ピカール(読み)ぴかーる(その他表記)Jacques Ernest-Jean Piccard

デジタル大辞泉 「ピカール」の意味・読み・例文・類語

ピカール(Charles Émile Picard)

[1856~1941]フランスの数学者。解析学に優れた研究があり、微分方程式の解法の逐次近似法、群論などでも業績をあげた。

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精選版 日本国語大辞典 「ピカール」の意味・読み・例文・類語

ピカール

  1. [ 一 ] ( Auguste Piccard オーギュスト━ ) スイスの物理学者。気球による成層圏観測や潜水艇バチスカーフによる深海観測を行なった。一九五四年、四〇四九メートルの深海潜水記録をつくった。(一八八四‐一九六二
  2. [ 二 ] ( Charles Emile Piccard シャルル=エミール━ ) フランスの数学者。解析学に優れた研究があり、微分方程式の解法の逐次近似法などにも業績を残した。(一八五六‐一九四一

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ピカール」の意味・わかりやすい解説

ピカール(Jacques Piccard)
ぴかーる
Jacques Ernest-Jean Piccard
(1922―2008)

スイスの深海探検家、深海潜水技術者。ベルギーブリュッセルに生まれる。高名な高空・深海探検家オーギュスト・ピカールの長男。父と協力して、世界初のバチスカーフ(深海潜水艇)、FNRS-2号(FNRS-1号は超高層用気球)の開発にあたり、1948年完成させた。1960年1月、アメリカ海軍のバチスカーフ、トリエステ号でアメリカ海軍の大尉ドン・ウォルシュDon Walsh(1931―2023)とともに、マリアナ海溝チャレンジャー海淵(かいえん)で地球最深部の1万0916メートルの潜水に成功した。潜水調査船オーギュスト・ピカール号、ベン・フランクリン号、F・A・フォーレル号などをつくり、スイスのレマン湖を中心に湖水・深海の調査や自然保護運動に従事した。コンパス国際賞(アメリカ海洋技術協会、1981年)などを受賞。おもな著書に、『The Sun Beneath the Sea』(1971年。『海の下の太陽』)、ディーツと共著の『Seven Miles Down』(1962年。邦訳『一万一千メートルの深海を行く』)がある。

[半澤正男・佐伯理郎]

『J・ピカール、R・S・ディーツ著、佐々木忠義訳『一万一千メートルの深海を行く――バチスカーフの記録』(角川新書)』


ピカール(Émile Picard)
ぴかーる
Émile Picard
(1856―1941)

フランスの数学者。パリ生まれ。トゥールーズ、パリの各大学で教鞭(きょうべん)をとる。1889年科学アカデミー会員、1917年にはその終身書記長となる。また1924年にはアカデミー・フランセーズ会員に選ばれた。ピカールは1879年に「超越整関数はたかだか一つの値を除いてすべての複素数値をとること」を示し、これがボレル、アダマール、バリロンG. Valiron(1884―1955)らを経て、ネバンリンナR. Nevanlinna(1895―1980)の「有理型関数の値分布理論」に発展した。また微分方程式の解法としての逐次近似法の有効性を多くの例によって示した。さらに「線形常微分方程式に対して代数方程式に関するガロアの理論にあたる理論」をつくった。なお「二変数代数関数」を研究して、シマールG. Simart(1882―1971)との共著『Théorie des fonctions algébrique de deux variables indépendantes』全2巻(1897、1906)を著した。

[吉田耕作]


ピカール(Jean Picard)
ぴかーる
Jean Picard
(1620―1682)

フランスの測地学者。ラ・フレシェ生まれ。フランス科学アカデミー創設時(1666)の会員。1668~1670年にフランスの国家的事業として重視された子午線の測量に取り組み、三角測量に初めて望遠鏡を利用し、測定器の改良に努めた。精密に測った値は、実用上の役割を果たした一方で、ニュートンにより万有引力の法則の確証のためにも利用された。1671年『地球の測定』を出版、1673年にはパリ天文台に移り、デンマーク天文学者レーマーイタリアカッシーニを迎え入れ、陣容を充実させた。

