わがシッドの歌(読み)わがしっどのうた(その他表記)Cantar de Mío Cid

日本大百科全書(ニッポニカ) 「わがシッドの歌」の意味・わかりやすい解説

わがシッドの歌
わがしっどのうた
Cantar de Mío Cid

スペイン叙事詩作者不詳。従来は1140年ごろの作とする説が支配的であったが、近年は13世紀初頭に書かれたと主張する学者が増えている。現存するスペインの三つの叙事詩のなかではもっとも古く、かつ、いちばん原形に近い形で伝わっている。冒頭の1ページないしは2ページが散逸したと考えられており、現存するのは全3730行である。

 この叙事詩はイスラム教徒たちから「わがシッド(主人)」とよばれていた実在の武将ロドリーゴ・ディーアス・デ・ビバールをモデルにして、史実に従って書かれている。アルフォンソ国王の不興を買ったシッドは、妻や娘たちに別れを告げて部下とともに追放の旅に出る。彼は当時イベリア半島のなかばを支配していたイスラム教徒の小国に仕えたりしながら、しだいに自分の力を蓄え、バレンシアを征服して支配者となり、妻や娘たちを迎える。怒りを和らげた国王はシッドの2人の娘をカリオン伯の2人の息子と結婚させるが、彼らは成り上がり者のシッドの娘との結婚に不満であった。さらにモーロ人との戦いで彼らの臆病(おくびょう)ぶりがもの笑いになったこともあって、2人は妻に対して腹いせを考える。妻を連れ出した2人はコルペスの森にくると彼女たちを裸にして、木の枝で打ちのめして半死半生のめにあわせ、置き去りにしてしまう。シッドは国王に訴えて裁きを求める。この裁きの最中にナバラアラゴンの国王が、彼らの息子たちの嫁としてシッドの娘を欲しがり、アルフォンソ王がそれを認める。物語は、2人の王子がシッドの甥(おい)と試合をして敗れ、自らの非を認めるところで終わっている。

 この叙事詩は誇張が少なく写実的に書かれていて、主人公のシッドにしても、人間的な欲望に従って行動しており、そこにはイスラム教徒に対する聖戦意識のようなものは感じられない。しかしカスティーリャ王国がスペインの主導権を握るにつれて、シッドも国民的英雄へと変貌(へんぼう)する。

桑名一博

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改訂新版 世界大百科事典 「わがシッドの歌」の意味・わかりやすい解説

わがシッドの歌 (わがシッドのうた)
Cantar de mio Cid

現存するスペイン最古の文学作品。スペイン人イスラム教徒に対する国土回復戦争に活躍した実在の英雄シッド・カンペアドール(エル・シッド)を主人公とする武勲詩で,1140年ごろに書かれたと推定されるが,ヨーロッパのすべての中世叙事詩と同じく作者は不詳である。全部で3730行の韻文からなり,三つの歌に分かれている。第1は〈追放の歌〉である。国王アルフォンソ6世にカスティリャを追われたシッドは,70騎ばかりの部下を率いてモーロ人(イスラム教徒)の支配する地域に攻め入り,数々の勝利を収める。第2は〈婚礼の歌〉である。バレンシアを攻略したシッドはアルフォンソ王に貢ぎ物をして許され,シッドの2人の娘とカリオン伯爵の公子兄弟の婚礼がとり行われる。第3は〈コルペスの屈辱の歌〉である。妻たるシッドの娘たちを虐待してコルペスの森の中に置き去りにしたカリオン兄弟に対してシッドが報復し,2人の娘をそれぞれアラゴンとナバラの王子に再婚させる。文体は簡潔にして直截的であり,リアリズムがその最大の特徴である。例えばフランスの《ローランの歌》と比べても,超現実的な,あるいは神話的な描写ははるかに少なく,ほとんどが史的事実に基づいている。そして,主人公シッドはローランほど理想化されてはおらず,人間的情感に富んだ人物として描かれている。
エル・シッド
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百科事典マイペディア 「わがシッドの歌」の意味・わかりやすい解説

わがシッドの歌【わがシッドのうた】

現存するスペイン最古の文学作品。スペイン人のイスラム教徒に対する国土回復戦争において活躍した実在の英雄エル・シッドの武勲を描いた叙事詩で,12世紀の中ごろに成立したと推定されるが作者は不詳である。全部で3730行の韻文からなり,文体は簡潔にして,史的事実に基づいたリアリズムがその特徴である。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「わがシッドの歌」の意味・わかりやすい解説

わがシッドの歌
わがシッドのうた
Cantar de Mío Cid

スペインの国土回復運動時代の実在の英雄で,エル・シッド・カンペアドールと呼ばれたロドリーゴ・ディアス・デ・ビバールをたたえた3部作の武勲詩。 3735行。スペイン文学で現存する最古の作品。 1140~1200年頃カスティリア地方の吟遊詩人の作とされるが,現存するのはペル・アバの写本 (1307) 。多くのヨーロッパの武勲詩や,同じくシッドを歌った後世の歌謡とは異なり,空想的または伝説的な粉飾を排し,写実的に歌われている。

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世界大百科事典(旧版)内のわがシッドの歌の言及

【詩】より

… 中世に入ると,キリスト教化しつつヨーロッパに定着したゲルマン系の諸民族が,それぞれの伝承をもとに,神話的もしくは英雄的な叙事詩を生み出した。古いものでは8世紀ごろ成立したイギリスの《ベーオウルフ》があり,北欧の〈エッダ〉と〈サガ〉,ドイツの《ニーベルンゲンの歌》などのゲルマン色の濃いものや,おそらくケルト系のアーサー王伝説群,それに,キリスト教徒の武勲詩の性格をもつフランスの《ローランの歌》,スペインの《わがシッドの歌》などが,いずれも12,13世紀ごろまでに成立する。抒情詩としては12世紀ごろから南仏で活動したトルバドゥールと呼ばれる詩人たちの恋愛歌や物語歌がジョングルールという芸人たちによって歌われ,北仏のトルベール,ドイツのミンネゼンガーなどに伝わって,貴族階級による優雅な宮廷抒情詩の流れを生むが,他方には舞踏歌,牧歌,お針歌などの形で奔放な生活感情を歌った民衆歌謡の流れがあり,これがリュトブフ(13世紀)の嘆き節を経て,中世最後の詩人といわれるフランソア・ビヨン(15世紀)につらなる。…

【スペイン文学】より

…そして,この〈遅れた結実〉こそスペイン黄金世紀文学の大きな部分をなすものである。
【中世――スペイン文学の発生】
 スペイン文学は遍歴歌人(フグラール)が英雄の偉業をたたえて吟誦した武勲詩,つまり叙事詩に始まるが,口承文学という性質ゆえにそのほとんどが散逸してしまい,現在に残る唯一の作品は1140年ころに書かれた《わがシッドの歌》である。〈国土回復戦争〉に活躍した実在の英雄シッド・カンペアドール(エル・シッド)を主人公とする作者不詳のこの武勲詩は,史実に基づくリアリズムがその最大の特徴であり,例えば,フランスの《ローランの歌》と比べてみると,主人公シッドはローランほど理想化されてはおらず,人間性に富んだより現実的な人物として描かれている。…

※「わがシッドの歌」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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