レーマン

精選版 日本国語大辞典 「レーマン」の意味・読み・例文・類語

レーマン

  1. ( Lilli Lehmann リリー━ ) ドイツのソプラノ歌手。一八六五年、プラハで初舞台をふむ。モーツァルトワーグナーの作品を得意とし、一九世紀後半最高の女性歌手とうたわれた。(一八四八‐一九二九

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百科事典マイペディア 「レーマン」の意味・わかりやすい解説

レーマン

ドイツ生れのソプラノ歌手。20世紀前半を代表する歌手の一人。ベルリン高等音楽学校に学び,1910年ハンブルク国立歌劇場でデビュー。R.ワーグナーやR.シュトラウスオペラで名声を高め,1916年ウィーン国立歌劇場に移籍。R.シュトラウスに認められ,《ナクソス島アリアドネ》(1916年),《影のない女》(1919年)などの初演で主演を務める。以後ロンドン,パリ,ベルリンなどの歌劇場に出演し,1934年メトロポリタン歌劇場にもデビューした。1938年ナチス治下のオーストリアを後に渡米し,1945年に米国市民権を取得。1951年引退。以後は後進の指導に当たった。オペラ・アリアのほか,シューベルト,シューマン,ブラームスウォルフなどのドイツ・リートの名唱を録音に残し,リートではB.ワルターがたびたび伴奏を務めた。自叙伝ほか何冊かの著書がある。

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改訂新版 世界大百科事典 「レーマン」の意味・わかりやすい解説

レーマン
John Frederick Lehmann
生没年:1907-87

イギリスの詩人,批評家,編集者。ケンブリッジ大学出身。オーデン・グループと親密で,彼らとともに左翼運動に加わる。雑誌《ニュー・ライティング》(のち《ペンギン・ニュー・ライティング》)の編集者として1930年代の新しい文学運動に貢献。またこれより前,レナードとバージニアウルフ夫妻ホガース・プレス創立と経営に尽力する。第2次大戦後は《ロンドン・マガジン》(1954-)を創刊,61年まで編集長を務める。すぐれた編集者として新しい才能発掘で知られるが,緊密で鋭い詩風の持主で《全詩集1930-63》(1963)があるほか,幼年期の感受性をみずみずしく描いた自叙伝《ささやく回廊》(1955),その続編《私は私の兄弟》(1960)や《ふんだんな提案》(1966)もすぐれている。またシットウェル姉弟の伝記である《虎たちのすみか》(1968),ウルフ夫妻についての回想録《ウルフ夫妻に身をささげて(狼たちに投げ与えられて)》(1978)があり,〈生きた現代文学貯蔵庫〉の趣がある。女流作家R.N.レーマンは姉。
執筆者:


レーマン
Rosamond Nina Lehmann
生没年:1903-90

イギリスの女流作家。J.F.レーマンの姉,女優ベアトリクス・レーマンの妹。ケンブリッジ大学卒業。少女期の不安定で繊細な,うち震えるような感受性を美しく香気豊かに描き出す作風をもち,処女作《味気ない答え》(1927)はその典型的なものである。《ワルツへの招待》(1932),《街の気候》(1936)は連作で,女主人公オリビアの18歳の無垢さと,10年後に結婚生活に傷つき離婚した経験とが描かれ,明と暗の対照,無垢と経験の照応がみごとである。最も野心的な作品は,女主人公と恋人と姉との三角関係を扱った《谺(こだま)する森》(1953)で,主題と技法とが緊密にからまりあった対位法が用いられ,息苦しいまでに密度の高い世界が描き出されている。ほかに自伝的な作品《夕暮れの白鳥--内面生活の断章》(1967),ファンタジー《海葡萄の樹》(1976)などがある。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「レーマン」の意味・わかりやすい解説

レーマン(Lotte Lehmann)
れーまん
Lotte Lehmann
(1888―1976)

ドイツのソプラノ歌手。ベルレベルク生まれ。ベルリンで学び、1910年ハンブルクでデビュー。14~38年ウィーン国立歌劇場に所属、R・シュトラウスの『影のない女』初演などで活躍した。R・シュトラウスやワーグナーの作品を中心にヨーロッパ各地の主要歌劇場に客演、20世紀前半の代表的ソプラノ歌手の1人とされ、豊かな張りのある美声と劇的な表現で知られた。38年以後はアメリカに定住、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場を中心に活躍して45年にオペラから引退。以後リートを歌うかたわら演出や教育を行い、カリフォルニア州サンタ・バーバラに没した。自伝『Midway in my Songs』(1938)、『My many Lives』(1948)がある。

[美山良夫]

『野水瑞穂訳『ロッテ・レーマン 歌の道なかばに』(1984・みすず書房)』


レーマン(Wilhelm Lehmann)
れーまん
Wilhelm Lehmann
(1882―1968)

ドイツの詩人。ベネズエラに生まれ、ハンブルク郊外で育った。大学卒業後教師となり、主として北ドイツ各地で勤め、1947年退職するまで長くエッケンフェルデの高等中学校(ギムナジウム)正員教授。第一次世界大戦で捕虜生活を数年経験した。初め小説に向かい、1935年詩集『沈黙の答』で詩に転向。当時高名な自然叙情詩人レールケを師として自然の動植物をリアリスティックに観察、北欧ゲルマンおよびギリシア神話伝説を交え異教的、汎神(はんしん)論的世界観を示す牧歌的な自然叙情詩を書いた。その詩はみがかれ、簡潔で美しい。初期の戦後派自然叙情詩人、のちに詩壇を代表するクローロKarl Krolow(1915―1999)などに影響を与えた。クライスト賞(1923)、レッシング賞(1953)、大功労十字勲章(1957)などを受賞。全集三巻(1962)がある。