[河村 豊]


ピカール(Auguste Piccard)
ぴかーる
Auguste Piccard
(1884―1962)

スイスの物理学者、探検家。スイスのバーゼルで双子の弟として生まれた。兄とともにチューリヒ連邦工科大学に入学し、兄は化学工学で、彼は機械学で学位を取得した。1907年にチューリヒ大学、1922年からはベルギーの首都にあるブリュッセル大学の物理学教授となった(~1954)。気球による飛行に興味をもち、1930年にベルギー国立科学研究財団より援助を受け、翌1931年の5月27日に、高度1万6000メートルまでの上昇に成功し、大気電気や放射能を観察するなど高層研究の領域を開いた。また1937年からは深海探査に挑み、1948年に最初の深海潜水調査船バチスカーフを製作した。1960年には息子のジャックの協力を受け、約1万メートルの潜水に成功した。

[河村 豊]

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改訂新版 世界大百科事典 「ピカール」の意味・わかりやすい解説

ピカール
Charles Émile Picard
生没年:1856-1941

フランスの数学者。パリに生まれパリに没す。1874年エコール・ノルマル・シュペリウールに入学,77年卒業し学位を取得。79年トゥールーズ大学教授,85年パリ大学教授,88年アカデミー・デ・シアンスの大賞を授けられ,同会員に選定,1924年アカデミー・フランセーズ会員となる。もっとも著名な業績として1878年に得た〈ピカールの小定理〉は,〈整関数が二つの有限値をとらないならばこの関数は定数に等しい〉,同じく86年に得た〈ピカールの大定理〉は,〈孤立真性特異点aの近傍で1価の解析関数はたかだか二つの値を除いて,いかなる値もaの近傍で無限回とる〉というもので,これらはのちにE.ボレル,J.アダマール,E.ランダウ,E.ショットキーらの研究を経てネバンリンナR.Nevanlinnaの〈有理型関数の値分布理論〉(1929)に発展した。また微分方程式の解の逐次近似法,線形常微分方程式に関するガロア理論(この方程式の求積法の反復によっての可解性の判定),その他偏微分方程式の研究や代数幾何学の研究なども有名である。主著に《解析学研究》全3巻(1905-28)がある。
執筆者:


ピカール
Auguste Piccard
生没年:1884-1962

スイス生れの物理学者。1931年アメリカに帰化。バーゼルで双生児として生まれる。バーゼルおよびチューリヒで学ぶ。1917年チューリヒ工科大学の教授,22年ブリュッセル大学の教授となった。ゴンドラをつけた気球に乗って成層圏の気象,空中電気,宇宙線の観測を行い,32年8月には,1万6940mに達した。また,バチスカーフと名づけた深海観測船をつくり,彼の子ジャックJacques P.とともにダカール沖で4049mの深海観測記録をつくった。60年にジャックはアメリカ海軍のウォルシュDan Walshとともに,バチスカーフ型のトリエステ号によりマリアナ海溝で1万0916mの潜水記録をつくった。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ピカール」の意味・わかりやすい解説

ピカール
Piccard, Jacques

[生]1922.7.28. ベルギー,ブリュッセル
[没]2008.11.1. スイス,ツールドペイルズ
スイスの海洋工学者,経済学者,物理学者。フルネーム Jacques-Ernest-Jean Piccard。父オーギュスト・ピカールを手伝って深海潜水艇バチスカーフを製造し,自身は中深海潜水艇メソスカーフを開発した。1946年にジュネーブ大学で修士号を取得し,同大学で 2年間教鞭をとった。1953年に父とイタリアのポンツァ諸島沖でバチスカーフの『トリエステ』で水深 3099mまで潜航した。1958年に『トリエステ』を買い上げたアメリカ海軍の顧問になり,1960年1月23日に太平洋マリアナ海溝で史上最深の 1万916mまで潜航した。1969年にメソスカーフの『ベン・フランクリン』で北アメリカの東海岸に沿って約 3000kmを流浪し,メキシコ湾流を調査した。1999年には息子のベルトランらと熱気球による初の世界一周に成功した。

