画家,彫刻家や職人の仕事場,または芸術家の塾。18世紀以前については〈工房〉の項を見られたい。18世紀末から19世紀にかけて,それ以前は集団制作と徒弟修業の場であった工房は,とりわけ芸術家の教育の場=塾という形で変化してゆく。フランスでバシュリエJean-Jacques Bachelier(1724-1806)という画家が,1766年にデッサンの無料アトリエを開いたことから,アトリエを教育の場とみなす考えがヨーロッパ中に広まり,著名な芸術家たちは初めは自らの私的仕事場で,後にはそれと全く別個に塾としてのアトリエを開いた。とりわけフランスにおいて,新古典主義の隆盛とともに,このようなアトリエの活動が盛んになり,J.L.ダビッド,P.-N.ゲラン,J.A.D.アングルらのアトリエは有名であった。また芸術家の指導なしに,モデルと場所のみを提供するアトリエも好評で,アカデミー・シュイスは1810年代末に開き,68年に開かれたアカデミー・ジュリアンは美術学校の予備校として学生を集めた。生徒たちは若くて13~14歳,一般に17~18歳の頃にアトリエを持つ芸術家に入門を乞い,許されると入塾料と月謝を払ってアトリエに通った。アトリエには師の下で塾頭が経営の実権を握り,同時に週2日ほどしかアトリエを訪れぬ師の代りに初心者を教えた。生徒の目標は美術学校の入学試験であるが,合格しても実質的な教育はほとんどアトリエで行われた。美術学校の教育がアトリエのそれより充実し組織化されるのは1860年代以降であったからである。アトリエはふつう長方形の広い室で天井が高く,壁の上方または天井に多くは北向きの窓がついていた。これは光が均一でかつ多すぎないよう配慮されたためで,夏の明るい光の時は薄布をかけたりして光を制限した。なるべく光を取り入れるため窓を大きく開けるようになったのは,印象派以後のことである。19世紀末になってから美術学校が広く人々に開かれるようになると,塾としてのアトリエはしだいに意義を失い,その後のアトリエはもっぱら芸術家個人の仕事場となってゆく。
執筆者:馬渕 明子
美術雑誌。1924年4月,洋画家山本鼎の企画のもとに北原義雄によって創刊された。平易で新鮮な誌面をめざし,絵画技法の解説や外国美術の紹介に力をそそぎ,月刊総合美術雑誌として《みづゑ》とともに戦前の美術ジャーナリズムの中心にあって日本の美術界に影響力をもった。〈創作版画〉〈超現実主義研究〉などの特集を組み,寄稿者は美術家が大半を占めたが,宇野浩二らの文学者も文章を寄せた。41年,戦時統制のため《生活美術》と改題したが,46年に復刊,滝口修造の前衛美術家の解説をはじめとする内外の新しい美術の動きを伝えた。50年代後半に入ると,初心者向けの実技指導の雑誌に性格をかえ,現在も刊行中である。なお誌名は〈アトリヱ〉と表記される。
執筆者:中島 理寿
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
「木片の堆積(たいせき)」を意味する語から転じて「大工、木工の仕事場」をさすようになったといわれる。一般に画家、彫刻家、工芸家など美術家の仕事場をさし、画室、工房、スタジオなどと同義である。美術史用語としては、徒弟たちが修業を積む場としての師(親方)の工房、あるいは、師の指導監督のもとに弟子や助手たちが共同制作をする美術職人集団としての工房を意味する場合が多い。また19世紀フランスでは、教師のいない裸体デッサン練習所を示す「アトリエ・リブル」(自由画室)の意味に使われていた。しかし、これもやがて、教師である画家の名を冠した絵画教室へと変わった。
[長谷川三郎]
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…工房は,金属器のように制作に特別な技能を要する物品の発生と共に諸文明中に登場したと考えられる。
[西洋]
工房を,英語ではワークショップworkshop,ステューディオ(スタジオ)studio,フランス語ではアトリエatelier,ドイツ語ではウェルクシュタットWerkstatt,イタリア語ではボッテガbottegaと呼ぶ。都市の発達に伴って発展した中世の工房は,ギルド(同業組合)の統制下にあり,同一職種内部の相互扶助,規制,技術水準の保持に努めた。…
…工房は,金属器のように制作に特別な技能を要する物品の発生と共に諸文明中に登場したと考えられる。
[西洋]
工房を,英語ではワークショップworkshop,ステューディオ(スタジオ)studio,フランス語ではアトリエatelier,ドイツ語ではウェルクシュタットWerkstatt,イタリア語ではボッテガbottegaと呼ぶ。都市の発達に伴って発展した中世の工房は,ギルド(同業組合)の統制下にあり,同一職種内部の相互扶助,規制,技術水準の保持に努めた。…
…18世紀末から19世紀にかけて,それ以前は集団制作と徒弟修業の場であった工房は,とりわけ芸術家の教育の場=塾という形で変化してゆく。フランスでバシュリエJean‐Jacques Bachelier(1724‐1806)という画家が,1766年にデッサンの無料アトリエを開いたことから,アトリエを教育の場と見なす考えがヨーロッパ中に広まり,著名な芸術家たちは初めは自らの私的仕事場で,後にはそれと全く別個に塾としてのアトリエを開いた。とりわけフランスにおいて,新古典主義の隆盛とともに,このようなアトリエの活動が盛んになり,J.L.ダビッド,P.‐N.ゲラン,J.A.D.アングルらのアトリエは有名であった。…
…1848年の二月革命で樹立された臨時政府は,2月25日に〈労働の権利〉を要求する労働者の強硬なデモに直面し,〈すべての市民に労働を保障する〉との法令を出した。これを受けて翌日に出た法令がアトリエ・ナシヨノーの設置を定めるものだった。しかしこれは〈労働の権利〉という基本権の要求に対応しうるものではなく,加入失業者をシャン・ド・マルスの拡張工事,道路工事等の土木事業に従事させるものにすぎなかった。…
※「アトリエ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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