レーマー(読み)れーまー(英語表記)Ole Christensen Römer

日本大百科全書(ニッポニカ) 「レーマー」の意味・わかりやすい解説

レーマー
れーまー
Ole Christensen Römer
(1644―1710)

デンマーク天文学者木星衛星の食による光速測定者。ユトランドの小商家に生まれる。1662年コペンハーゲン大学に入学、複屈折の発見者バルトリンErasmus Bartholin(1625―1698)の指示でティコ・ブラーエ手記の編集を任せられた。1671年パリ天文台のJ・ピカールがティコの遺跡を調査に訪れた際にその世話役をつとめて認められ、1672年パリ天文台に招かれた。1675年以来木星の衛星の食を観測し続けて、その周期が、衝(しょう)の前後では理論値より約11秒短く、反対に合(ごう)の前後で約11秒長いことを測定した。この結果から、光速度は有限であり、地球軌道半径を通過するのに約22分を要するところから、秒速27万7000キロメートルと定めた。1681年母国に帰り母校の数学教授と付置天文台台長を兼任。天体位置の精密観測のために子午線赤道儀を考案した。1705年にコペンハーゲン市長、1707年に国会議長をも務めた。

[島村福太郎]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「レーマー」の意味・わかりやすい解説

レーマー
Rømer, Ole Christensen

[生]1644.9.25. オールフス
[没]1710.9.23. コペンハーゲン
デンマークの天文学者。デンマークを訪れた J.ピカール助手になり,1672年パリに出て教育を受け,パリ王立天文台で観測・研究に従事。 79年にはイギリスに渡り,I.ニュートン,J.フラムスティード,E.ハレーらとも交流している。帰国後 (1681) ,宮廷数学者,コペンハーゲン大学天文学教授およびコペンハーゲン天文台台長。またコペンハーゲン市長 (1705) 。パリ時代,木星の衛星を観測中に衛星の食の起る時刻が地球と木星との間の距離によって異なることから,光速度が有限であると推論し,76年音速の 60万倍程度 (秒速約 22万 5000km) という値を得た。彼の得た数値そのものは実際より小さな値であったが,光速度の有限性を定量的に実証した業績は物理学史上画期的なものであった。

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