ピカール
Piccard, Auguste

[生]1884.1.28. バーゼル
[没]1962.3.24. ローザンヌ
スイスの物理学者。バーゼル大学化学教授の息子として生れる。 J.F.ピカールは双生児の弟。チューリヒのスイス連邦工科大学で物理学を学び,学位取得後も母校で研究を続けたのち,ブリュッセル大学応用物理学教授 (1922) 。空中電気,宇宙線観測用の高層気球の開発改良に力を注ぎ,1931年に1万 5780mの高度記録をつくって以来,次々に新しい高度記録を打立てた。その後深海観測に進み,48年深海潜水艇『バチスカーフ』を完成,1400mの潜水記録をつくった (48.10.) 。のち息子のジャックが父の仕事を受継ぎ,60年に『トリエステ2世』を使ってマリアナ海溝で海面下1万 916mに達した。

ピカール
Picard, (Charles-) Émile

[生]1856.7.24. パリ
[没]1941.12.11. パリ
フランスの数学者。パリ大学講師 (1878) 。ツールーズ大学教授 (79) 。 1881年からはエコール・ノルマル・シュペリュール (高等師範学校) でも教える。パリ大学教授 (98) 。 1917年からはパリの科学アカデミーの数学部門の常任幹事。研究は広範囲に及び,なかでも代数多様体の研究において,現在,ピカール多様体と呼ばれている概念を導入した。これは代数幾何学において基本的役割を演じている。また 79年に彼が証明したピカールの定理は,複素関数論の基本定理の一つである。彼が導入した逐次近似法は,微分方程式の解の存在を証明する新しい手段であり,現在,コンピュータの発達とともに,微分方程式の応用にとって欠かせない。彼の調和振動の研究は,積分方程式論の始りを告げる目印となった。

ピカール
Picard, Jean

[生]1620.7.21. ラフレッシュ
[没]1682.7.12. パリ
フランスの天文学者。パリのコレージュ・ド・フランスの天文学教授 (1655) 。初めて精確な子午線測量を行い,それに基づいて地球の直径を算出した。彼の得た結果は,I.ニュートンによって,その万有引力の法則の検証のために用いられた。また望遠鏡用の照準器の考案,天文観測に振り子時計を用いるなど,精密天文観測の発展に貢献した。さらに,1679年には天文位置推算暦作成のための,初の国家的事業を興し,その編集の任にあたった。そのほか水銀気圧計内の真空に生じる発光を記録報告したことでも知られている。

ピカール
Piccard, Jean Felix

[生]1884.1.28. バーゼル
[没]1963.1.28. ミネソタ,ミネアポリス
スイス生れのアメリカの化学者,航空技術者。 A.ピカールとは双生児の兄弟。チューリヒのスイス連邦工科大学で学位取得後,ミュンヘン,ローザンヌ大学で教職についたのち,1916年アメリカに渡り,31年帰化。ミネソタ大学航空工学科の教授 (1937) 。気球による成層圏観測に貢献,多くの改良を重ね,34年に飛行家である妻のジャネットとともに,1万 7540mの上空に達したことで知られている。

ピカール
Picard, Louis-Joseph-Ernest

[生]1821. パリ
[没]1877. パリ
フランスの政治家,ジャーナリスト。 1857年選出された共和派議員5人の一人。『自由選挙人』 Electeur libreの創刊者。 70年国防政府の蔵相に就任。その後ベルギー駐在大使をつとめ,L.ティエールの没落後辞任。

