わらび座(読み)わらびざ

改訂新版 世界大百科事典 「わらび座」の意味・わかりやすい解説

わらび座 (わらびざ)

共同体生活を営む民族歌舞団。創立者は原太郎(1904-88),所在地は秋田県仙北市田沢湖卒田である。昭和の初め,東北大学の学生であった原は日本プロレタリア音楽家同盟に入り〈民衆の音楽〉をめざすが,第2次世界大戦により中断された。戦後,労組運動により勤務先の昭和石油を追われ,1951年労働者のあいだをまわる楽団海つばめ〉を創設し,楽団は各地を公演した。この間,原は52-58年中国に滞在していたが,一行9人は1953年に現在地に定住を決め,〈わらび座〉と改称した。63年には北朝鮮,中国,ベトナムを訪問,公演している。わらび座の目的は,社会変革をめざすイデオロギー活動としての芸術創造普及にある。メンバーの食,住,衣,医,教育費は保障されるとともに,一律の〈給料〉が支給される。74年には客席710のわらび劇場を完成した。民俗芸能資料の発掘,収集,再現にも力を注ぎ,民族芸術研究所を創設した。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「わらび座」の意味・わかりやすい解説

わらび座
わらびざ

劇団名。1951年(昭和26)作曲家原(はら)太郎(1904―88)が東京・新宿で結成、「楽団海つばめ」の名で、「大衆の広場で、大衆の発想で、大衆の心を」をスローガンに、同志とともに各地を巡演した。ポプラ座を経て、53年本拠を秋田県仙北(せんぼく)市田沢湖卒田(たざわこそつだ)に移し、民族歌舞団わらび座と改称、日本の民謡舞踊による新しい民族歌舞劇(群舞劇)の創造を目ざした。74年わらび劇場(座席数1000)、翌年わらび会館を完成。96年(平成8)活動の中心をたざわこ芸術村に移し、劇団わらび座と改称。アジア諸国、ブラジルなど海外公演も多い。給料一律支給、医療・教育劇保障による独特の共同生活を営む。代表作は『東北の鬼』『菜の花の沖』『アテルイ』など。

[大島 勉]

『及川和男著『わらび座修学旅行』(1987・岩波書店)』『菅井幸雄著『わらび座ヨーロッパと出会う』(1990・岩波書店)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「わらび座」の意味・わかりやすい解説

わらび座
わらびざ

劇団名。音楽家,演出家の原太郎が 1953年に秋田県で創設した。勤労者のための音楽と芸術の創造を目標に,日本の民謡と踊りを中心とした移動公演を行う。 73年,秋田県の田沢湖畔に 1000人収容の劇場を建設,共同生活を始めた。代表作は原の『炎の島』『津軽』『いのちの歌』など。宿泊施設なども備えた劇場周辺は「わらび座の郷」と名づけられ,地域文化振興の場となっている。

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