デジタル大辞泉
「レーナウ」の意味・読み・例文・類語
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レーナウ
- ( Nikolaus Lenau ニコラウス━ ) ハンガリー生まれのオーストリアの詩人。深い憂愁に満ちた詩を書き「世界苦」の詩人といわれる。代表作「葦の歌」。(一八〇二‐五〇)
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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レーナウ
Nikolaus Lenau
生没年:1802-50
ハンガリー生れのオーストリアの詩人。本名はNikolaus Franz Niembsch von Strehlenau。大学と専攻分野を転々と変えた後,なにも資格を取らぬまま,かなりの遺産が手に入ったのを機に,1831年シュトゥットガルトに旅行し,友人や出版社を見いだして,ここを根拠地に文筆活動に入る。翌年さらに自由に憧れてアメリカに渡るが,その実情に失望落胆して帰欧した。憂愁と絶望を歌う〈世界苦〉の詩人として知られ,《葦の歌》(1832)や《森の歌》(1843)等の自然詩では自然と人間との内的照応をみごとに歌い出したが,また外国支配下のポーランド民衆に同情を寄せる政治詩も書き,〈オーストリアのバイロン〉と呼ばれた。《ファウスト》(1836),《サボナローラ》(1837),《アルビゲン派の人々》(1842)では,叙事詩形式で人間と信仰の問題を扱ったが,その思想的立場は虚無主義からキリスト教神秘主義まで大きな振幅で揺れている。1844年に突如発狂,その後の5年余は病院生活であった。
執筆者:石井 不二雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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レーナウ
れーなう
Nikolaus Lenau
(1802―1850)
ドイツの詩人。ハンガリーに生まれる。ウィーンで医学を学んだが、祖父の遺産を得たため学業を放棄。シュワーベン詩派の詩人と親交を結び、連作『葦(あし)の歌』(1832)で注目された。ヒロイックな理想主義と、その挫折(ざせつ)による厭世(えんせい)観が彼の詩のなかで独特な屈折をみせる。「ドイツのバイロン」の呼び名もあり、いかにも詩人的な恋愛と放浪の生活を送ったが、晩年は精神に異常をきたし、精神科病院で悲惨な死を遂げた。
[松本道介]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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レーナウ
Lenau, Nikolaus
[生]1802.8.13. チャタード
[没]1850.8.22. ウィーン近郊
オーストリアの詩人。本名 Nikolaus Franz Niembsch,Edler von Strehlenau。ハンガリーの小貴族の家に生れ,ウィーン大学などで哲学,法律,医学を学んだ。その後シュツットガルトで,ウーラント,ケルナーらシュワーベン派の詩人たちと交遊。 1832年アメリカに渡ったが,絶望して早々に帰国。詩人として再出発したが,父の早い死,貧困,数度の不幸な恋愛など,苦悩に満ちた生活をおくり,44年に発狂,精神病院で没した。『詩集』 Gedichte (1832) や『新詩集』 Neuere Gedichte (38) に含まれている抒情詩は,大部分が孤独,憂愁,無常,没落をテーマにしている。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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レーナウ
オーストリアの詩人。ハンガリーの貴族の家に生まれた。深い憂愁をたたえ暗い情熱を秘めて世界苦を歌う抒情詩は広く愛好されたが,詩人自身は精神的に不安定で,米国へ移住のため旅立ったが失望して帰国したり,人妻との恋愛に悩んだりしたのち,晩年を精神病院で送った。《詩集》(1832年),《新詩集》(1838年)や叙事詩《サボナローラ》(1837年)など。
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世界大百科事典(旧版)内のレーナウの言及
【ドン・ジョバンニ】より
…なお,モーツァルトの作品のほかに,ドン・フアン伝説に基づいた音楽作品としては,R.G.シュトラウスの交響詩《ドン・フアンDon Juan》(1888)が名高い。シュレジアの詩人[N.レーナウ]の未完の詩《ドン・フアン》に基づき,理想の追求,女性の美と愛などをテーマとした詩の内容を自由な幻想曲の形式で表現した作品。【国安 洋】。…
※「レーナウ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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