スイスの深海探検家、深海潜水技術者。ベルギーのブリュッセルに生まれる。高名な高空・深海探検家オーギュスト・ピカールの長男。父と協力して、世界初のバチスカーフ(深海潜水艇)、FNRS-2号(FNRS-1号は超高層用気球)の開発にあたり、1948年完成させた。1960年1月、アメリカ海軍のバチスカーフ、トリエステ号でアメリカ海軍の大尉ドン・ウォルシュDon Walsh(1931―2023)とともに、マリアナ海溝のチャレンジャー海淵(かいえん)で地球最深部の1万0916メートルの潜水に成功した。潜水調査船オーギュスト・ピカール号、ベン・フランクリン号、F・A・フォーレル号などをつくり、スイスのレマン湖を中心に湖水・深海の調査や自然保護運動に従事した。コンパス国際賞(アメリカ海洋技術協会、1981年)などを受賞。おもな著書に、『The Sun Beneath the Sea』(1971年。『海の下の太陽』)、ディーツと共著の『Seven Miles Down』(1962年。邦訳『一万一千メートルの深海を行く』)がある。
[半澤正男・佐伯理郎]
『J・ピカール、R・S・ディーツ著、佐々木忠義訳『一万一千メートルの深海を行く――バチスカーフの記録』(角川新書)』
フランスの数学者。パリ生まれ。トゥールーズ、パリの各大学で教鞭(きょうべん)をとる。1889年科学アカデミー会員、1917年にはその終身書記長となる。また1924年にはアカデミー・フランセーズ会員に選ばれた。ピカールは1879年に「超越整関数はたかだか一つの値を除いてすべての複素数値をとること」を示し、これがボレル、アダマール、バリロンG. Valiron(1884―1955)らを経て、ネバンリンナR. Nevanlinna(1895―1980)の「有理型関数の値分布理論」に発展した。また微分方程式の解法としての逐次近似法の有効性を多くの例によって示した。さらに「線形常微分方程式に対して代数方程式に関するガロアの理論にあたる理論」をつくった。なお「二変数代数関数」を研究して、シマールG. Simart(1882―1971)との共著『Théorie des fonctions algébrique de deux variables indépendantes』全2巻(1897、1906)を著した。
[吉田耕作]
フランスの測地学者。ラ・フレシェ生まれ。フランス科学アカデミー創設時(1666)の会員。1668~1670年にフランスの国家的事業として重視された子午線の測量に取り組み、三角測量に初めて望遠鏡を利用し、測定器の改良に努めた。精密に測った値は、実用上の役割を果たした一方で、ニュートンにより万有引力の法則の確証のためにも利用された。1671年『地球の測定』を出版、1673年にはパリ天文台に移り、デンマークの天文学者レーマーやイタリアのカッシーニを迎え入れ、陣容を充実させた。
[河村 豊]
スイスの物理学者、探検家。スイスのバーゼルで双子の弟として生まれた。兄とともにチューリヒ連邦工科大学に入学し、兄は化学工学で、彼は機械学で学位を取得した。1907年にチューリヒ大学、1922年からはベルギーの首都にあるブリュッセル大学の物理学教授となった(~1954)。気球による飛行に興味をもち、1930年にベルギー国立科学研究財団より援助を受け、翌1931年の5月27日に、高度1万6000メートルまでの上昇に成功し、大気電気や放射能を観察するなど高層研究の領域を開いた。また1937年からは深海探査に挑み、1948年に最初の深海潜水調査船バチスカーフを製作した。1960年には息子のジャックの協力を受け、約1万メートルの潜水に成功した。
[河村 豊]
フランスの数学者。パリに生まれパリに没す。1874年エコール・ノルマル・シュペリウールに入学,77年卒業し学位を取得。79年トゥールーズ大学教授,85年パリ大学教授,88年アカデミー・デ・シアンスの大賞を授けられ,同会員に選定,1924年アカデミー・フランセーズ会員となる。もっとも著名な業績として1878年に得た〈ピカールの小定理〉は,〈整関数が二つの有限値をとらないならばこの関数は定数に等しい〉,同じく86年に得た〈ピカールの大定理〉は,〈孤立真性特異点aの近傍で1価の解析関数はたかだか二つの値を除いて,いかなる値もaの近傍で無限回とる〉というもので,これらはのちにE.ボレル,J.アダマール,E.ランダウ,E.ショットキーらの研究を経てネバンリンナR.Nevanlinnaの〈有理型関数の値分布理論〉(1929)に発展した。また微分方程式の解の逐次近似法,線形常微分方程式に関するガロア理論(この方程式の求積法の反復によっての可解性の判定),その他偏微分方程式の研究や代数幾何学の研究なども有名である。主著に《解析学研究》全3巻(1905-28)がある。
執筆者:吉田 耕作
スイス生れの物理学者。1931年アメリカに帰化。バーゼルで双生児として生まれる。バーゼルおよびチューリヒで学ぶ。1917年チューリヒ工科大学の教授,22年ブリュッセル大学の教授となった。ゴンドラをつけた気球に乗って成層圏の気象,空中電気,宇宙線の観測を行い,32年8月には,1万6940mに達した。また,バチスカーフと名づけた深海観測船をつくり,彼の子ジャックJacques P.とともにダカール沖で4049mの深海観測記録をつくった。60年にジャックはアメリカ海軍のウォルシュDan Walshとともに,バチスカーフ型のトリエステ号によりマリアナ海溝で1万0916mの潜水記録をつくった。
執筆者:高橋 浩一郎
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…最初はもっぱら冒険飛行に使われていた気球も,やがて軍事面でも利用されるようになり,フランス革命では敵情の偵察に使用されたのをはじめ,1870年の普仏戦争では,包囲されたパリと外部との連絡を行うのにも用いられた。 有人気球の高度記録は1931年のA.ピカールによって樹立された1万6940mに続いて,次々と更新され,現在の記録は,アメリカ海軍のロスMalcolm D.RossとプレーザーVictor A.Pratherが61年,約28万m3の気球を航空母艦から発進させて達成した3万4668mである。 現在もっともよく使われている気球は,スポーツ用の熱気球と,科学観測用の無人のヘリウム気球である。…
… 深海潜水の歴史は,1930年代初頭,アメリカにおいて母船からつり下げられた深海潜水球による潜降実験で最大深度約900mを記録したのが始まりといわれる。本格的な深海潜水艇としては,A.ピカールによって48年に建造された直径2mの耐圧球を使ったFNRSIIが最初であり,そして,同艇を改良したフランス海軍の4人乗りのFNRSIIIは53年に2100m,翌年4050mの潜航深度を記録した。53年にはイタリアでFNRSIIと同じ形式の深海艇トリエステTriesteが建造され,同艇は,その後,アメリカ海軍の所有となり,60年ピカールの息子であるJ.ピカールによりマリアナ海溝で潜航深度1万0916mの世界最深記録を樹立している。…
…スイスのA.ピカールによって開発された深海観測用潜水船の形式。海水より軽い石油を満たした船体の下部に,水圧に耐えるようつくられた人間の入る船室をつけ,自重と浮力とが釣り合うようにし,鉄のバラストの捨て方を調節して沈降,浮上するようになっている。…
※「ピカール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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