アタナシオス

百科事典マイペディアの解説

アタナシオス

古代キリスト教会の教父神学者。聖人,アレクサンドリア主教(328年―373年)。ニカエア公会議以後も反アリウス派闘争に邁進(まいしん)し,三位一体の正統教義の確立に大きく寄与した。ただし《アタナシオス信条》の起草説は疑問視されている。主著《受肉論》《アリウス派駁論》《聖アントニオス伝》。

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世界大百科事典 第2版の解説

アタナシオス【Athanasios】

296ころ‐373
アリウス派と終生戦い,ニカエア信条を守ったアレクサンドリア主教(328‐373)。若くしてアレクサンドリア主教アレクサンドロスの秘書となり,ニカエア公会議に参加。328年,アレクサンドロスの死にともない後任に選出され,46年間にわたってその地位を守った。ニカエア公会議後も強大な勢力を保ったアリウス派の敵意を一身に集め,複雑な教会政治の動きもからんで,主教在職中に5回,計17年間も追放もしくは逃亡の生活をおくった。

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世界大百科事典内のアタナシオスの言及

【アタナシオス信条】より

…冒頭の〈救いを望む者はだれも〉から〈クイクムクエ・ウルトQuicumque vult信条〉とも呼ばれる。9世紀以来,アリウス派と闘ったアレクサンドリア主教アタナシオスの名を冠して呼ばれ,アタナシオスの手になるものと信じられてきた。しかし今日では5世紀前半までにガリア南部で成立したとの見解が有力になっている。…

【コンスタンティウス[2世]】より

…両者はやがて不和になりユリアヌスがパリで正帝に推戴されたが,これを討とうとしたコンスタンティウスは急死した。彼はキリスト教神学論争に熱心で,アリウス派とカトリックの調停を図ったが失敗,アタナシオスを追放した。父と同じく死の床でアリウス派の洗礼をうけた。…

【神学】より

…4世紀から5世紀初めは神学の伝統が確立した時期である。東方ではアタナシオス,バシレイオス,ナジアンゾスのグレゴリオス,ニュッサのグレゴリオスらが三一神論の確立に努力した。また神礼拝を通して人間の神化が目ざされる修道的・霊的・神秘的な東方教会の神学の基礎がすえられた。…

※「アタナシオス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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