スペイン,カタルニャ地方の同名県の県都。人口10万6814(1981)。県内の農産物の集散地で,イベリア半島中央から北東部,さらにフランスへと続く交通の要所。市街のかたわらを流れるセグレ川が防壁の役割を果たし,古来から軍事戦略上の拠点とされてきた。前49年にカエサルが司令部を設置している。西ゴート時代に司教座都市であったが,イスラム教徒によって征服され,1149年,ラモン・ベレンゲール4世によって再征服された。1300年には大学が設置され,法学をはじめ神学,哲学,薬学が教授されていた。
カスティリャの中央集権化政策に反対し蜂起したカタルニャの反乱(1640)およびスペイン継承戦争(1701-14)にさいしては,反カスティリャの立場をとったが,戦いでは敗北し,町の大部分が破壊され,大学もセルベラへ移転させられた。
執筆者:鈴木 昭一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
スペイン北東部、カタルーニャ地方レリダ県の県都。人口11万2199(2001)。カタルーニャ語ではイェイダLléidaという。セグレ川右岸の標高222メートルに位置する。1149年以来、司教座所在都市。ローマ起源の古い町で、フランスへ抜ける交通上、軍事上の要地にあり、長く要塞(ようさい)都市としての性格を有していた。1831年の人口は1万2500にすぎなかったが、19世紀以来、周辺地域で近代的灌漑(かんがい)設備が整えられ、野菜や果物の集約的生産が行われるようになり、その中心地として発展した。現在はセグレ川との間の比高60メートル、四段にわたる河岸段丘上に豊かな耕地が開け、養鶏、養豚も行われ、それらの農産物の集散地、商業および行政の中心地となっている。旧市街には曲がりくねった道、大寺院や教会などの史跡が残る。
[田辺 裕・滝沢由美子]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…さらに44年以降はプロバンス侯国の支配権も握って先代以来のカタルニャとのきずなを一段と固めた。他方,アラゴンとの連合で強化された軍事力を生かしてトルトサとレリダの2イスラム教国を征服,53年までにはエブロ川河口を確保する形でカタルニャの国土回復戦争(レコンキスタ)を完了した。【小林 一宏】。…
※「レリダ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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