[新保勝夫]

『神品芳夫訳『沈黙のこたえ』(『世界名詩集大成8』所収・1959・平凡社)』


レーマン(Rosamond Nina Lehmann)
れーまん
Rosamond Nina Lehmann
(1901―1990)

イギリスの女流小説家。ロンドンの上流家庭に生まれ、ケンブリッジ大学卒業。処女作の『味気ない答え』(1927)で子供の生活と成長を繊細に描いて名をなした。『ワルツへの招待』(1932)では思春期の少女の心理を写し、『民謡と源泉』(1945)では一少女に大人の悲劇的な世界を語らせている。『街の天候』(1936)と『こだまする林』(1953)では、1人の男性をめぐる三角関係のなかの女性の苦悩を扱っている。1967年には自伝『日暮の白鳥』を刊行した。

[安達美代子]


レーマン(John Frederick Lehmann)
れーまん
John Frederick Lehmann
(1907―1987)

イギリスの詩人、批評家。ケンブリッジ大学卒業。1930年代のイギリス詩壇で新声をあげたオーデンらとともに、詩選『新署名』(1932)によって世に出たのち、新しい文学の批評、紹介に活躍した。『ニュー・ライティング』(1936~39)や『ロンドン雑誌』(1954~61)の編集にも携わった。自伝『ささやき回廊』(1955)、『わたしは自分の兄弟』(1960)は第二次世界大戦前後の文学状況をよく伝えている。

[戸田 基]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「レーマン」の意味・わかりやすい解説

レーマン
Lehmann, Max

[生]1845.5.19. ベルリン
[没]1929.10.8. ゲッティンゲン
ドイツの歴史家。 L.ランケの門下生。 1888年マールブルク大学,93年ライプチヒ大学の各教授。同年ゲッティンゲン大学に移り,死ぬまで教授をつとめた。自由主義的歴史観をもって,ドイツの英雄,軍人の伝記にすぐれた業績を残した。プロシア改革に対するフランス革命の影響を大きく評価したことでも知られる。主著『シャルンホルスト』 Scharnhorst (2巻,1886~87) ,『フリードリヒ大王と七年戦争の起源』 Friedrich der Grosse und der Ursprung des siebenjährigen Krieges (94) ,『1640年以降のプロシアとカトリック教会』 Preussen und die katholische Kirche seit 1640 (7巻,78~94) 。

レーマン
Lehmann, Rudolf

[生]1842.10. オルデンブルク
[没]1914.2.4. 東京
ドイツの来日教師,技師。カルルスルーエの工業専門学校卒業。造船,機械技師。兄が大坂に商会を営んでいた関係で来日し,明治3 (1870) 年,京都府に建築技師として招聘され,汽船組立てに従事。次いで府下欧学舎語学,学術教師に雇われ,翌4年最初の独和辞典を編纂。 1873年,京都府勧業課による洋紙工場の建設を担当。 82年上京。東京大学予備門,東京外国語学校で語学を教授。ドイツ・アジア協会の会長に就任して日独文化交流の基礎を築いた。 L.リースによる略伝がある。夫人 (木田べん) とともに東京の雑司ヶ谷に葬られた。

レーマン
Lehmann, Lotte

[生]1888.2.27. ペルレベルク
[没]1976.8.26. サンタバーバラ
ドイツ生れのアメリカのソプラノ歌手。ベルリン高等音楽学校で学び,1910年ハンブルクでワーグナーの『ローエングリン』に出演以来,ワーグナー歌手として知られた。 30年シカゴに,34年メトロポリタン歌劇場にデビューし,アメリカに定住,38年市民権を得た。 45年までオペラ歌手として活躍したが,のちリート歌手に転向,51年告別リサイタルを開き第一線から引退し,その後は教師として活躍した。 20世紀前半最高のソプラノ歌手の一人。

レーマン
Lehmann, Rosamond (Nina)

[生]1903.2.3. ロンドン
[没]1990.3.12.
イギリスの女流作家。 J.レーマンの姉。 Wogan Philipps夫人。女性心理を扱った繊細な作品で知られる。処女作『汚れた答え』 Dusty Answer (1927) で一躍有名になり,『バラッドと典拠』 The Ballad and the Source (44) などを発表,代表作は『こだまする茂み』 The Echoing Grove (53) 。

レーマン
Lehmann, Wilhelm

[生]1882.5.4. ベネズエラ
[没]1968.11.17. エッケルンフェルデ
ドイツの詩人,小説家。教員生活を経て,第1次世界大戦に従軍。帰還後,『偶像破壊者』 Der Bilderstürmer (1917) をはじめとする小説を発表したのち,『沈黙の答』 Antwort des Schweigens (35) ,『緑の神』 Der grüne Gott (42) ,『恍惚の塵』 Entzückter Staub (46) などで,自然抒情詩の代表者とされる。

レーマン
Lehmann, John Frederick

[生]1907.6.2. バッキンガム,ボーンエンド
[没]1987.4.7.
イギリスの批評家。ケンブリッジ大学に学んだ。『ニュー・ライティング』や『ロンドン・マガジン』の編集を通じて新しい文学の紹介,新人の発掘に努めた。自伝や詩集もある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「レーマン」の解説

レーマン Lehmann, Rudolf

1842-1914 ドイツの技術者,教師。
1842年10月15日生まれ。明治2年(1869)兄のカールが設立したレーマン・ハルトマン商会の相談役として来日。京都の欧学舎教師となり,同僚たちと日本初の独和辞典の編集にあたる。10年「和独対訳字林」を校定。のち東京外国語学校,東京大学予備門でおしえ,退職後は日独貿易に従事した。大正3年2月4日東京で死去。71歳。オルデンブルク出身。

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