版画家,風刺漫画家。江戸本所御蔵屋敷の御蔵方組頭の家に生まれた。河鍋暁斎,柴田是真に日本画を,下岡蓮杖に写真術,C.ワーグマンに洋画を学んだといわれる。1876-81年自ら〈光線画〉と称した木版画連作《東京名所図》を発表し,文明開化期の新旧入り混じった風景・風俗画により広く大衆の共感を得,版画家清親の名を不動のものとした。この作品は浮世絵版画の技法によりながら,西洋画の明暗,遠近法の表現を取り入れており,この点で清親は日本の近代版画の創始者といえる。82年以降は国粋運動の影響で洋画をすて,《清親ぽんち》を描き,《団々珍聞(まるまるちんぶん)》《驥尾(きび)団子》《朝野新聞》等の新聞・雑誌を舞台に痛烈な社会・政治批判をする風刺漫画家として活躍したが,晩年は画家としても風刺漫画家としても精彩を失った。主要な版画に《海辺橋(第一銀行雪中)》《高輪牛町朧月景》《新橋ステンション》等がある。門下に風景版画家井上安治が出ている。
執筆者:藤井 久栄
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明治の版画家。幕府御蔵方組頭小林茂兵衛の第9子として江戸本所御蔵屋敷に生まれる。幼名勝之助。1862年(文久2)父の没後家督を継ぎ、明治維新後旧幕臣とともに静岡に下る。のち横浜に出て下岡蓮杖(れんじょう)に写真術を、ワーグマンに油絵を学び、さらに上京して河鍋暁斎(かわなべきょうさい)に日本画を、柴田是真(しばたぜしん)に漆絵(うるしえ)を習った。また舶来の石版画や銅版画の影響を受け、1876年(明治9)より1881年にかけて、従来の浮世絵とは異なった一連の風景版画を発表した。その作品は、自ら「光線画」と称しているように、光と陰影により、明治初期の風俗や町並みに主題を求めたものが多く、独特の近代感覚を示している。なかでも『小梅曳船夜図』『新大橋雨中図』『内国勧業博覧会瓦斯(ガス)館』などが有名である。またこのほかにも『画布に猫』『柿(かき)に目白』のような作品も制作している。1886年ころより風刺画に一つの境地を開く一方、のちには戦争画や歴史画などを制作した。
[玉蟲玲子]
『高橋誠一郎・吉田漱著『浮世絵大系12 清親』(1974・集英社)』
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