ロジェストベンスキー(読み)ろじぇすとべんすきー(英語表記)Геннадий Николаевич Рождественский/Gennadiy Nikolaevich Rozhdestvenskiy

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ロジェストベンスキー」の意味・わかりやすい解説

ロジェストベンスキー(Gennadiy Nikolaevich Rozhdestvenskiy)
ろじぇすとべんすきー
Геннадий Николаевич Рождественский/Gennadiy Nikolaevich Rozhdestvenskiy
(1931―2018)

ロシアの指揮者。父は高名な指揮者ニコライ・アノーソフНиколай Павлович Аносов/Nikolai Pavlovich Anosov(1900―1962)。生地のモスクワ音楽院で指揮とピアノを修め、1955年卒業と同時にボリショイ劇場指揮者となった。以後モスクワ放送交響楽団、ボリショイ劇場、ストックホルムフィルハーモニーBBC交響楽団ソ連文化省交響楽団の音楽監督や首席指揮者を歴任。1957年(昭和32)ボリショイ・バレエ団とともに初来日。バレエ、オペラ、コンサートと幅広く活動、広範なレパートリーをもち、色彩豊かでダイナミックな演奏を得意とした。

[岩井宏之 2018年6月19日]


ロジェストベンスキー(Robert Ivanovich Rozhdestvenskiy)
ろじぇすとべんすきー
Роберт Иванович Рождественский/Robert Ivanovich Rozhdestvenskiy
(1932―1994)

ソ連の詩人。ゴーリキー文学大学を卒業、『春の旗』(1955)で詩壇デビュー、「雪どけ」後を代表する若手詩人の一人として活躍する。マヤコフスキー伝統を継ぐ市民的パトスに満ちた詩風をもち、叙事詩レクイエム』(1961)、『30世紀への手紙』(1963)や、詩集『献詩』(1970)、『線』(1973)などはその代表作

[安井侑子]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ロジェストベンスキー」の意味・わかりやすい解説

ロジェストベンスキー
Rozhestvenskii, Robert Ivanovich

[生]1932.6.20. アルタイ,コシハ
[没]1994.8.20.
ソ連の詩人。 1950年代後半~60年代に登場したいわゆる「雪どけ」を代表する詩人の一人。軍人の家に生れ,両親が戦線に参加したのちは孤児院で育った。ペトロザボーツク大学,ゴーリキー文学大学を卒業,55年処女詩集『春の旗』 Flagi vesnyを出版,以後『試練』 Ispytanie (1956) ,『同年者へ』 Rovesniku (62) など 10冊近い詩集を出している。叙事詩『鎮魂歌』 Rekviem (61) は D.カバレフスキーが作曲した。ほかに叙事詩『30世紀への手紙』 Pis'mo v 30 vek (63) などがある。

ロジェストベンスキー
Rozhestvenskii, Zinovii Petrovich

[生]1848.11.11.
[没]1909.1.14.
ロシアの軍人,提督。日露戦争の際,1904年4月第2太平洋分遣艦隊司令官に任じられ,10月から翌年5月バルト海から極東へバルチック艦隊を移動させたが,対馬沖の海戦で日本の連合艦隊に完敗 (→日本海海戦 ) 。日本の捕虜となり,ロシアに帰国後軍法会議にかけられたが,重傷の理由で放免,06年退役。

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