レーベデフ(読み)れーべでふ(英語表記)Пётр Николаевич Лебедев/Pyotr Nikolaevich Lebedev

日本大百科全書(ニッポニカ) 「レーベデフ」の意味・わかりやすい解説

レーベデフ(Pyotr Nikolaevich Lebedev)
れーべでふ
Пётр Николаевич Лебедев/Pyotr Nikolaevich Lebedev
(1866―1912)

ロシア物理学者モスクワ生まれ。1887年ストラスブール大学に入学してA・クントに学び、1891年からモスクワ大学物理学を教え始めた。1900年に学位を得、ついでモスクワ大学物理学教授になったが、1911年、教育相が大学の自治を侵したことに抗議して大学を辞した。マクスウェルの光の電磁波説により存在が理論的に示されていた光圧を実験的に確かめて発表した(1899)。これに先だって電磁波の複屈折を初めて研究し(1895)、また彗星(すいせい)の尾がつねに太陽から遠ざかることを光圧で説明し、それは太陽風が発見されるまで正しい説とされていた。

[杉山滋郎]


レーベデフ(Sergey Vasil'evich Lebedev)
れーべでふ
Сергей Васильевич Лебедев/Sergey Vasil'evich Lebedev
(1874―1934)

ロシアの化学者。ペテルブルグ大学出身。1902年より母校に勤め、1925年同大学に化学的石油石炭転化研究室を組織、1928~1930年合成ゴム研究室を主宰、1932年ソ連科学アカデミー(現、ロシア科学アカデミー)正会員となり、1934年アカデミーの高分子研究室設立を指導した。早くより不飽和炭化水素重合水素添加重合体熱分解などの研究を行い、合成ゴムの製法の基礎を確立した。さらに1926年以来合成ゴム原料のブタジエンの新製法や充填(じゅうてん)剤を研究し、合成ゴム製造を工業化した(1931~1932)。

[梶 雅範]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「レーベデフ」の意味・わかりやすい解説

レーベデフ
Pyotr Nikolaevich Lebedev
生没年:1866-1912

ロシアの物理学者。モスクワの生れ。シュトラスブルク大学でA.クントの下に物理学を学んだ。1891年にモスクワにもどり,1900年に学位取得後モスクワ大学で物理学の教授となった。光の圧力(光圧)の存在を主張し,その仮説にもとづいてすい星の尾の方向についても独自の説を提唱,1898年ころから光圧測定の実験を開始し,最初に固体上での測定に成功,J.C.マクスウェルによる光の電磁波説に一致する結果を得た。1911年に起こった教育大臣による大学の自治不法侵害の際には,抗議の意味からみずから大学を去った。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「レーベデフ」の意味・わかりやすい解説

レーベデフ
Lebedev, Pëtr Nikolaevich

[生]1866.3.8. モスクワ
[没]1912.3.14. モスクワ
ロシアの物理学者。シュトラスブルクで A.クントに師事。 1891年学位取得。モスクワ大学教授 (1900) 。 1899年に,J.マクスウェルの予言した放射圧 (光圧) の実測に成功した。また,地磁気の起源を探究したことでも知られる。主著『光圧に関する実験的研究』 (01) 。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

大臣政務官

各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...

大臣政務官の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android