ランパル(読み)らんぱる(その他表記)Jean-Pierre Rampal

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ランパル」の意味・わかりやすい解説

ランパル
らんぱる
Jean-Pierre Rampal
(1922―2000)

フランスフルート奏者。生地マルセイユ音楽院で父に学ぶ。大学で医学を専攻したが、退学してパリ音楽院に進む。1947年ジュネーブ国際音楽コンクールで第1位となって名をあげ、フランス国立管弦楽団パリオペラ座の首席奏者を務めるかたわら、パリ・バロック・アンサンブルやフランス管楽五重奏団のメンバーとして室内楽でも活躍した。やがて華麗なスタイルと傑出した演奏技巧を生かして独奏活動に専念、広いレパートリーと多彩な表現力で第二次世界大戦後の世界のフルート界に大きな影響を及ぼした。1964年(昭和39)初来日、以後来日を重ね、日本のフルート人気に火を点じた。

岩井宏之]

『ジャン・ピエール・ランパル著、吉田雅夫訳『音楽、わが愛』(1992・シンフォニア)』『レーグラ・ミュラー編、金昌国訳『フルーティストとの対話』(1992・音楽之友社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「ランパル」の意味・わかりやすい解説

ランパル

フランスのフルート奏者。生地のマルセイユ音楽院とパリ音楽院に学ぶ。1947年ジュネーブ国際音楽コンクールで優勝し,1951年−1956年フランス国立放送管弦楽団,1956年−1962年パリ・オペラ座管弦楽団(オペラ座)で首席奏者を務める一方,独奏者として名声を高めた。また1953年ハープシコード奏者のベイロン・ラクロアらとパリ・バロック合奏団を組織するなど,室内楽にも活躍。1957年にはプーランク名曲《フルート・ソナタ》を作曲者と初演。華麗な技巧と広範なレパートリーで人気を博し,一時代を築いた。1964年に初来日。
→関連項目フルート

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

改訂新版 世界大百科事典 「ランパル」の意味・わかりやすい解説

ランパル
Jean-Pierre Rampal
生没年:1922-2000

フランスのフルート奏者。生地マルセイユの音楽院で父ジョゼフJosephにフルートを学ぶ。その後医科大学に進んだが,軍に召集されて医学を捨て,特別な許可を得て,ドイツ占領下のパリ音楽院に入学,5ヵ月で卒業。管弦楽団に所属する一方,独奏者としても活動。1950年代後半にはフランスの代表的なフルート奏者として国際的に知られるにいたる。また室内楽の面でも活動した。華麗な音色と達者な技巧,あらゆる作品を含んでいる広範なレパートリーのために,ランパルは第2次世界大戦後のフルート界の最初のスターとなった。その人気が,フルート界の隆盛ならびに演奏水準の向上の引金になったことは明らかである。1964年初来日。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ランパル」の意味・わかりやすい解説

ランパル
Rampal, Jean-Pierre-Louis

[生]1922.1.7. マルセイユ
[没]2000.5.20. パリ
フランスのフルート奏者。マルセイユとパリの音楽院で学び,1947年ジュネーブ国際コンクールで優勝,同年ビシーの管弦楽団に所属,55年パリ・オペラ座管弦楽団のソリストとなる。 68年パリ音楽院教授に就任古典から近代音楽まで幅広いレパートリーをもつ技巧家肌の名手として知られ,J.フランセ,A.ジョリベ,F.プーランクらが作品を捧げている。また指揮者としても活躍。世界各地で演奏活動を行なっており,64年の初来日以来日本での公演も数多く行なった。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android