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小林清親 こばやし きよちか

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美術人名辞典の解説

小林清親

版画家。東京生。幼名は勝之助。江戸本所御蔵屋敷の子。画を志し、ワーグマン河鍋暁斎柴田是真に師事、浮世絵師として出発する。光線と影を取り入れた新様式の洋風版画は「光線画」の名で人気を博し、両国大火後は「清親ポンチ」と呼ばれる風刺画を『団団珍聞』などに描く。錦絵の衰退により肉筆画に移行した。大正4年(1915)歿、69才。

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デジタル大辞泉の解説

こばやし‐きよちか【小林清親】

[1847~1915]版画家。江戸の人。ワーグマンに西洋画を学ぶ一方で写真術を修め、光と影の表現を取り入れた木版風景画を制作。晩年は肉筆画を多く描いた。

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百科事典マイペディアの解説

小林清親【こばやしきよちか】

版画家。江戸生れ。洋画をワーグマン,日本画を河鍋暁斎柴田是真に学ぶ。木版画に洋画的手法をとりいれ,光と影の効果を巧みに表した風景版画を残したが,のち時事的な漫画や歴史画に転じた。
→関連項目団団珍聞

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

小林清親 こばやし-きよちか

1847-1915 明治-大正時代の版画家。
弘化(こうか)4年8月1日生まれ。もと幕臣。ワーグマンらにまなぶ。従来の浮世絵に光と陰影をとりいれた風景版画を「光線画」と称して発表。のち「清親ポンチ」とよばれる戯画・風刺画を「団団珍聞(まるまるちんぶん)」などにえがいた。大正4年11月28日死去。69歳。幼名は勝之助。作品に「新大橋雨中図」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

小林清親

没年:大正4.11.28(1915)
生年:弘化4.8.1(1847.9.10)
明治期の浮世絵師。本所御蔵屋敷頭取小林茂兵衛を父に知加子を母に,江戸で生まれる。15歳で父を亡くし家督を継いで御蔵に勤める。幕末には将軍徳川家茂に従って大坂に赴き,伏見の戦に参加するが,江戸開城に伴い御蔵を官軍に渡し,のち静岡一帯を転々とする。明治7(1874)年上京して画学に専念。一時『絵入りロンドンニュース』紙の特派画家チャールズ・ワーグマンに師事したとされる。9年,「東京江戸橋之真景」などを出版して洋風浮世絵師としてデビュー。10年より西洋の遠近法や陰影法を取り入れた東京名所図を出版。これらは「光線画」と呼ばれ,江戸から東京へと移りゆく風景を新しい画風で描いて評判となった。14年,両国の大火が起こると写生に出,その間に自宅を焼失。この折の写生に基づく火災シリーズは大好評だった。同年,東京名所図に終止符を打ち,以後,同じ画風を示すことはなかった。この年から新聞『団団珍聞』に鋭い社会諷刺を含むポンチ絵(漫画)を描くほか,新聞挿絵などで活躍する。17年,安藤広重の影響が強い「武蔵百景」を出版するが不評のため中止。26年二六社に入社し,27年,団団社を退く。日清・日露戦争時には戦争錦絵で好評を博した。以後,浮世絵自体が衰退したため,清親は最後の浮世絵師ともいわれ,その作品は永井荷風ら江戸趣味の人々に深く愛好された。<参考文献>吉田漱編『最後の浮世絵師/小林清親』,酒井忠康『時の橋』

(山梨絵美子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

こばやしきよちか【小林清親】

1847‐1915(弘化4‐大正4)
版画家,風刺漫画家。江戸本所御蔵屋敷の御蔵方組頭の家に生まれた。河鍋暁斎,柴田是真に日本画を,下岡蓮杖に写真術,C.ワーグマンに洋画を学んだといわれる。1876‐81年自ら〈光線画〉と称した木版画連作《東京名所図》を発表し,文明開化期の新旧入り混じった風景・風俗画により広く大衆の共感を得,版画家清親の名を不動のものとした。この作品は浮世絵版画の技法によりながら,西洋画の明暗,遠近法の表現を取り入れており,この点で清親は日本の近代版画の創始者といえる。

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大辞林 第三版の解説

こばやしきよちか【小林清親】

1847~1915) 版画家。江戸生まれ。河鍋暁斎・柴田是真に日本画を、ワーグマンに洋画を学ぶ。錦絵に西洋画の写実描写を取り入れ、独自の風景版画を作る。晩年には新聞に風刺画も描いた。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

小林清親
こばやしきよちか

[生]弘化4(1847).8.1. 江戸
[没]1915.11.28. 東京
明治の浮世絵画家,版画家。本所御蔵屋敷総頭取小林茂兵衛の子。幼名は勝之助。明治維新の頃一時静岡に住み,のち横浜で下岡蓮杖に写真術を,C.ワーグマンに油絵を習い,さらに上京して河鍋暁斎,柴田是真に日本画を学んだ。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

小林清親
こばやしきよちか
(1847―1915)

明治の版画家。幕府御蔵方組頭小林茂兵衛の第9子として江戸本所御蔵屋敷に生まれる。幼名勝之助。1862年(文久2)父の没後家督を継ぎ、明治維新後旧幕臣とともに静岡に下る。のち横浜に出て下岡蓮杖(れんじょう)に写真術を、ワーグマンに油絵を学び、さらに上京して河鍋暁斎(かわなべきょうさい)に日本画を、柴田是真(しばたぜしん)に漆絵(うるしえ)を習った。また舶来の石版画や銅版画の影響を受け、76年(明治9)より81年にかけて、従来の浮世絵とは異なった一連の風景版画を発表した。その作品は、自ら「光線画」と称しているように、光と陰影により、明治初期の風俗や町並みに主題を求めたものが多く、独特の近代感覚を示している。なかでも『小梅曳船夜図』『新大橋雨中図』『内国勧業博覧会瓦斯(ガス)館』などが有名である。またこのほかにも『画布に猫』『柿(かき)に目白』のような作品も制作している。86年ころより風刺画に一つの境地を開く一方、のちには戦争画や歴史画などを制作した。[玉蟲玲子]
『高橋誠一郎・吉田漱著『浮世絵大系12 清親』(1974・集英社)』

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