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アッピア街道 アッピアかいどう Via Appia

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

アッピア街道
アッピアかいどう
Via Appia

イタリアのローマ南イタリアを結ぶ古代ローマの街道。ローマ街道のなかで最も古くかつ有名である。前 312年にアッピウス・クラウディウス・カエクスにより建設された。初めは 213kmで,カプアまでであったが,前 244年までにベネウェンツム,ウェヌシア,タレンツムを経てプルンディシウムまで 375kmに延びた。

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デジタル大辞泉の解説

アッピア‐かいどう〔‐カイダウ〕【アッピア街道】

《〈ラテン〉Via Appia》ローマ最古の石舗装の軍用路。前312年、監察官アッピウス=クラウディウスが、ローマと南方のカプアとの間に建設。前3世紀ごろまでにブルンディシウム(現在のブリンディジ)まで延長された。全長約560キロ。現存する部分は今も使用可能。

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百科事典マイペディアの解説

アッピア街道【アッピアかいどう】

古代ローマの幹線道路で,Via Appiaという。ローマからカプア,タレントゥムを経てイタリア東岸,アドリア海に面するブルンディシウム(現,ブリンディジ)に至る。
→関連項目ブリンディジ

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世界大百科事典 第2版の解説

アッピアかいどう【アッピア街道 Via Appia】

古代ローマの道路。ローマから南イタリアに伸びる最も重要な幹線道路。街道の女王と称された。前312年にケンソルのアッピウス・クラウディウス・カエクス(クラウディウス)が建設をはじめたため,彼の名がつけられている。まずローマとフォルミアエ,次いでカプアを結ぶ132マイル(195km)の道路であったが,のち次第に延長されて,ベネウェントゥムからウェヌシア,タレントゥムを経てブルンディシウム(現,ブリンディジ)に達した。

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大辞林 第三版の解説

アッピアかいどう【アッピア街道】

ラテン Via Appia〕 ローマ最古の軍道。紀元前312年ローマのアッピウス=クラウディウスが、ローマとナポリの北にあるカプアとを結ぶために建設した石舗装の軍道。のち、南イタリアまで延長された。一部が現存する。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

アッピア街道
あっぴあかいどう
Via Appia

古代ローマの国道。紀元前312年ケンソル(監察官)のアッピウス・クラウディウス・カエクスが着工させたところからこの名がある。前4世紀のうちにローマからカプアまで完成、前3世紀中ごろまでに南イタリアのブルンディシウム(現ブリンディジ)まで延長された。全長540キロメートル。「道路中の女王」と称され、アドリア海を隔ててエグナティア街道Via Egnatia(前130年ごろ建設。バルカン半島を横断する)に接続し、南イタリアやバルカン半島のギリシア人世界とローマとの交流のうえで、大きな役割を果たした。現在でも、舗装の一部や沿道の史跡がみられ、ローマ市近辺ではアッピア旧街道Via Appia Anticaとして重要史跡の一つとなっている。[吉村忠典]

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世界大百科事典内のアッピア街道の言及

【クラウディウス】より

…前312年のケンソル,前307年と前296年のコンスル(執政官)。ケンソルとして,アッピア水道とアッピア街道を建設し,宗教政治上の諸問題を解決し,土地を所有しない市民をトリブスにくりいれ,解放奴隷の子息で元老院を補充した。サムニウム人,エトルリア人と戦い,ピュロス戦争では雄弁と豪勇さを示した。…

【ローマ】より

…つづく共和政期に公共事業はローマ国家の対外進出と軌を一にして飛躍的展開をみせた。ローマ市を囲む不連続な塹壕線はガリア人による劫掠を機に幅4.5m,高さ8.5mを超す城壁に替えられ(いわゆる〈セルウィウスの城壁〉,前378),ラティウム地方制圧に続いてイタリア半島征服が始まる前4世紀後半には,ローマ市を中心とする放射線状の軍用道路網(前312年のアッピア街道が最古)や上水道(前312年のアッピア水道Aqua Appiaが最古。ただし地下式)の敷設も緒についた。…

【ローマ道】より

…現実的な性格のローマ人の生んだ,優れた土木技術の所産で,本来は軍事的な目的に資するものであったが,広大な版図の商業的・社会的な連係を促し,ローマ文化を均質化し,拡大するのに役立った。まず,前312年に建設されたアッピア街道がローマとカプアを結んで以来,おもにローマから放射線状に,イタリア半島の各地にのびる公道が建設されていき,共和政の末までに半島の道路網はほぼ完備し,アウグストゥス以降帝政期には半島内の道路の修復・整備と属州の道路の建設,管理機構の確立に力が注がれた。特にティベリウス帝はダルマティア,クラウディウス帝はガリア,ハドリアヌス帝はアフリカと東方属州に関心を示した。…

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