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わが闘争 (わがとうそう)
Mein Kampf
ナチス党首ヒトラーの代表的著作。上・下2巻。1923年11月ヒトラーは,ミュンヘン一揆を企てて失敗,ランツベルクの要塞に禁錮刑に処せられ,この期間に口述により執筆を開始。上巻は25年,下巻は26年12月に刊行された。上巻は自叙伝,下巻はミュンヘン一揆までのナチスの歴史というスタイルで記述が進められ,政治,外交,戦争,社会,宗教,教育,芸術,新聞,宣伝,スポーツなど多角的に問題が論じられている。しかし,この書物の中心眼目は,ユダヤ人排斥ならびにヨーロッパ東部におけるドイツ民族の〈生存圏〉樹立という二つの基本目標を設定し,かつ歴史を人種間の生存をめぐる闘争と強者による弱者の征服の過程とみなす社会ダーウィニズムの世界観によって,この二大目標の実現を正当化したところにある。本書は,33年1月ヒトラー政権成立までに,ドイツ国内でほぼ28万部が刊行され,同年末に150万部,第2次世界大戦が勃発した39年に500万部,43年には984万部と飛躍的増大をみせた。
執筆者:中村 幹雄
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わが闘争
わがとうそう
Mein Kampf ドイツ語
ヒトラーの主著。ヒトラー一揆(いっき)(ミュンヘン一揆ともいう)のあと、彼は獄中で本書の口述筆記をさせ始め、出獄後、1925年7月に上巻、26年12月に下巻が、また30年に合巻普及版が発行され、1943年までに984万部が発売された。本書で、彼は自分の前半生と初期ナチス運動について述べ、自己の世界観、現代大衆社会への批判、ナチス党の政策を主として説明し、また議会民主制反対、指導者中心の独裁制樹立、反ユダヤ主義、社会福祉の拡充、中間層と農民の保護、党の上部組織による下部の厳格な統制(指導者原理)を説いた。外交上では、イギリス、イタリアと組んでフランス、ソ連(当時)と戦い、東ヨーロッパにゲルマン民族の大帝国を建てることを要求した。その後字句の改訂は行ったが、論旨は組織論上の1か所を除いて、まったく変更しなかった。
[村瀬興雄]
『平野一郎・将積茂訳『わが闘争』2巻(角川文庫)』
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わが闘争
わがとうそう
Mein Kampf
ナチス・ドイツの独裁者 A.ヒトラー自身が自己の全思想を開陳した著作。ナチスの「聖典」とされていた。第1巻初版 1925年,第2巻初版 27年,ともにミュンヘンで出版。 23年のミュンヘン一揆失敗ののち,拘禁されたランズベルク要塞監獄のなかで R.ヘスらに口述筆記させたものである。前半に回想録的な叙述があり,後半では反共,反民主主義思想を述べている。その基本的主張はユダヤ人排斥とアーリア人種の優越性であり,適者生存という社会ダーウィン主義の影響のもとに人種主義の「世界観」を構築している。さらに注目すべきは,徹底した大衆蔑視のもとに展開される大衆操作論で,宣伝,扇動の政治技術をテロルと結びつけ,反民主主義運動に応用したところに,本書の歴史的意味がある。
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『わが闘争』(わがとうそう)
Mein Kampf
ヒトラーの主著。投獄されていた1924年に口述筆記させた第1巻と,出獄後に執筆した第2巻から成り,25~27年にミュンヒェンで出版された。彼のおいたちと初期の政治活動に多くの歪曲を加えながらふれ,同時に彼の反ユダヤ主義,反民主主義的世界観が述べられている。さらに東ヨーロッパを征服してユダヤ人を追放し,ゲルマン民族が必要とする領土を獲得するという政治綱領が示されている。28年に口述された『第二の書』の中では外交政策がより具体的に展開されている。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
わが闘争
