イギリスの画家,銅版画家。ロンドン生れ。1713年から7年間,銀細工師ギャンブルE.Gambleのもとで修業。学校教師の父はコーヒー店経営に失敗し,4年間フリート債務者監獄に投獄される。父の死(1718)の2年後,銅版画師として独立し,21年《南海泡沫事件》で世に出る。S.バトラーの風刺詩《ヒューディブラス》などの文学作品の銅版挿絵も手がける。22-23年ソーンヒル卿 Sir J.Thornhillの美術アカデミーに通ううち,令嬢ジェーンと恋仲になり駈落ちする。生活のため〈カンバセーション・ピース〉とよばれる貴族の集団肖像画を制作。しかし,版画による不特定多数の顧客からの収入および大衆教育に興味を抱き,33年連作版画《娼婦一代記》を発行し評判となる。やがて海賊版が横行したため,35年,版画家を守る著作権法を議会に通過させる(ゆえに〈ホガース法Hogarth Act〉とも呼称)。同年,種々の時事的話題をとり入れた連作版画《放蕩息子一代記》で名声はいっそう高まる。41年には捨て子養育院開設のために奔走する。43年優れた銅版師を求めてパリへ旅行(それ以前はみずから彫版)。45年,経済的に破滅寸前の貴族の息子と成金商人の娘との契約結婚による不幸な顚末を描く連作版画《当世風結婚》を発行する(以上の連作版画には同題の油彩シリーズが先行)。ここで彼は,当時のイギリス上流階級の悪習,外国文化への盲愛,身分向上をめざす商人の虚栄などをユーモラスに風刺した。47年,中産階級の意識向上を目ざす《勤勉と怠惰》の12点連作では,時流に適した内容,と企業家から高く評価される。48年,第2回目のパリ旅行の途上,カレーの要塞をスケッチしてスパイ容疑で逮捕され,彼のフランス嫌いを如実に表す《カレーの門》(油彩画,版画)を制作する。51年作家H.フィールディングに同調し,版画《ビール街》《ジン横丁》で下層階級のアルコール中毒を風刺。53年実践的な絵画論《美の分析》を出版するが,賛否両論が激しかった。63年,中風発作に襲われ健康を害し,翌年急死。
ホガースは,それまで大陸の画家の影響下にあった貴族の肖像画の伝統から絵画を解放して,イギリスに風俗画の分野を確立した。また彼の連作版画は,その物語性から〈読む版画〉,その教訓的意図から〈描かれた道徳〉と呼称された。彼は,後のローランドソンやギルレーの政治風刺版画,フランスのグルーズの物語的絵画などに影響を与えている。
執筆者:森 洋子
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イギリスの画家。ロンドンに生まれ、同地に没。初め版画を学び、1720年代の末ごろ、油彩を当時の宮廷画家ソーンヒルの画塾に学ぶ。師の娘と駆け落ち同然に結婚。初め生活のため小さな肖像画や家族だんらんの絵を描いたが、やがて物語絵の連作を始める。1731年ごろに『ある娼婦(しょうふ)の生涯』6場を描いて以来、多くの物語絵をつくって成功を収め、岳父とも和解する。35年以後『ある蕩児(とうじ)の生涯』その他が制作され、45年には『当世風結婚(マリッジ・ア・ラ・モード)』が描かれた。これらの作品のうちにはバラッド・オペラにされたものもあり、また彼自身がこれを銅版画にして民衆に親しまれることになった。これは、スウィフトなどによる散文の確立と、ジャーナリズムの発展という時代の風潮と不可分のものだった。こうした作品で当時の貴族や富裕階級を鋭く批判したので、風刺画の祖ともいわれる。しかし、一方では『えび売りの娘』のような生気に満ちた新鮮な油彩によるスケッチを残している。こうしたさりげない作品に人間への愛情がいっそう強くうかがえる。53年『美の分析』と題する論文も出版している。
[岡本謙次郎]
『森洋子編著『ホガースの銅版画――英国の世相と諷刺』(1981・岩崎美術社)』
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… 自然の抒情的な,あるいは〈ピクチュアレスク〉な美しさに対するイギリス人の感性は,ロマン派の詩に典型的に表れているが,ターナー,コンスタブルら同時代の風景画も,この点で他国に抜きん出ている。また,18世紀の市民社会の成立,発展と共にイギリスの文学はヨーロッパをリードする位置にあったが,小説的,逸話的,ときに教訓的,風刺的なものを好む国民性は,イギリス人特有のユーモア感覚と相まってW.ホガースからビクトリア期に至るイギリス絵画のバックボーンのひとつをなした。 〈コモン・センス〉という言葉に象徴されるイギリス人の穏健な良識感覚は,大陸における未来主義や表現主義のような前衛的・急進的な芸術運動を生むには適さなかった。…
…オランダでは風俗のコミカルな誇張をみせるC.ドゥサルト,時事問題を風刺的に描くR.deホーヘがおり,18世紀ローマには滑稽な肖像を描くP.L.ゲッツィがいる。イギリスではW.ホガースが教訓的・風刺的作品をしばしば数枚の組物語絵に描き,またそれを版画にして大衆化を考えた。T.ローランドソンはフランス的な艶雅さを風俗風刺に加え,J.ギルレーはイギリス王室やナポレオン体制などを激越に批判し,ホガースの伝統を深めた。…
…18世紀のイギリスでは,政治家や地主階級の議員が,穀物の消費量を増すため蒸留酒製造業への法的規制と税を緩和して,ビールにかわる安価なジンの大量消費を計画的に奨励した結果,過度の飲酒が都市の貧窮,犯罪,家庭破壊を助長した。W.ホガースは,健康で幸福な〈ビール通り〉と,不幸と恐怖に満ちた〈ジン横丁〉との一対の銅版画で,ジョージ2世時代の政治と世相を風刺した。彼や,T.ローランドソン,G.クルックシャンクらの風刺版画は政治漫画への道を開いた。…
…それと同時に,乱雑な部屋や怠惰な飽食人間をも風刺している。18世紀には,イギリスの画家W.ホガースが連作《当世風結婚》で,没落した上流階級と成金の中産階級の子弟同士の結婚とその転落を描き,当時の契約結婚の悲劇を世に訴えた。その中で成金の市参事会員の娘が一夜で貴婦人となり,フランス風ファッションを誇るが,ホガースは当時の上流階級のフランス文化への偏愛をも揶揄している。…
…ルイ14世がオランダの風俗画をみて,〈これらの恐るべきものを外してしまえ〉と叫んだというエピソードもあながち誇張ではなかった。 18世紀では,イギリスのホガースが《娼婦一代記》や《放蕩息子一代記》など時事性に富んだ油彩画連作,さらにその版画化によって大衆の心をつかむなど,風俗画の世界に新風をもたらした。フランスではロココ様式のフェート・ギャラント(雅宴画)の最盛期であった。…
※「ホガース」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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