日本大百科全書(ニッポニカ) 「スペイン文学」の意味・わかりやすい解説
スペイン文学
すぺいんぶんがく
スペインの標準語であるカスティーリャ語=スペイン語による文学をさす。イベリア半島にやってきたローマの植民者たちがラテン語で行った文学活動や、8世紀以降にイスラム教徒やユダヤ教徒がアラビア語もしくはヘブライ語によって行った文学活動は、それぞれラテン文学、アラビア文学、ヘブライ文学の一部門をなすものと考えられるので、ここでは扱わない。また、イベリア半島のラテン語は時の経過とともに、カタルーニャ語、ガリシア・ポルトガル語、カスティーリャ語に分化したので、スペイン文学といった場合、正確にはこれら三つの言語による文学活動をすべて含むわけだが、13世紀に文学の言語としての地位を確立したカスティーリャ語の場合は別として、他の言語による文学活動には一貫した歴史的展開が欠けているので、ここでは主として、カスティーリャ語=スペイン語による文学の歴史を扱う。なおスペイン語で書かれていても中南米の文学はこれに含まれない。別項の「ラテンアメリカ文学」を参照されたい。
[桑名一博]
中世
スペイン語によるもっとも古い文学作品は、ハルチャとよばれる叙情詩である。ハルチャというのは、イベリア半島にいたアラビア人やユダヤ人が好んで用いたムハシャハという詩型の末尾の数行をさすが、この部分にアラビア文字もしくはヘブライ文字に転写されたスペイン語の詩が用いられていたのである。現在までに六十数編の作品が発見されているが、その多くは愛する男の不在を嘆いたもので、切実な情感を素朴に歌い上げた佳品が少なくない。なお、そのうちの一編が1042年以前に書かれていることが判明しているので、ハルチャは近代ヨーロッパ語によるもっとも古い叙情詩ということになる。
スペインの中世はイスラム教徒に占領された土地を取り戻す、いわゆるレコンキスタ(国土回復運動)の時代である。8世紀から15世紀末まで続くこの運動の進展に伴って何人もの英雄が誕生したが、そうした英雄たちの武勲を歌った数編の叙事詩のうちでもっとも古く、しかもいちばん完全な形で伝わっているのが、13世紀初頭につくられたと推定されている『わがシッドの歌』である。この作品は、イスラム教徒たちからシディ(アラビア語で主人の意味)とよばれていたカスティーリャ王アルフォンソ6世の家臣ロドリーゴ・ディーアス・デ・ビバールが、王の不興を買って国外追放になったのち、さまざまな活躍を経てふたたび国王の信頼を得るまでを史実に従いながら描いた武勲詩で、表現は素朴ながらも力強い写実性に富んでいる。また13世紀には、賢王とよばれるアルフォンソ10世が自ら筆をとったり周辺の学者を動員したりして歴史書や法典を編集したほか、アラビア語やヘブライ語で書かれた多数の書物をスペイン語に翻訳し、東方の文化を西ヨーロッパに紹介すると同時に、スペイン語散文の確立に多大の貢献をした。
[桑名一博]
ルネサンス期
スペインにルネサンスがあったかどうかはしばしば問題にされるところだが、ここでは14世紀から16世紀前半までをスペインのルネサンス期と考える。この時期を代表する詩人としては、サンティリャーナ侯爵、ホルヘ・マンリーケ、ガルシラソがいるが、とくに16世紀初めに武人として活躍した詩聖ガルシラソは、イタリアの詩型をスペインに移植することに成功し、スペイン語の詩に革新的な変化をもたらした。しかし、この時期に書かれた真にルネサンス的な作品ということになれば、イタの主任司祭フアン・ルイスの『聖(きよ)き愛の書』(1330、増補版1343)と、改宗したユダヤ人フェルナンド・デ・ローハスFernando de Rojas(1470ごろ―1541)の作とされる『セレスティーナ』(1499)をあげなければならないだろう。前者は、聖き愛=神への愛に至る道を示すと称しながら、さまざまな材源を用いてエロティックな世俗的な愛の姿を描き、その解釈を読者にゆだねるというたいへん含みの多い個性的な作品であり、後者は、ネオ・プラトニズムの影響を受けて極端に精神的な愛を描くのが普通であった当時の文学作品のなかにあって、本能的な欲望のままに動かされる人間の姿をペシミズムを基調にして赤裸々に描いたユニークな作品で、スペイン語散文による最初の傑作であると同時に、近代小説の先駆的な作品ともなっている。このルネサンス期には幾多の優れた人文学者が生まれたが、スペインに関しては16世紀初めのエラスムスの影響がとくに重要で、双生児のアルフォンソとフアンのバルデス兄弟は、この派の代表的な存在。
[桑名一博]
黄金世紀
