アイルランド土地法(読み)アイルランドとちほう(英語表記)Irish Land Acts

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

土地戦争という形で表明された 19世紀アイルランドの小作農の不満を緩和するために,イギリス政府が行なった一連立法。 1870,81年の W.グラッドストン内閣による立法は小作権を保護。 85,1903年の立法は,政府が補助金を出して小作農の自作農化を促進しようとした。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

19世紀後半から20世紀にかけて制定されたアイルランドの小作農および自作農に関する法律。チューダー朝時代から始まっていたイギリス人によるアイルランドの土地収奪が、クロムウェルからウィリアム3世時代になっていよいよ本格化し、イギリス人不在地主制度がアイルランドに確立した。貧しい小屋住みの農民は、地主の厳しい取り立てと容赦ない追放に苦しまねばならなかった。18世紀に多くの秘密結社が農村に誕生して、激しい闘争を展開したが、19世紀に入るとそれが組織化されるようになった。
 1830年に始まる「十分の一税戦争」は、イギリス国教会に十分の一税を支払わねばならないカトリック農民の闘争であった。また1850年に始まる3F運動は、公正な地代Fair Rent、小作権の安定Fixty、小作権の自由売買Free Saleを要求するものであった。十分の一税廃止にしても、3Fにしても、すでにイギリスでは実施されていることであり、とくに3Fは、スコットランドやイングランドからの移民の多いアルスターUlster(アイルランド島北東部)では慣行として18世紀に確立しており、イギリス自由主義の進展とともに認めざるをえなくなった。また自治運動やフィニアン主義対策としても必要であった。グラッドストーン首相は、まずアイルランド教会法(1869)で十分の一税を廃止し、教会領小作人に限って小作地購入を許した。第一次土地法(1870)ではアルスター慣行を法的に認めたが、それはアルスター地方に限ってであり、農民の要求を満足させるものではなかった。とくに1870年代の農業不況は、地代不払いを理由とした農民追放を増加させ、土地同盟を結成した農民の闘争を激化させた。メイヨーMayoの土地管理人ボイコットBoycott(1832―1897)に対する1880年の「ボイコット戦術」は、後世の民衆闘争に名を残すことになるが、土地同盟はついに1881年、第二次土地法を制定させて3Fを認めさせ、土地裁判所を設置させた。
 第一次、第二次のグラッドストーン土地法でその方向が示された自作農創設は、土地購入法(1885)、ウィンダム土地法(1903)によって大幅に進展した。土地財産委員会(つまりイギリス政府)が土地を買い上げて小作人に分与し、小作人は長期に土地代金を分割返済するというものである。こうしてアイルランドの小作人が多く自作農になることによって土地問題はいちおう解決することになった。[堀越 智]

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旺文社世界史事典 三訂版の解説

アイルランド人小作人の地位向上のための諸法律
アイルランド農民はクロムウェルによる征服以来イングランド人不在地主によって小作人とされ不利益を被ってきた。19世紀後半になると,アイルランド人は小作権の安定(fixity of tenure)・公正な地代(fair rent)・小作権売買の自由(free sale)という3つのFを掲げた運動を展開した。1870年の法においてそれらの権利は認められ,さらに81年には土地購入権が承認され,85年には自作農化の促進が進められるようになった。

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