学史研究を基礎づけ,作品を生んだ条件を細部にわたって研究し,作品の校訂にも厳密な方法を規定する,実証主義的研究法を提唱した。その方法論は《文学史の方法》(1911。《諸学の方法》第2集)で述べられている。豊かな感受性と優れた歴史的思考力をもって,その広大な知識をまとめた《フランス文学史》(1894),その補完となる《近代フランス文学史書誌提要》4巻(1909-14),さらに個々の作家の優れた評伝など,その業績は著しい。文学史学派の祖として新批評家(ヌーベル・クリティーク)から批判を受けたが,その批判はランソンほどの思考力,感受性をもたずに,その方法だけを実践した弟子たちに向けられていると解しえよう。
執筆者:福井 芳男
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フランスの文学史家。パリ大学教授。オルレアンに生まれる。高等師範学校(エコール・ノルマル・シュペリュール)校長。「ランソン的方法」とよばれる該博・綿密な実証的文学研究法を開拓、数多くの俊秀を育てて一大学派をなした。作家・作品を評価するための主観的な「批評」と、歴史的事実追究のための「文学史」を峻別(しゅんべつ)して、後者を純粋に客観的な科学として成立させようとするのが彼の基本的な考えである。主著に、名著の誉れの高い『フランス文学史』(1894)のほか、『近代フランス文学書誌』(1914)、『モンテーニュの「随想録」』(1929)、没後、主要論文を収録した『文学試論集』(1965)などがある。
[小林路易]
『佐藤正彰訳『文学史の方法』(1939・白水社)』▽『ランソン他著、有永弘人他訳『フランス文学史』三冊(1954~63・中央公論社)』
ベトナム北東部、ランソン省(人口70万5000。1999)の省都。ハノイの北東140キロメートルに位置する。人口2万4379(1989)。国道1号線と鉄道が通じる。中国との国境から17キロメートルにあるため、ベトナム戦争の際に中国などからの援助物資輸送の重要な基地となった。農産物の集散地であり、付近からは銅、鉛、亜鉛なども産出する。住民にはタイ人が多い。
[菊池一雅]
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