ルジャンドル(読み)るじゃんどる(英語表記)Charles William Le Gendre

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ルジャンドル」の意味・わかりやすい解説

ルジャンドル
るじゃんどる
Adrien Marie Legendre
(1752―1833)

フランス数学者。パリの生まれ(トゥールーズ生まれの説もある)。マザランという名の学校で学び、神父マリJoseph François Marie(1738―1801)から影響を受け、数学へ進んだと伝えられる。ルジャンドルの研究は広い分野にまたがっていた。整数論における業績は輝かしいものであり、著書『整数論』Théorie des nombres(1798)は優れたものであるが、ガウスの論文や著書の出現によってその影に隠れてしまった。楕円(だえん)積分の研究をまとめた全3巻の『楕円関数論Traité des fonctions elliptiques(1825~1828)も名著に属するが、19世紀にドイツのヤコービノルウェーアーベルが、楕円積分そのものではなく、これの定義する関数の逆関数を考えて、ルジャンドルの理論を飛躍的に発展させたので、この名著も影が薄くなった。この悲運の数学者は1833年1月9日にパリの郊外で没した。

小堀 憲]


ル・ジャンドル
るじゃんどる
Charles William Le Gendre
(1830―1899)

アメリカ外交官。リ・ゼンドルともいい、李仙得とも署名した。8月26日フランスに生まれる。南北戦争従軍して負傷。1866年厦門(アモイ)領事となり、アメリカ船難破事件で台湾に渡り事件を解決して台湾通となる。1872年(明治5)来日して日本政府顧問となり、琉球(りゅうきゅう)問題解決に台湾出兵を献策した。74年の台湾出兵に際し大久保利通(としみち)に随行渡清(としん)し、中立義務違反として一時アメリカ領事館に拘留された。以後も日本に滞在、北海道開拓論を主張、90年韓国政府顧問となり、99年9月1日ソウルで没。声楽家関屋敏子(せきやとしこ)は孫。

[藤村道生]

『ユネスコ東アジア文化研究センター編『資料御雇外国人』(1975・小学館)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ルジャンドル」の意味・わかりやすい解説

ルジャンドル
Legendre, Adrien-Marie

[生]1752.9.18. パリ
[没]1833.1.9. パリ
フランスの数学者。若いとき学んだマザランという学校の数学教師マリによって数学への道を開かれる。 J.ダランベールの推薦により陸軍士官学校教官となる (1775~80) 。フランス革命には中立的立場を取り,そのため革命政府が創立したエコール・ノルマル・シュペリュール (高等師範学校) やエコール・ポリテクニクの教授にも,子午線の長さを測定する委員会の委員にもなれなかった。 1795年にやっと高等師範学校の教授になる。若い頃回転楕円体の引力について研究し,その覚え書 (83) のなかで,現在ルジャンドルの関数と呼ばれている関数を導入。また『彗星軌道を決定する新方法』 (1806) において,科学史上初めて最小二乗法のまとまった解説をした。しかし,彼の数学上の業績では,ユークリッドの諸命題を整理し単純化し読みやすいテキストに変えた『幾何学原論』 (1794) と楕円積分整数論の3つが重要であり,彼は 18世紀までの数学と 19世紀以後の数学とのかけ橋の役割を果した。

ル・ジャンドル
Le Gendre, Charles William

[生]1830.8.26. フランス
[没]1899.9.1. 京城(現ソウル)
フランス生れのアメリカの外交官。リゼンドルともいう。漢名は李仙得。アモイ (厦門) 領事のとき台湾問題に関係し,明治5 (1872) 年来日のとき,副島種臣外務卿の要請で外務省顧問となり,台湾併合を進言。のち韓国政府顧問。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

マイナ保険証

マイナンバーカードを健康保険証として利用できるようにしたもの。マイナポータルなどで利用登録が必要。令和3年(2021)10月から本格運用開始。マイナンバー保険証。マイナンバーカード健康保険証。...

マイナ保険証の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android