中世フランスの最古の武勲詩。11世紀半ばより口誦詩として発展,世紀末に現在の姿(オックスフォード本)となる。純粋に口誦詩として存在した原《ローランの歌》の作者は知るよしもないが,オックスフォード本の場合最後の詩句で名のる〈チュロルデュスTuroldus〉が作者ないし改作者であろう。主題は778年シャルル(カール)大帝のスペイン遠征の史実に基づくが,オックスフォード本《ローランの歌》では当時のイスラムに対する再征服と十字軍の気運の中でキリスト教世界とイスラム世界との対決の物語となり,戦士の倫理感と聖戦思想にあふれている。スペイン平定後大帝の後衛軍がガヌロンの内通によりピレネー山中の峠ロンスボーでイスラム教徒軍に襲われ,寡兵で奮戦し敵を敗走させるが味方も全員壮烈な死を遂げる。ローランの角笛を聞きつけ取って返したシャルル大帝はおりしも来援した太守バリガンを倒しイスラム教徒軍を壊滅させる。帰国後裏切者ガヌロンは処刑される。主要人物は骨太に造形され,ローラン対ガヌロン,ローラン対オリビエ,キリスト教世界対イスラム世界などの二元的対立関係を軸に劇的な世界を創り上げる。10音綴4002行,半階音assonance,行数不定の291詩節laisseからなり,定形句,詩節全体がほとんど同じ形で繰り返されていく〈相似レース〉など口誦詩特有の技法を駆使している。この技法はその後の武勲詩で衰退し,しだいに文字文学の文体へと移行する。《ローランの歌》はフランスで脚韻による幾つかの改作を生む一方,ヨーロッパ各地で多くの翻訳,翻案を生んだ。
執筆者:神沢 栄三
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フランス最古の武勲詩。現存最古の写本はオクスフォード写本(12世紀)。歌の原型は11世紀までさかのぼりうる。カール大帝のスペイン遠征(778年)中のローランの武勲を展開する。
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…750年ウマイヤ朝の滅亡により北アフリカに逃れ,756年スペインに渡ってコルドバに後ウマイヤ朝を開き,ベルベル人の反乱やアッバース朝が糸を引く反乱を鎮めて王朝の基礎を築いた。サラゴサの領有をめぐるカール大帝との戦いは,中世ヨーロッパの武勲詩《ローランの歌》にうたわれている。【花田 宇秋】。…
… 中世に入ると,キリスト教化しつつヨーロッパに定着したゲルマン系の諸民族が,それぞれの伝承をもとに,神話的もしくは英雄的な叙事詩を生み出した。古いものでは8世紀ごろ成立したイギリスの《ベーオウルフ》があり,北欧の〈エッダ〉と〈サガ〉,ドイツの《ニーベルンゲンの歌》などのゲルマン色の濃いものや,おそらくケルト系のアーサー王伝説群,それに,キリスト教徒の武勲詩の性格をもつフランスの《ローランの歌》,スペインの《わがシッドの歌》などが,いずれも12,13世紀ごろまでに成立する。抒情詩としては12世紀ごろから南仏で活動したトルバドゥールと呼ばれる詩人たちの恋愛歌や物語歌がジョングルールという芸人たちによって歌われ,北仏のトルベール,ドイツのミンネゼンガーなどに伝わって,貴族階級による優雅な宮廷抒情詩の流れを生むが,他方には舞踏歌,牧歌,お針歌などの形で奔放な生活感情を歌った民衆歌謡の流れがあり,これがリュトブフ(13世紀)の嘆き節を経て,中世最後の詩人といわれるフランソア・ビヨン(15世紀)につらなる。…
…フランス語ではロンスボー。778年フランク王カール大帝のイスラム教徒に対する遠征軍が帰途に当地のバスク人に敗北した戦いは,中世の叙事詩《ローランの歌》に伝承された。サンチアゴ・デ・コンポステラへの巡礼路のスペイン側の起点で,12世紀に建てられた修道院は宿泊所および病院にあてられた。…
※「ローランの歌」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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