スペイン文学史では通常、16世紀後半から17世紀前半に至る期間を黄金世紀とよんでいる。ルネサンス期に流入した外国の思潮が土着化し、スペイン独自の文化が一斉に開花した時期である。スペインでは、16世紀なかばのトリエステ公会議で対抗宗教改革の方針が打ち出されると、対外政策から日常生活に至るまですべてがその方針に従う形で事が運ばれるようになったので、文学も当然その影響を受け、16世紀後半にはまず教訓文学が盛んになる。ついで、当時の熱烈な宗教心に支えられて、ルイス・デ・レオンやルイス・デ・グラナダなどの宗教文学が栄え、1580年代になると、サンタ・テレサSanta Teresa de Jesús(1515―1582)とサン・フアン・デ・ラ・クルスという、世界の文学史のなかでも特異な光芒(こうぼう)を放つ2人の神秘主義文学者が現れる。
17世紀前半はスペイン文学の各ジャンルが最盛期を迎えた時期といってもよいが、この期の詩壇は文飾主義と奇想主義という二つの流派に支配された。それぞれの流派の代表者であるゴンゴラとケベードは、ともにバロック詩の最高峰に位置する卓越した詩人であったが、彼らの難解な詩法をまねた亜流の詩人たちが続出したため、世紀の後半になると詩は衰退へと向かうことになる。黄金世紀の華ともいうべき演劇は、ロペ・デ・ベガとカルデロン・デ・ラ・バルカという2人の巨匠を中心に多数の劇作家を輩出し、他に類例をみないほどの一時期を画した。生涯に1800編以上の作品を書いたといわれるロペは、プンドノールpundonorとよばれる極端に体面を重んじる感情を元にした風俗劇で民衆の要望にこたえたが、彼の周辺には、ドン・ファン伝説を初めて劇化したティルソ・デ・モリーナ、性格喜劇を得意としたルイス・デ・アラルコン、『若き日のシッド』の作者ギリェン・デ・カストロなどがいた。そしてロペ亡きあとの演劇界を支えたのが、『人生は夢』などで知られるカルデロンで、彼は基本的にはロペの方法に従いながらも、より緊密な構成とより深みのある諸作品によって、バロック演劇の頂点を極めた。
一方、小説の発展の跡をみると、16世紀の初めに『アマディス・デ・ガウラ』をはじめとする騎士道物語(騎士物語)と、それに続く牧人小説の大流行をみたが、その後になるとこうした非現実的な物語にかわって、社会の下層に住む人々の生活を描いたピカレスク小説(悪漢小説)が出現する。このジャンルの先駆的な作品としては、作者不詳の『ラサリーリョ・デ・トルメスの生涯』(1554)があるが、ならず者の生活を描くと同時に、道徳的な教訓を伝えようとするスペインのピカレスク小説の特徴を示す作品は、マテオ・アレマンの『グスマン・デ・アルファラーチェの生涯』(第1部1599、第2部1604)が出版されてから、およそ半世紀ほどの間に集中的に現れている。こうした小説の発展の歴史のなかにあって、騎士道物語、牧人小説、悪漢小説の要素をすべて取り込みながらも、根底において旧来の小説概念を否定することで最初の近代小説とよばれる名誉を獲得したのが、セルバンテスの『ドン・キホーテ』(第1部1605、第2部1615)である。黄金世紀の文学としてはこのほかにも、ラス・カサスBartolomé de Las Casas(1474―1566)やベルナール・ディアス・デル・カスティーリョBernal Díaz del Castillo(1496ころ―1581ころ)などのクロニスタ(記録作家)の作品、バルタサール・グラシアン・イ・モラーレスの存在、ロマンセ(バラード=物語詩)の新たな展開など、見逃しがたいものがいろいろとある。
[桑名一博]
18~19世紀
18世紀は一般に銅の世紀といわれるように、創造力の枯渇した時代であって、この世紀の文学者としてはわずかに、評論家のホベリャノス、フェイホー、劇作家のモラティンの名があげられるにすぎない。
19世紀は前半がロマンチシズム、後半がリアリズムの時代と分けられることが多いが、スペインに真のロマンチシズムがあったかどうかは問題のあるところである。いずれにしろ、文学が再生の兆しをみせるのは、世紀の後半に入って、バレーラJuan Valera(1824―1905)、クラリンClarín(レオポルド・アラスLeopoldo Alas。1852―1901)といった作家たちが登場してくるあたりからであるが、この時代のもっとも重要な小説家はベニト・ペレス・ガルドスBenito Pérez Galdós(1843―1920)で、彼は『国史挿話』46巻のほかに、『フォルツナータとハシンタ』(1886~1887)をはじめとする小説により同時代の社会を縦横に描いた。
[桑名一博]
20世紀
