改訂新版 世界大百科事典 「中越国境問題」の意味・わかりやすい解説
中越国境問題 (ちゅうえつこっきょうもんだい)
中国とベトナム両国間の国境紛争。両国は1150kmの陸上境界線をもっている。この境界線は19世紀末中国(清朝)政府と,当時ベトナムを支配していたフランス政府が,条約に基づいて画定した国境線である。第2次世界大戦後の1957年と58年に,中越両国の支配政党の共産党間に交換された公文書は,旧来の境界線を国境として尊重すること,境界未確定の一部地区については,両国中央政府間の交渉で解決されるまで現状を厳しく守るべきことを,それぞれ表明した。しかしベトナム側は73年パリ和平協定が成立してからは,この取決めを無視し,計画的に国境で紛争をひき起こした。77年10月ようやく,平和五原則に従い友好的な協議を通じて,国境問題を完全に解決するための政府間交渉が開かれたが,進展をみることなしに78年8月打ち切られた。その後,中越国境の各地区に流血事件が多発する情勢が発生した。その結果中国軍は79年2月17日~3月5日の期間,〈自衛越境反撃〉の大規模の軍事作戦をおこなった(中越戦争)。その後91年11月の関係正常化まで国境交渉は停止された。なお中越陸上国境の緊張と連動してベトナム政府は74年,これまで海上国境線の画定が企てられたことのないトンキン湾(北部湾)において,中国領海南島の目前に新たに国境線を設定し,海域の3分の2のベトナム帰属を公表した。この一方的声明は中国政府から拒否された。その後,南沙群島(スプラトリー諸島),西沙群島の領有をめぐる問題がクローズアップされている。
執筆者:蠟山 芳郎
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