ロストフツェフ(英語表記)Michael Ivanovich Rostovtzeff

改訂新版 世界大百科事典 「ロストフツェフ」の意味・わかりやすい解説

ロストフツェフ
Michael Ivanovich Rostovtzeff
生没年:1870-1952

ロシア生れの西洋古代史家。キエフ近郊で生まれる。ペテルブルグ大学卒業後西ヨーロッパ各国に留学,1901年からペテルブルグ大学教授となる。17年の十月革命には反対の立場をとり,翌年ロシアを去ってオックスフォードに移った。20年にはアメリカに渡り,ウィスコンシン大学教授,25-44年にはイェール大学教授をつとめ,この間にユーフラテス河畔のドゥラ・ユーロポスの発掘を指導した。彼の古代史研究の特徴は,文献や碑文史料だけでなく考古学的資料をも有機的にとり入れ,きわめて生き生きとした古代史像を描き出していることにある。それとともに,ギリシア・ローマ文明の本質をなすものとして,都市とその富裕者層の役割が強調されている。ロストフツェフによれば,この〈都市ブルジョアジー〉の文化が,農民や都市下層民の〈プロレタリアート〉の敵意反動によって没落し,文明は低い段階に後退したという。このような彼の史観は,変動しつつあった20世紀前半のヨーロッパ,特にロシアにおける彼の社会的・政治的立場を反映するものであった。彼の〈ブルジョアジー〉〈プロレタリアート〉〈資本主義〉といった概念も,厳密な歴史的概念としては問題がある。しかし,以上のような限界はあるものの,ロストフツェフの古代史像はきわめて魅力的な生命力を持っており,彼を20世紀前半の代表的な西洋古代史家の一人にあげることは,多くの歴史家が認めるところである。主著は,《ローマ帝国社会経済史》(1926,改訂増補1957),《ヘレニズム世界社会経済史》(1941,改訂増補1953)であるが,このほか多数の著書論文・発掘報告がある。それらのうち《南ロシアにおけるイラン人とギリシア人》(1922,邦訳題《古代の南ロシア》),《隊商都市》(英語版1932)には邦訳がある。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ロストフツェフ」の意味・わかりやすい解説

ロストフツェフ
ろすとふつぇふ
Michael Ivanovich Rostovtseff (Rostowzew)
(1870―1952)

ロシア生まれの西洋古代史家。ペテルブルグ大学で学んだのち、1903年より同大学教授。17年に十月革命が起こると、翌年イギリスに亡命。さらに2年後アメリカに渡り、20~25年ウィスコンシン大学教授。以後、エール大学教授、同大学考古学研究主任を務め、39年名誉教授となる。彼は考古学の成果を組織的に歴史研究に取り入れ、生き生きとした古代社会像を描き出した。ただし、古典古代文明を「都市ブルジョアジー」の文明ととらえ、それを「プロレタリアート」が破壊したとする彼の古代史観は、さまざまな方面からの批判を浴びている。おもな著書として『ローマ帝国社会経済史』(1926、第二版1957)、『ヘレニズム世界社会経済史』(1941)があり、そのほか『南ロシアにおけるイラン人とギリシア人』(1922)と『隊商都市』(1931、英語版1932)には邦訳がある。

[坂口 明]

『坪井良平・榧本亀次郎訳『古代の南露西亜』(1944・桑名文星堂/復刻版・1976・原書房)』『青柳正規訳『隊商都市』(1978・新潮社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ロストフツェフ」の意味・わかりやすい解説

ロストフツェフ
Rostovzeff, Michael Ivanovich

[生]1870.11.10. キエフ近郊
[没]1952.10.20. ニューヘーブン
ロシアの考古学者,歴史学者。キエフ大学,ペテルブルグ大学で学んだのち,ポンペイ遺跡を訪れ,以後古代ギリシア・ローマ時代の社会,経済生活の研究に努め,特に考古資料を導入して古代文化史の分野に新生面を開いた。 1918年アメリカに渡り,20~25年ウィスコンシン大学,25~44年エール大学教授となった。またユーフラテス河岸の発掘調査隊長もつとめた。主著『ローマ帝国社会経済史』 The Social and Economic History of the Roman Empire (1926) ,『ヘレニズム世界の社会経済史』 The Social and Economic History of the Hellenistic World (41) 。

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百科事典マイペディア 「ロストフツェフ」の意味・わかりやすい解説

ロストフツェフ

ロシア生れの歴史家。ペテルブルグ,イェール大学教授。ロシア革命後英国を経て1920年米国に亡命。考古学的史料に基づき古典古代の社会経済機構を解明し,西洋古代史研究に画期的業績を残した。主著《ヘレニズム世界社会経済史》《ローマ帝国社会経済史》。

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世界大百科事典(旧版)内のロストフツェフの言及

【ローマ没落史観】より

…ギボンが強調した宗教的要因は,近年モミリアーノA.Momiglianoによりキリスト教会への最良者の吸収という形で再評価された。自然科学的方法の援用は,19世紀末から20世紀初頭にかけて,地力消耗を没落原因とするJ.vonリービヒやシンコービチG.Simkhovitch,気候変動と没落の関連を説くE.ハンティントンらの自然的要因を重視する見解を生んだが,これらに対してはM.I.ロストフツェフによる鋭い批判がある。医学や生物学の進歩は人間的要因にも目を向けさせ,ゼークO.Seeckの〈最良者の絶滅〉論,人種混交によるローマ市民団の劣性化を説くフランクT.FrankやニルソンM.P.Nilssonの説を生んだが,これらも厳しい批判を浴び,ことにナチズムによる罪禍ののちは影を潜めた。…

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