日本大百科全書(ニッポニカ) 「レユニオン島」の意味・わかりやすい解説
レユニオン島
れゆにおんとう
La Réunion
南インド洋上にある火山島で、フランスの海外県。マダガスカル島の東約800キロメートル、モーリシャス島の南西210キロメートルに位置する。面積は2512平方キロメートルと小さく、人口は84万(2013)。県都は北岸のサン・ドニ。地形は山がちで、北西部のネージュ火山(3069メートル)、南東部のフルネーズ火山(2631メートル)が占める部分が多く、平野は少ない。気候は亜熱帯海洋性で温暖であるが、インド洋サイクロン帯に属するため、12月~4月にはしばしばサイクロンに襲われる。年降水量は1400ミリメートルと多く、最高気温は26.7℃(1月)、最低気温は21.1℃(7月)である。
島の経済を支えるのは1815年導入されたサトウキビで、標高800メートルまで栽培されている。420近くある小工場で製糖されるほか、ラム酒に加工され輸出される。このほか商品作物としてバニラやゼラニウム油などの香料原料、コーヒー、タバコがある。しかしトウモロコシなどの食料は自給率が約25%で、米、肉、魚とともに輸入に依存している。製糖、ラム酒醸造以外の工業は未発達で、日常品のほとんどはフランス本国から輸入している。貿易相手国はフランスが第1位で輸入、輸出とも約半数を占めるが、イギリスとも貿易を行っている。通貨はユーロが使用されており、本国の主要銀行が支店を出している。島外との交通は、航空便はエールフランス航空が週6便運航し、船便は四つの船会社が定期便を就航させている。教育は比較的普及し、1971年にはインド洋フランス大学が創立された。宗教はほとんどがカトリックである。
1513年ポルトガル人が到達したときは無人島であったが、1638年フランス領となり、やがて入植が開始された。プランテーションの労働力に当初はアフリカ人奴隷が投入されたが、1848年の奴隷貿易廃止以後はマダガスカル人やインド人が移入された。1946年フランスの海外県となり、さらに1972年行政権が与えられた。すなわちレユニオン島からフランス本国の下院に3名、上院に3名の議員を送っており、島内は直接選挙による36名の県会議員と45名の地区委員によって統治されている。
[林 晃史]
火山
白亜紀末期にデカン高原の洪水玄武岩をつくったホットスポットの活動が現在はレユニオン島の下に移動してきていると考えられている。レユニオン島は前記のようにネージュ火山とフルネーズ火山の二つの大きな玄武岩の楯状(たてじょう)火山からなる。ネージュ火山は約200万年前から活動し約1万年前に活動を停止した。その後浸食を受け、現在はシラオスなどの三つの大浸食渓谷に囲まれている。
フルネーズ火山は、約50万年前から活動し、25万年前、6万5000年前、および、5000年前以降にできた三重の崩壊カルデラを有する。いずれのカルデラも東側に開いており、現在の山頂は、幅8キロメートルの最新の崩壊カルデラの内部に存在する。カルデラの内や外に数多くの火砕丘が存在している。1640年以降、150回以上噴火を繰り返し、1998年からは毎年のように噴火している。1回の噴火は数週間で終了する。粘性の低い玄武岩溶岩は東斜面を流れ下り、しばしば東海岸に達した。2007年の噴火では、山腹からの溶岩流出をともなう噴火に引き続き、山頂火口のドルミーユ火口の底部が直径約1キロメートルにわたって突然330メートルほど沈下した。これは地下のマグマの溜(たま)りから溶岩が抜け出て空になったために山頂部が陥没したもので、三宅島(みやけじま)で2000年(平成12)の噴火の際におきた現象と同じである。
[中田節也]