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知恵蔵mini 「ピカール」の解説

ピカール

フランスの冷凍食品専門メーカー、及びそのブランド名。1900年代初頭、レイモン・ピカールが創業した製氷会社を前身とし、冷蔵庫の登場・普及とともに冷凍食品などの卸業や小売、カタログ販売を行うようになった。73年にアルマン・デッセルが買収し、翌年にはパリ17区のローマ通りに冷凍食品専門店第1号をオープンさせた。2016年11月現在では、ヨーロッパ7カ国で1000店舗以上を展開している。1000以上の品目を有し(うち95%以上がプライベート・ブランド)、「フランス人が選ぶ好きな食べものブランド調査」で10~16年まで連続1位を獲得したフランスの国民的食品ブランドとなっている。日本では、14年秋から総合スーパー「AEON(イオン)」の一部店舗で販売が始まり、16年11月23日、東京都・青山に日本1号店がオープンした。さらに同年12月2日には中目黒、9日には麻布に出店する予定となっている。

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百科事典マイペディア 「ピカール」の意味・わかりやすい解説

ピカール

気球による成層圏探検とバチスカーフによる深海潜水で有名なスイスの実験物理学者,地球物理学者。J.F.ピカールと双生児の兄弟。1932年に気球FNRS1号を製作,1万6940mの高度に到達。1954年には最初のバチスカーフFNRS2号によりダカール沖で4049mの潜水記録を樹立。次いでトリエステ号を建造,息子ジャック・ピカールは同号とともに米国に渡り,米海軍のウォルシュとともにマリアナ海溝のチャレンジャー海淵(かいえん)付近で1万918mの深度記録を樹立。

ピカール

フランスの数学者。1886年パリ大学教授。解析関数(関数論),微分方程式等解析学全般にわたり研究,名著《解析学研究》3巻(1905年―1928年)を書いた。

ピカール

スイス生れの米国の化学者,航空技術者。A.ピカールと双生児の兄弟。チューリヒ工科大学卒。米国に移住,1931年市民権を得た。1934年妻ジャネットとともにミシガン州ディアボーンで気球による成層圏飛行を行い,1万7550mの高度に達した。1937年ミネソタ大学教授。

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世界大百科事典(旧版)内のピカールの言及

【気球】より

…最初はもっぱら冒険飛行に使われていた気球も,やがて軍事面でも利用されるようになり,フランス革命では敵情の偵察に使用されたのをはじめ,1870年の普仏戦争では,包囲されたパリと外部との連絡を行うのにも用いられた。 有人気球の高度記録は1931年のA.ピカールによって樹立された1万6940mに続いて,次々と更新され,現在の記録は,アメリカ海軍のロスMalcolm D.RossとプレーザーVictor A.Pratherが61年,約28万m3の気球を航空母艦から発進させて達成した3万4668mである。 現在もっともよく使われている気球は,スポーツ用の熱気球と,科学観測用の無人のヘリウム気球である。…

【深海潜水艇】より

… 深海潜水の歴史は,1930年代初頭,アメリカにおいて母船からつり下げられた深海潜水球による潜降実験で最大深度約900mを記録したのが始まりといわれる。本格的な深海潜水艇としては,A.ピカールによって48年に建造された直径2mの耐圧球を使ったFNRSIIが最初であり,そして,同艇を改良したフランス海軍の4人乗りのFNRSIIIは53年に2100m,翌年4050mの潜航深度を記録した。53年にはイタリアでFNRSIIと同じ形式の深海艇トリエステTriesteが建造され,同艇は,その後,アメリカ海軍の所有となり,60年ピカールの息子であるJ.ピカールによりマリアナ海溝で潜航深度1万0916mの世界最深記録を樹立している。…

【バチスカーフ】より

…スイスのA.ピカールによって開発された深海観測用潜水船の形式。海水より軽い石油を満たした船体の下部に,水圧に耐えるようつくられた人間の入る船室をつけ,自重と浮力とが釣り合うようにし,鉄のバラストの捨て方を調節して沈降,浮上するようになっている。…

※「ピカール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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