日本大百科全書(ニッポニカ) 「レーマン」の意味・わかりやすい解説
レーマン(Lotte Lehmann)
れーまん
Lotte Lehmann
(1888―1976)
ドイツのソプラノ歌手。ベルレベルク生まれ。ベルリンで学び、1910年ハンブルクでデビュー。14~38年ウィーン国立歌劇場に所属、R・シュトラウスの『影のない女』初演などで活躍した。R・シュトラウスやワーグナーの作品を中心にヨーロッパ各地の主要歌劇場に客演、20世紀前半の代表的ソプラノ歌手の1人とされ、豊かな張りのある美声と劇的な表現で知られた。38年以後はアメリカに定住、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場を中心に活躍して45年にオペラから引退。以後リートを歌うかたわら演出や教育を行い、カリフォルニア州サンタ・バーバラに没した。自伝『Midway in my Songs』(1938)、『My many Lives』(1948)がある。
[美山良夫]
『野水瑞穂訳『ロッテ・レーマン 歌の道なかばに』(1984・みすず書房)』
レーマン(Wilhelm Lehmann)
れーまん
Wilhelm Lehmann
(1882―1968)
ドイツの詩人。ベネズエラに生まれ、ハンブルク郊外で育った。大学卒業後教師となり、主として北ドイツ各地で勤め、1947年退職するまで長くエッケンフェルデの高等中学校(ギムナジウム)正員教授。第一次世界大戦で捕虜生活を数年経験した。初め小説に向かい、1935年詩集『沈黙の答』で詩に転向。当時高名な自然叙情詩人レールケを師として自然の動植物をリアリスティックに観察、北欧ゲルマンおよびギリシア神話伝説を交え異教的、汎神(はんしん)論的世界観を示す牧歌的な自然叙情詩を書いた。その詩はみがかれ、簡潔で美しい。初期の戦後派自然叙情詩人、のちに詩壇を代表するクローロKarl Krolow(1915―1999)などに影響を与えた。クライスト賞(1923)、レッシング賞(1953)、大功労十字勲章(1957)などを受賞。全集三巻(1962)がある。
[新保勝夫]
『神品芳夫訳『沈黙のこたえ』(『世界名詩集大成8』所収・1959・平凡社)』
レーマン(Rosamond Nina Lehmann)
れーまん
Rosamond Nina Lehmann
(1901―1990)
イギリスの女流小説家。ロンドンの上流家庭に生まれ、ケンブリッジ大学卒業。処女作の『味気ない答え』(1927)で子供の生活と成長を繊細に描いて名をなした。『ワルツへの招待』(1932)では思春期の少女の心理を写し、『民謡と源泉』(1945)では一少女に大人の悲劇的な世界を語らせている。『街の天候』(1936)と『こだまする林』(1953)では、1人の男性をめぐる三角関係のなかの女性の苦悩を扱っている。1967年には自伝『日暮の白鳥』を刊行した。
[安達美代子]
レーマン(John Frederick Lehmann)
れーまん
John Frederick Lehmann
(1907―1987)
イギリスの詩人、批評家。ケンブリッジ大学卒業。1930年代のイギリス詩壇で新声をあげたオーデンらとともに、詩選『新署名』(1932)によって世に出たのち、新しい文学の批評、紹介に活躍した。『ニュー・ライティング』(1936~39)や『ロンドン雑誌』(1954~61)の編集にも携わった。自伝『ささやき回廊』(1955)、『わたしは自分の兄弟』(1960)は第二次世界大戦前後の文学状況をよく伝えている。
[戸田 基]