ナチス党指導者アドルフ・ヒトラーが自身の半生や反ユダヤ思想について記した著書。原題は「Mein Kampf」(ドイツ語)。全2巻として、第1巻は1925年、第2巻は26年に刊行。その後、多くの国で翻訳版が出版された。第2次世界大戦後は、ドイツのバイエルン州政府が著作権を保有。州政府はホロコーストの犠牲者への配慮や極右勢力に与える影響への懸念から、これまで自国内では出版を認めてこなかった。しかし、州政府は2012年、著作権が消滅する15年末以降にヒトラーの主張を誤りだと示す学術的な注釈付きで出版する計画を表明。州政府は13年に計画の中止を発表したが、14年1月、注釈付きでの出版を認める方針へと転換した。
出典 朝日新聞出版知恵蔵miniについて 情報
わが闘争
わがとうそう
Mein Kampf
ナチスの聖典とされたヒトラーの著書
1925〜27年に2巻本で出版された。前半生の体験を述べながらナチズムを説き,彼の世界観や基本政策を明らかにしている。自己の主張の正当化のために,内容を偽っているところも多いので,そのままではヒトラーの伝記または当時の歴史資料としては活用できない。ドイツ民族の優秀性を説き,ユダヤ人を追放してドイツ民族による世界制覇をナチスの究極目標としている。のち何度か改訂された。外交政策の上で本書に続くものは1928年に口述された『ヒトラーの第二の書』で,イギリス・イタリアと同盟を結び,フランスとソ連を征服して,大帝国を建設するという政策が述べられている。
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
わが闘争【わがとうそう】
ヒトラーの著書。《Mein Kampf》。ミュンヘン一揆(いっき)失敗後,獄中で口述,ヘス等に筆記させた。第1巻は1925年,第2巻は1927年出版。反ユダヤ主義・反民主主義を主張,東欧征服とゲルマン民族生活圏の獲得という政治綱領を明示。ナチズムの聖典とされた。
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世界大百科事典(旧版)内のわが闘争の言及
【人種問題】より
…第1の神話は,人種と文化がストレートに関連するとするものであり,第2の神話は,ある人種は知的にすぐれているというものである。ヒトラーは,ヨーロッパ白色人種に根づく有色人種劣等思想(19世紀末,フランス人[J.A.deゴビノー]によって頂点に達した)を根拠に記した《わが闘争Mein Kampf》(1925‐27)において,人種主義を唱えている。〈われわれが今日,人類文化について,つまり芸術,科学および技術の成果について目の前に見出すものは,ほとんど,もっぱらアーリヤ人種の創造的所産である〉〈アーリヤ人種の輝く額からは,いかなる時代にもつねに天才の神的ひらめきがとびでる〉。…
【人種問題】より
…第1の神話は,人種と文化がストレートに関連するとするものであり,第2の神話は,ある人種は知的にすぐれているというものである。ヒトラーは,ヨーロッパ白色人種に根づく有色人種劣等思想(19世紀末,フランス人[J.A.deゴビノー]によって頂点に達した)を根拠に記した《わが闘争Mein Kampf》(1925‐27)において,人種主義を唱えている。〈われわれが今日,人類文化について,つまり芸術,科学および技術の成果について目の前に見出すものは,ほとんど,もっぱらアーリヤ人種の創造的所産である〉〈アーリヤ人種の輝く額からは,いかなる時代にもつねに天才の神的ひらめきがとびでる〉。…
【ヒトラー】より
…その遺言においても,反ユダヤ主義と〈生存圏〉樹立の必要を強調した。
[思想,性格]
《[わが闘争]》(1925‐26)から《第二の書》(1928年夏執筆完了。ただし刊行されず,第2次大戦後に草稿が発見され,61年に公刊)の執筆の間に世界観を確立した。…
【ヘス】より
…ナチ党(ナチス)の古参党員でヒトラーの側近。1924年,獄中のヒトラーの《[わが闘争]》の口述筆記の相手を務める。32年,党官房の長として〈指導者代理〉(〈第三帝国〉では〈総統代理〉),33年3月からはその資格で閣僚,さらにゲーリングにつぐヒトラーの〈第二後継者〉にも指名される。…
※「わが闘争」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」