19世紀末にラテンアメリカで起きた言語と感性の変革運動であるモデルニスモ(近代主義)は、スペインにおいては、没落した国家の再生を願って執筆活動を始めた「98年の世代」の活動と重なり合って、20世紀文学の基盤となる。ここからアントニオ・マチャード、ウナムーノ、バーリェ・インクランRamón María del Valle-Inclán(1866―1936)、フアン・ラモン・ヒメネスが生まれ、次の世代からはオルテガ・イ・ガセー、ペレス・デ・アヤラRamón Pérez de Ayala(1881―1962)、ガルシア・ロルカ、アルベルティといった人たちが輩出し、文学界はふたたび国際的な注目を浴びるほどの活況を呈するようになった。
しかし、1936年に勃発(ぼっぱつ)したスペイン内乱とそれに続くフランコ体制は、アウブ、ギリェン、ロサ・チャセルRosa Chacel(1898―1994)といった多くの有能な文学者を亡命の道へと追いやり、本国の文学界は長期にわたる不毛の時期を迎えることになる。
こうした状況は、セラに続いて1950年代に登場したマトゥーテやゴイティソロといった作家たちの出現によって、すこしずつ変化をみせ始める。そして、1960年以降になると、マルティン・サントスLuis Martín Santos(1924―1964)『沈黙の時』(1962)、フアン・ベネJuan Benet(1927―1993)『レヒオンへ帰れ』(1968)、トレンテ・バリェステルGonzalo Torrente Ballester(1910―1999)『J・Bのサガ/フガ』(1972)のような注目すべき作品が発表されるが、しかし、いまだフランコ体制下の出版規制が続いていた時代なので、文学全体としては、そのころ隆盛を極めたラテンアメリカ文学の陰に隠れていた感がある。こうしたスペイン文学に確かな復興の兆しがみられるようになるのは、独裁制から民主制へ移行して10年ほどたった、1980年代の後半あたりからである。エドゥアルド・メンドサEduardo Mendoza(1943― )『驚異の都市』(1986)を皮切りに、ムニョス・モリナAntonio Muñoz Molina(1956― )、リャマサーレスJnlio Llamazares(1955― )、ランデーロLuis Landero(1948― )、マルティン・ガイテCarmen Martín Gaite(1925―2000)、マリアスJavier Marías(1951―2022)などの秀作がきびすを接するようにして刊行され出したのである。内乱から半世紀を経て、ようやく文運旧に復したというべきか。
[桑名一博]
『会田由編『世界名詩集大成14(南欧・南米編)』(1967・平凡社)』▽『神吉敬三、アンセルモ・マタイス他編『ウナムーノ著作集』全5巻(1972・法政大学出版局)』▽『ガルシア・ロペス著、東谷穎人訳『スペイン文学史』(1985・白水社)』▽『ペドロ・ライン・エントラルゴ著、森西路代他訳『スペイン一八九八年の世代』(1986・れんが書房新社)』▽『清水憲男著『ドン・キホーテの世紀――スペイン黄金時代を読む』(1990・岩波書店)』▽『カルロス・フエンテス著、牛島信明訳『セルバンテスまたは読みの批判』新装版(1991・水声社)』▽『林屋永吉・佐々木孝他著『スペイン黄金時代』(1992・日本放送出版協会)』▽『東谷穎人編『スペイン幻想小説傑作集』(1992・白水社)』▽『フェデリコ・ガルシア・ロルカ著、荒井正道他訳『ロルカ戯曲全集』全3巻(1992・沖積舎)』▽『牛島信明編『スペイン中世・黄金世紀文学選集』全7巻(1994・国書刊行会)』▽『イアン・ギブソン著、内田吉彦訳『ロルカ』(1997・中央公論社)』▽『牛島信明著『スペイン古典文学史』(1997・名古屋大学出版会)』▽『生松敬三・桑名一博他編『オルテガ著作集』全8巻・新装復刊(1998・白水社)』▽『セルバンテス著、牛島信明訳『ドン・キホーテ』全2巻(1999・岩波書店)』▽『牛島信明他編『スペイン学を学ぶ人のために』(1999・世界思想社)』▽『S・マダリアーガ著、佐々木孝訳『情熱の構造――イギリス人、フランス人、スペイン人』(1999・れんが書房新社)』▽『杉浦勉編『ポストフランコのスペイン文化』(1999・水声社)』▽『原卓也・西永良成編『翻訳百年――外国文学と日本の近代』(2000・大修館書店)』▽『ジャン・カナヴァジオ著、円子千代訳『セルバンテス』(2000・法政大学出版局)』▽『佐竹謙一著『スペイン黄金世紀の大衆演劇――ロペ・デ・ベーガ、ティルソ・デ・モリーナ、カルデロン』(2001・三省堂)』▽『R. O. Jones:A Literary History of Spain, 7 vols. (1971, Ernest Benn, London)』