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わが闘争 わがとうそう Mein Kampf

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

わが闘争
わがとうそう
Mein Kampf

ナチス・ドイツの独裁者 A.ヒトラー自身が自己の全思想を開陳した著作。ナチスの「聖典」とされていた。第1巻初版 1925年,第2巻初版 27年,ともにミュンヘンで出版。 23年のミュンヘン一揆失敗ののち,拘禁されたランズベルク要塞監獄のなかで R.ヘスらに口述筆記させたものである。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

わが闘争

ヒトラーがミュンヘンでのクーデター失敗後、収監中に口述筆記させた。自叙伝が中心の上巻は1925年、ナチスの歴史などをつづった下巻は26年に刊行。45年の敗戦までに国内外で1200万部以上を売り上げ、多額の印税がヒトラーにもたらされたとされる。

(2016-02-19 朝日新聞 朝刊 2外報)

出典|朝日新聞掲載「キーワード」
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百科事典マイペディアの解説

わが闘争【わがとうそう】

ヒトラーの著書。《Mein Kampf》。ミュンヘン一揆(いっき)失敗後,獄中で口述,ヘス等に筆記させた。第1巻は1925年,第2巻は1927年出版。反ユダヤ主義・反民主主義を主張,東欧征服とゲルマン民族生活圏の獲得という政治綱領を明示。

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世界大百科事典 第2版の解説

わがとうそう【わが闘争 Mein Kampf】

ナチス党首ヒトラーの代表的著作。上・下2巻。1923年11月ヒトラーは,ミュンヘン一揆を企てて失敗,ランツベルクの要塞に禁錮刑に処せられ,この期間に口述により執筆を開始。上巻は25年,下巻は26年12月に刊行された。上巻は自叙伝,下巻はミュンヘン一揆までのナチスの歴史というスタイルで記述が進められ,政治,外交,戦争,社会,宗教,教育,芸術,新聞,宣伝,スポーツなど多角的に問題が論じられている。しかし,この書物の中心眼目は,ユダヤ人排斥ならびにヨーロッパ東部におけるドイツ民族の〈生存圏〉樹立という二つの基本目標を設定し,かつ歴史を人種間の生存をめぐる闘争と強者による弱者の征服の過程とみなす社会ダーウィニズムの世界観によって,この二大目標の実現を正当化したところにある。

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知恵蔵miniの解説

わが闘争

ナチス党指導者アドルフ・ヒトラーが自身の半生や反ユダヤ思想について記した著書。原題は「Mein Kampf」(ドイツ語)。全2巻として、第1巻は1925年、第2巻は26年に刊行。その後、多くの国で翻訳版が出版された。第2次世界大戦後は、ドイツのバイエルン州政府が著作権を保有。州政府はホロコーストの犠牲者への配慮や極右勢力に与える影響への懸念から、これまで自国内では出版を認めてこなかった。しかし、州政府は2012年、著作権が消滅する15年末以降にヒトラーの主張を誤りだと示す学術的な注釈付きで出版する計画を表明。州政府は13年に計画の中止を発表したが、14年1月、注釈付きでの出版を認める方針へと転換した。

(2014-1-28)

出典|(株)朝日新聞出版発行
(C)Asahi Shimbun Pubications Inc
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

わが闘争
わがとうそう
Mein Kampfドイツ語

ヒトラーの主著。ヒトラー一揆(いっき)(ミュンヘン一揆ともいう)のあと、彼は獄中で本書の口述筆記をさせ始め、出獄後、1925年7月に上巻、26年12月に下巻が、また30年に合巻普及版が発行され、1943年までに984万部が発売された。本書で、彼は自分の前半生と初期ナチス運動について述べ、自己の世界観、現代大衆社会への批判、ナチス党の政策を主として説明し、また議会民主制反対、指導者中心の独裁制樹立、反ユダヤ主義、社会福祉の拡充、中間層と農民の保護、党の上部組織による下部の厳格な統制(指導者原理)を説いた。外交上では、イギリス、イタリアと組んでフランス、ソ連(当時)と戦い、東ヨーロッパにゲルマン民族の大帝国を建てることを要求した。その後字句の改訂は行ったが、論旨は組織論上の1か所を除いて、まったく変更しなかった。[村瀬興雄]
『平野一郎・将積茂訳『わが闘争』2巻(角川文庫)』

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世界大百科事典内のわが闘争の言及

【人種問題】より

…第1の神話は,人種と文化がストレートに関連するとするものであり,第2の神話は,ある人種は知的にすぐれているというものである。ヒトラーは,ヨーロッパ白色人種に根づく有色人種劣等思想(19世紀末,フランス人J.A.deゴビノーによって頂点に達した)を根拠に記した《わが闘争Mein Kampf》(1925‐27)において,人種主義を唱えている。〈われわれが今日,人類文化について,つまり芸術,科学および技術の成果について目の前に見出すものは,ほとんど,もっぱらアーリヤ人種の創造的所産である〉〈アーリヤ人種の輝く額からは,いかなる時代にもつねに天才の神的ひらめきがとびでる〉。…

【人種問題】より

…第1の神話は,人種と文化がストレートに関連するとするものであり,第2の神話は,ある人種は知的にすぐれているというものである。ヒトラーは,ヨーロッパ白色人種に根づく有色人種劣等思想(19世紀末,フランス人J.A.deゴビノーによって頂点に達した)を根拠に記した《わが闘争Mein Kampf》(1925‐27)において,人種主義を唱えている。〈われわれが今日,人類文化について,つまり芸術,科学および技術の成果について目の前に見出すものは,ほとんど,もっぱらアーリヤ人種の創造的所産である〉〈アーリヤ人種の輝く額からは,いかなる時代にもつねに天才の神的ひらめきがとびでる〉。…

【ヒトラー】より

…その遺言においても,反ユダヤ主義と〈生存圏〉樹立の必要を強調した。
[思想,性格]
 《わが闘争》(1925‐26)から《第二の書》(1928年夏執筆完了。ただし刊行されず,第2次大戦後に草稿が発見され,61年に公刊)の執筆の間に世界観を確立した。…

【ヘス】より

…ナチ党(ナチス)の古参党員でヒトラーの側近。1924年,獄中のヒトラーの《わが闘争》の口述筆記の相手を務める。32年,党官房の長として〈指導者代理〉(〈第三帝国〉では〈総統代理〉),33年3月からはその資格で閣僚,さらにゲーリングにつぐヒトラーの〈第二後継者〉にも指名される。…

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